ブータントレッキング雷竜の国ブータン見聞録

ブータン。ベレラ峠(3,360m)にてバックには断崖に建つ僧院

期  日 9月16日〜9月26日    
   行 程
 各地(東京 大阪 名古屋)→タイ バンコク→ブータン パロ→ティンプー
       →プナカ→ブムタン→ガンテ・コンパ→パロ→タイ バンコク→各地

 

日本の各地からそれぞれ出発して、タイの空港で合流した。総勢25名の大所帯で初めての
顔ぶれもあった。バンコクのホテルで一泊し、早朝ドルック航空機にてブータンに向けて出発した。
眼下には、雪をかぶったヒマラヤ山脈が見え感激した。急峻な谷間に家が点在し感動を覚えている
うちに機体が吸い込まれるように高度を落とし着陸態勢に入り、スリル満点の中着陸した。
その瞬間一斉に拍手が起こった。パイロットの操縦の腕をたたえるものであった。

これから8日間のブータン観光の始まりである。ブータンは、チベット仏教を国教とする王国で
各地にゾンと呼ばれる城砦があり、中は役所、裁判所、僧院が一緒になっている。どれも壮大、
荘厳でどれも世界遺産に匹敵する様な目を見張るものであった。日本のお城に似ている。又至る所
に経文が書いてあるのぼりの様なタルシンと呼ばれる物が立っていた。その他にも万国旗のように
色とりどりの経文を書いた布が風にたなびいていて、信仰の深さを感じることができた。

ティンプーは、首都だけあって町全体がにぎやかであった。この町でこの旅のメインの仮面の祭り
を見た。ブータン仏教の総本山であり国会議事堂も兼ねているタンチョ・ゾンの中庭は広く、人々が
たくさん集まり仮面の踊りを見ていた。国王も同席されていた。次から次と仮面をかぶり着飾った人
が体全体を使い、円になって舞っていた。


プナカに行く途中、ドチュ・ラ(峠)からマサ・コン(7194m)など雪をかぶった山々を快晴の
中満喫した。このようにきれいに見えることはめったにないそうだ。

ワン・ポダン・ゾンで2回目の踊りを見た。若い女性たちの歌いながらの静かな踊りはジーンと心の
迫るものがあった。

長いバスの移動後、ブータン仏教の聖地であるブムタンに入った。ここではめずらしい石風呂を見た。
石を焼いて水の中に放りこみ温めるものである。タムシン・ラカン(寺)では、3回目の踊りを見た。
仮面が場所によって違うのは面白い。たくさんの人々は着飾り楽しんでいた。学校も休みになる。
ここには1500年代の壁画があり特別保護されることなく自然に生活の中に溶けこんでいたのには
驚いた。

シベリアからの鶴の飛来地であるガンテ・ゴンパに滞在できたことは非常に意義深かった。そば畑が
広がる大草原に、鶴の集団が遊ぶ姿を想像した。そこでのホテルは自家発電でなかなか荘厳だった。


ブータン最後の日はパロに戻り、断崖絶壁に建立されているタクツアン僧院の見学である。すごいと
ころに建てたものだ。僧院まで約3時間のトレッキングをしたが馬に乗って行く人もいた。
最後の断崖は、階段になっておりなかなかスリルがあり気を引き締めた。ここは、ブータン最高の聖地
であり17世紀パドマ・サンババが虎に乗ってやってきて悪霊を取り払ったといういわれがある。


ブータン最後の日なので、夕方ホテルの庭でお世話になった方々とのお別れ会を行った。8日間事故も
なく快適に過ごせたのは、ガイドさん、ドライバーさんのおかげでした。ありがとうございました。
最後に「今日の日はさようなら」を肩を組んで全員で合唱した。


次の日早朝、タイに向かった。タイで一日過ごし岐路に着いた。

30年前まで各国と鎖国をしていた国が今では、年間12,000人(日本1,000人)の外国人が
訪れるという。テレビは6割の家庭がもち携帯電話も持つようになってきた。近代化の波が押し寄せて
いる感じがするが、まだ素朴でブータン独特の文化があり今の生活を守り国を大切にしていることがわ
かる。この時期に訪れることができたことは、本当に意義があると思った。 

              見たこと 聞いたこと

: 野良犬がいっぱい。人の住んでいるところどこに行っても放し飼いである。昼はほとんど寝て
  いて夜動き回るそうである。

: 服装は民族衣装で日本の着物に似ている。男性は「ゴ」と言い女性は「キラ」という。何枚か
  持っていて着替えることがおしゃれの一つである。

: 花の種類は、日本の花とほとんど同じである。あちこちで色鮮やかに咲き乱れていて華やかさ
  があった。

: 学校では国語ではゾンカ語を学習するが英語が必須科目として取り入れられており話しかけて
  も英語で答えが返ってきた。科目は日本とほぼ同じだった。運動場にはサッカーゴール、バス
  ケットゴールが設置されているところがあった。

: ホテルの設備は整っているところが多く快適に過ごせた。どこも水洗トイレであった。食事は
  すべてバイキングで赤米、チャーハン、焼きそば、野菜の炒めもの、そば、肉の煮物、シチュウ、
  ポテトなどおいしかったがだんだん日本食が恋しくなってきた。


最後にたくさんの方々との出会いがあり未知の国への旅はたくさんの見聞を広げことができ自分の
人生の楽しい思い出の一ページとして綴られることができました。感謝の一言である。
又今回の旅行ができたことは亡き夫のお陰でもあります。  「合掌」

                                       藤田 純江