少し強めの海風に船体が大きく傾くのを感じた俺は、目の前にあるインク壷をそっと持ち上げ…転倒を阻止した。
今、俺は包丁を羽ペンに持ち替え、ある書類を作成中だったからだ。
この書類はこれから先の航海に影響を及ぼすほどの重要書類。
ましてや高級な羊皮紙を提供して下さったナミさんの為にも、インクを零すなどという愚かな行為によって、無駄にするなど出来ないのだ。
船体の揺れが収まり、水平な机上が戻ってくると、俺はまたインク壷を下ろし書類の作成へと戻る。
机の上には羊皮紙以外にも、様々な種類の紙が所狭しと並んでいる。
大きさも紙質もバラバラなその紙達には、品物名と購入時の値段や個数、中には島の名前等が手書きで付け加えられている物も見受けられた。
俺は手元に算盤を引き寄せるとその金額を計算し、個々のトータル金額を書き込む。
そう…俺は今、一般家庭で言う所の『家計簿』を付けているのだ。
まあ、『出納帖』とも言い換えることも出来るが、台所関連の物ばかりだから、なんとなく前者の方が頭に浮かんだのだ。
海賊船のイメージからは掛け離れている作業の様な気もするが、何をどれだけ、どこの港で購入したか…等を記録しておけば、自ずと次の購入時期や相場の値段が予測出来、予算の配分や割高の買い物防止にも繋がると言う物だ。
特にこの船に置いては、船長の気紛れでコロコロ行き先が変わったりするので、それに対応出来るだけの備蓄があるうちに次の補給ポイントの位置を、おおよそでも良いので把握しておく必要があるからだ。
いくらナミさんが凄腕の航海士でも、ルフィの気まぐれまでは予測不可能で…良い例を挙げるなら、アラバスタへと向かう船の中、三馬鹿トリオ+鳥によって船内の食料が絶滅した過ぎ去りし日の出来事…目の前に俺の料理を必要とされている美女二人がいらっしゃると言うのに、俺にはスープすら作る事が出来なかったからだ。
あの時ほど自分の無力さを嘆いた事は無く。
そして、その対策の一環としてこの家計簿が作成されたのだ。

「よし…っ、これで粗方集計出来たかな」

纏め終えた領収書の山は、月毎に分類し食器棚の隅にある箱へ。
算盤やペン類は引き出しへと片付ける。

最後に、出来上がった書類を見て…その完璧な出来栄えに、俺はかなり満足だった。
それは、次の寄港地を一月スパンで考えた、毎日の献立表だったのだ。
勿論、何が起こるか判らない船の上での事だから変更なんて毎度の事ではある。
ルフィが食材を食っちまうなんて事は、最早日常茶飯事だし、ウソップが魚を釣ってくれれば、そいつが夜のメインディッシュへと摩り替わるからだ。
だが、それでもある程度の『予定』を組んでおけば、購入する時の予算が計算出来るからだ。
表の始め…つまり、買い込んだ食材が新鮮なうちには、サラダや肉のマリネ等、割と新鮮さを要求されるメニューが並ぶ。
二十日以降になってくると、煮込み料理や保存の効く食材…例えばスモークした肉や魚、缶詰の果物等を使用した物へと変化していくのだ。
バラティエにいた頃は、少なくとも三日に一回は買出しに行っていたから…判ってはいたが、あまり考えなかった事だった。
しかし、確実に食料の供給が得られるかどうかもハッキリしない航海中では、こういった事前の計画が大切なのだ…と言う事を、俺は旅の中で改めて学んだと言っても良いだろう。
こうして献立表を作るのも、何度目だろうか。
毎日変わる様々なメニューの中には、俺の得意料理やクルー達の好物は勿論、新しい島で覚えた物も含まれている。
この間も、久々にアラバスタ料理を作り…皆口々に「懐かしいわね〜」「コレ、王宮で食ったよな!」等と、懐かしそうに喋っていた。

「さてと…ナミさんにお伺いを立てに行くとすっかな♪」

献立に必要な金額等を書き出した『重要書類』を小脇に抱えると、一端キッチンを後にしようとした俺だったが、帰りに倉庫に寄れば無駄が省ける…と思い、今夜の献立を確認した。
昨日の夕飯は、ウソップ達が釣ってくれた魚があったのだが、卵が痛む前に…と思い、予定通りのオムライスにしたのだ。
魚をメインにしたメニューで、そろそろ仕入れたフレッシュハーブも痛み出す頃で…と考えると、自ずとメニューは決定する。

「え〜っと……そうだな、魚の香草焼きにするかな」

必要と思われる食材が頭の中に浮かび、何をどれだけ取って来るか…等を考えながらも、本来の目的地である女部屋へと向かった。





                *






先程船体が傾いた所為で、本棚に片付け忘れていた本達が、床の上で小規模の反乱を起こしていた。
出した時に、キチンと戻して置かなかった私が原因ではあるが…崩れてしまった山を見ていると、やはり溜息が出る。
こんな時、誰かがいれば手伝ってくれるのだが…生憎ロビンは不在で、やはり自分で何とかするしか無いか…と、本の山に手を付けた時だった。


「お〜い、ナミ。ちょっと良いか?」


木製ハッチ越しに、幾分聞き取りにくいがウソップの声がした。


「どうぞ?」


そう返事を返せば、長い鼻が特徴的な彼の顔がハッチから覗いた。


「…何か悪い時に来ちまったみてェだな…」
「あら、私にとってはアンタが天の救いに見えるわよ♪」


そう言って、にっこり微笑むと「仕方がねえなあ…」と渋い顔をしながらも、ウソップは本の片付けを手伝ってくれた。

「所で…何の用だったの?」

粗方片付いた所でウソップにそう聞けば、本人はすっかり訪問の意味を忘れていたみたいで「ああ、そうそう!」と,慌てて愛用の鞄を探り始めた。


私が何も言わなかったら、本棚の片付けだけして帰っていく所だった事を、本人解ってるのかしら…と、思わず苦笑してしまった。
そんな風に思いながら見ていると、大きな紙を取り出したウソップは、ガサガサと床の上に広げ始めた。

「見ろ!クリマタクトの新!設計図(仮)だ」

見ろ、と言われたので覗きこんではみたが、其処にはウソップにしか理解できない難解で複雑な図案や単語が、美しい幾何学模様の様に書き込まれていた。
かろうじて解るのは、其処かしこに書かれている『ダイアル』の文字だった。


「これ…ダイアルを使うの?」
「その通りっ!流石はナミ。目の付けどころが違うなぁ♪」


まだ紙の上だけの予定なんだけどな…と、図案の説明をするウソップは実に生き生きとしていて、本当に楽しそうだった。
私が新しい海図を描いている時も、こんな顔してるのかな…と、ぼんやり思いながら聞いていると、ウソップは大体の説明を終えた後に、恐る恐る…と言った感じで小さな紙片を私に手渡した。



「あ〜、で、その…これが、総制作費の見積もりなんだけどよ?」



其処に提示された金額は、まあ何とか出しても良いかな、と思える物だったので、私は頷いた。

「OK、今回はちゃんと出すわ」
「そっ、そうか!おし、じゃあそう言う事でヨロシク!」

前回、一切費用を出さなかった時の(ウソップにとっての)悲劇を警戒しての訪問だった事はバレバレではあるが、アラバスタや空島で大活躍してくれたクリマタクトを強化して貰えるのだから、まあこの位の投資も仕方が無いだろう。
実際、一ベリーも払っていないのに初代クリマタクトは中々の出来で…まあ、役に立たなかった宴会用コンポーズは別として…改めてウソップの器用さを再認識した。

「よしっ、なら話は決まった!早速改造に取り掛かるからな〜すんげえの作ってやるぜっ!」
「楽しみにしてるわ♪」


お金は次の島に上陸した時に渡すわね、と言うと、ウソップは「おうっ、頼む」と言い、先程片付けた本棚の前に行った。

「ここの本、少し借りてって良いか?」

「どの本を?」

ウソップは、う〜ん…と言いながら、何冊かの本を取り出す。それは、主に気象学の本だった。

「俺様、気象とかについてあんま詳しくネェからさ、もう少し勉強しとこうって思ってさ」

気象学の知識があれば、クリマタクトの特性をもっと生かした仕上がりになる筈だしな、と真面目な顔で言うウソップ。
戦闘ではあまり役に立たない奴だけど、何故かその時のウソップは頼もしそうに見えた。

「ハイハイ、期待して待ってるわ、キャプテン☆ウソップ」

そう言った矢先、ウソップのお腹がグゥ…と鳴った。

「…腹が減っては戦は出来ぬって言うよな」

ハハハ、と笑いながら照れ隠しの様にそう言うウソップ。
確かにそうなのだが…

「さっき、おやつ食べたばっかじゃないの?」
「うっ…それはそうなんだが…」


一時間程前に、サンジ君が持って来てくれたおやつ。
今日は三種類のクッキーだったから、私には丁度良い量でもウソップには足りなかった様だ。

「サンジ君に何か貰ったら?」
「う〜ん…でも、まだ夕食準備の時間じゃ無ェからな…」

ウソップにつられて時計を見れば、確かにまだ少し早い時間だった。


「今日の夕飯は何かしらね」
「魚の香草焼きじゃねェか?」
「…何でそんな事判るの?」


いやにハッキリと言い切るウソップに、さては本人から今夜のメニューを聞いたのかと思った私は、その疑問をぶつけてみた。
が、帰ってきた答えは、

「いや?もしかしたら変わるかも知んねェけどさ、昨日俺様が大物釣ってやったのに、夕飯はオムライスだったろ?」

だからあの魚は今日中には使っちまう筈だ、とウソップは断言し、尚も続ける。

「それに、ハーブ類もそろそろ痛み出す頃だから…その材料で考えると、魚の香草焼きが一番じゃねェかな〜って思っただけだ」

厨房の主であるサンジ君以外で、食材の状況を把握しているなんて…と、正直驚いてしまった…が、当のウソップはと言うと、さも当然、と言った顔で言葉を続ける。

「この間立ち寄った島から、そろそろ十日だろ?あの時買出しに付き合ったから、何買ったかは大体覚えてんだ」

サンジ君の買出しにウソップが同行するのは、別に珍しくもなんとも無い事だ。
確かに一緒に行けば、ある程度は覚えていても不思議では無いが…
なんと言っても、十日前の買い物である。

その時の中身から現在の残量を計算し、尚且つメニューを予測するなんて、余程料理に親しんでいないと出来ない芸当だ。

「昨日魚を使わなかったのは、きっと最後の卵を使っちまいたかったんだと思うぜ?そろそろヤバ目だったしな」
「…まるで探偵みたいね」


サンジ君の心理をピタリと言い当てるウソップに、推理小説の中に登場する名探偵が被って見えた。

「お、そうか?では今日から俺様の事は、名探偵ウソップ様とでも呼んでくれたまえ♪」

すぐに調子に乗るウソップに、私は意地悪く言葉を続けた。



「ま、その推理力も『サンジ君』限定ってのが悲しいけどね」
「んなっ…そんな事無ェぞっ!てか何だよそのサンジ限定って!」



途端に反論する名探偵だが、その頬が赤くなっている所を見ると、私が言わんとする意味が解ったのだろう。

「あら、だって今日サンジ君が何を作るかなんて、私にだって解らない事なのよ?なのにどうして解るのかしら〜」
「だっ…だからそれは、この間の買出しに付き合ったからだって…」

「いくら内容を知ってても、そこまでメニューを断言出来るなんて、毎日近くに居なきゃ出来ない芸当だと思うんだけど?」
「だからっ!」
「今日の夕飯が楽しみね〜♪」
「も…良いデス…」

そう言ってウィンクを一つすると、ウソップはもう反論する気も無くなった様で、借りた本と設計図を手にとぼとぼと引き上げていった。
ちょっとからかい過ぎたかしら♪と呟きながらその背中を見送った私は、本当に今夜の夕食が魚の香草焼きだったら、からかうネタが増えるわねェ…等と考えながらも、描きかけだった海図へと向き直った。





                





甲板へと出た俺様は、大きく深呼吸した。



「くそ…ナミの奴、絶対俺様で遊んでるな…」



いつもの事とは言え、やはり腹が立つ。
こうなったら、サンジから今夜のメニューを聞き出し、万が一にも(万が一にでもある)魚の香草焼きだったりしたら、絶対変更して貰おう!と決心した俺様の背中に声が降ってきた。


「よ、名探偵♪」
「なっ!」


俺様がそう言うか言わないうちに、ひらりと宙に身を躍らせたスーツの男が目の前に降ってきた。



「なかなかの名推理じゃねェか、名探偵ウソップ君」
「さっサンジっ!?きっ…聞いて…」

「そりゃもうバッチリ、聞かせて貰ったぜ♪」



一体何時の間に!?と思ったが、どうせサンジの事だからアホな答えが返って来る事は容易に予測出来たので、聞く代わりにメニュー変更を頼もうと思った。


「…聞いてたんなら話は早ェ。サンジ、今夜のメニューさ、…って…まさか…」


俺様が『今夜のメニュー』と言った途端、サンジは嫌〜な笑顔を浮かべると「名推理って言っただろ?今夜のメニューは魚の香草焼きだぜ♪」…と、言った。


「今から変更…ってのは?」
「無い事位、テメエが一番良く解ってるんじゃねェか?」
「……………」


俺様の推理が正しかった事がこれで証明されたのだから…本来ならば喜んでいい筈なのに、素直に喜べないのはやはり先程のナミとの会話と、それをサンジに聞かれていたと言う二点の所為だろう。


「ま、これから手伝ってくれるってんなら…」
「変更してくれるのか!?」


サンジの奴がそう言ったので、思わず詰め寄った途端…強引に抱き寄せられた俺様は、あっと思う間もなくキスされてしまった。









「〜〜〜いきなりするの、禁止だ禁止!!」








唇が離れるのと同時にそう叫ぶと、サンジはにやにやしながら「じゃあ、予告してするならOKなんだ♪」と屁理屈を言う。


「それもナシ!」


と素早く釘を刺せば、子供の様に口を尖らすサンジ。
まったくコイツには油断も隙もあったものじゃない…と思いながらも、つい早くなってしまった心臓の鼓動を抑えよう…と、胸に手を当てつつ…先刻のサンジの台詞が気になったので、改めて問いかけた。


「なあ、手伝ったらメニュー変更してくれるのか?」
「いいや、それだけは絶対ありえないな」
「やっぱり駄目か…」


がっくり肩を落とす俺様に、サンジはまあまあ、と宥める様にこう付け加えた。



「代わりに、お前のだけキノコ抜きにしてやるよ」
「喜んで手伝わせていただきます」



ナミに茶化される事よりも、夕食へのキノコ投入を阻止する事の方が俺様にとっては重要だった。


「なら話は早い。オラ、今から準備に取り掛かるぞ」
「お、おう…て、ちょっと待ってくれ、荷物部屋に置いて来たいんだ」
「分かった。なら先に行ってっからとっとと来いよ?」
「お、おうっ」


サンジの奴はニッと笑うと、階段を登って行った。
俺様は男部屋へと続くハッチを引き上げると、最後の三段位を飛ばして飛び降りた。
中ではゾロが昼寝しているだけだったので、俺様は自分の引き出しを開け借りた本や設計図を片付けると、あわててキッチンへと向かった。






                





ウソップとナミさんの会話が聞こえてきたのは、本当に偶然だった。
ハッチ越しだったのでハッキリとは聞き取れなかったが、それでも十分に舞い上がってしまう内容の会話で…今思い出しても、頬の辺りが緩んでしまう。
いくら毎回、買い物…と言う名のデートなんだけど…に一緒に行っているとは言え、ここまで完璧にメニューを予測できるなんて…愛の成せる技としか、俺には思えなかった。


「香草と魚を使う…って所までは、まあ予測出来るとしたって…チーズ焼きとか揚げ物の方がメジャーだよな」


それをあえて香草焼き、と断言したウソップの声が耳から離れない。
『以心伝心』という言葉があるが、今日の出来事が正にそれで…

勿論驚いたが、それ以上に…嬉しかった。
今頃、あわてて荷物を片しているだろうウソップの姿が容易に想像できてしまって、つい笑みが浮かんでしまう。


「…ったく、アイツはどうしてこう、俺を喜ばせるのが上手いかな…」


だからつい、キノコ抜きなんて言ってしまったのだ。
あの笑顔に弱いって言うか…結局、惚れた弱みなんだろうな…とか考えながらも、体は料理モードに切り替わる。
先程倉庫から持ってきたジャガイモと玉ネギをシンクへと放り込み、軽く水洗いする。
ワイン棚のストックへと目を走らせながら、冷蔵庫から今夜のメインの魚を取り出す。
それは最近の釣果では一番の大物と言える程、立派な物だった。
これだけ大きな魚なのだから、香草焼き以外にも出来る料理はあるのだが…


「名探偵が推理を外したら、それこそ名誉に関わるからなぁ♪」


いや、いっそ外させてくれ〜っっ!!…と、この場にウソップが居たならば、間違いなく叫んでるだろうな〜とか考え…またもその様子が目に浮かんでしまい、ますます楽しくなった。
そんな俺の耳に、階段を登る靴音がかすかに聞こえてきた。
包丁を持った手を止め、俺は扉の方へと視線を向ける。

入ってくるのはきっとウソップ。


だから、聞いてみよう。







        明日の献立…なんだか解るか?…と。












                              〜END〜














秋の大阪合わせコピー誌でした。
この頃、丁度コミックスの方でウソップがぁ〜!!!と嘆いている時期でして…
自分よくまあ原稿書き上げたなぁ…と、読み返してて思いました(苦笑)
にしても、この文章作成時点でナミちゃんの天候棒の欠片も原作に登場してなかったんで正直
賭けっぽい物がありました(爆)
がしかし、ちゃんとダイアル搭載天候棒も登場してくれたので漸く載せました次第です♪
あああ、原作ではきっとまたウソップのスンバラシイ発明品が登場するのでしょうて!!
激!楽しみですvvvvvv

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〜シェフの気持〜