| 訃報 |
前支部長の高木碕男さん(90歳)が1月17日逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます
葬儀は大垣市「メモリア 鶴見」で静かな雪山賛歌の流れる中、尾上本部会長の弔辞を頂き多数の
山岳会員参列が有り高木さんに相応しい見送りでした。
| 有りし日の高木碕男さん |
酒が入ると陽気になられ皆に注ぎに廻り、機嫌が良いと「殿と姫」の歌を手と指で面白くおかしく
演じられた事は忘れられない。
岐阜支部の海外山行はシルクロードをまわろうと10数年間毎年中国・タクマラカン砂漠から
パミール高原キリギス、トルコ等隊長として参加され皆を良くまとめ楽しいひと時でした。特に
チベットのカイラスに参加され80歳代のコルラは前代未聞だと地元の警察が言われた等思い
出は尽きないです。
平成20年3月15日今西錦司先生(元岐阜大学学長・初代岐阜支部長と本部会長)を語る会で
話された事とかつて今西さんが岐阜に来て最初に登られた「高賀山」に翌日登ったので下記に
付記します。
(合掌;中島)
| 高木碕男氏 岐阜県輪之内町在住(87歳) 今西錦司先生と登った多くの山と、先生との交流の思い出を高木さんらしく(大垣弁かな) 楽しく、飽きの来ない50分だった。 今西さんとの付き合いは、大垣山岳協会の創立記念に講演会の講師として依頼した時か らだった。(高木さんは当時32歳)その後、岐阜大学の学長で岐阜に赴任された。岐阜は 「山が有りアマゴが釣れる」と喜んで居られた。 岐阜では先ず大学の先生を中心に山の 会(御岳会)を作られ、高木さんもその会に誘われ入った。 その後岐阜支部を設立され、自ら支部長をされた。半年もしない内に日本山岳会の会長 になられたため、後任の支部長を作らねばと奔そんした。大先生の後だから大変だった。 当時工学部長の松井先生を2代目にお願いし、その代行を高木さんが補った。 今西先生とは30年間の付き合い。お供で全国の山へ出かけた。北海道は5日間、九州は 3日間と言うように仕事を放り出して付き合った。 本部の会長時代全国支部懇談会を今西先生の提案で白山に行った。平瀬で前夜祭、 地元の村長さんも呼んで盛大に行い。翌日は白水湖から登り、石川県へ降りた。後は石 川支部にお願いした。 今西錦司先生の教え 1、人間は文化病だ(朝は起きる、昼にはメしと言うように決めている。別に自分の思うよう に生きたら良い、夜勉強してもよい) 2、鼠は船に乗っていてこれは沈むと思ったら早く逃げる。或いは乗らない。 3、人間は藪山をやれ、川を渡る、崖を上る等山へ登る時は、細ひも、懐中電気に「鰹節」 を1個袋にいれリックの底こに縫い付けておけ、3年位らいは持つ、非常食に最高だ。 3年たったら家で削って食べたらよい。雨具、ナイフなど色々の知恵が出てくる 4、注意すること。落石、藪の跳ね返り、山の景色を見る時は止まって見よ、ナタなどを使う 人から離れる事。 山には前後がある話。蒙古の狼を撃つ時は親でなく子を先に撃てなどの話。 今西先生が岐大学長を2期6年勤められ、最後の離任式での挨拶は郡上節のかわさきの 一節の「♪郡上のなー八幡出てゆくときは・・・雨も降らぬに袖絞る・・・」を歌い壇上を去っ て行かれた話しは有名です。 時間が来たのでもっといろんな事が有ったが尽きないのでおしまいにします。
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| 皆んなでで登った高賀山(1等三角点 1,224m)高木さんを囲んで(前列中央) | |||||
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第3代支部長の経歴 高木碕男氏 (大正11年3月15日(1922年)生まれ) 経歴 山岳会における会務履歴 日本山岳会の会務履歴 昭和38年9月 日本山岳会入会 支部長在任中の主要な行事 平成9年5月 第1回科学委員会(地方大会)岐阜県郡上・大日岳 その他の山岳会等の会務履歴 |
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