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第22回全国支部懇談会の記念山行「祖跡コース」

初めての参加

日本山岳会第22回全国支部懇談会が福井支部の担当で1079日に開かれた。参加者名簿には203名が挙がっている。大きな会だった。永平寺の参禅、記念山行、懇親会と性格の異なる会をまとめるのはたいへんだったことと思う。福井支部の皆さんに心からのお礼申し上げたい。
 私自身は長年、日本山岳会員でありながら、公式の会合にはほとんど参加したことがなかった。全国支部懇談会に出席したのは初めてである。また二泊三日のプログラムのうち、永平寺の参禅、記念山行に参加したのみで、主要行事である懇親会の様子は分からない。あらかじめお断りしておく。

永平寺の参禅
 今回の全国支部懇談会に、福井支部が永平寺の参禅をプログラムの中に取り入れたのはすばらしかった。登山を通じて日本の自然環境のあり方に心を寄せるものは、正しい人の道を厳しく求めた道元禅師の心に惹かれるものが多いはずである。 修行の厳しさの一端に触れ、自分を見つめなおすよすがを求めていたのだけれど、残念ながら、永平寺の参禅はその期待に十分応えてはくれなかった。大本山はもっと、道元禅師の思想を語り、実践する機会をつくることが求められていると思う。

記念山行

記念山行は道元禅師ゆかりの祖跡コースと愛宕山コースに分かれておこなわれた。わたしは祖跡コースに参加したので、愛宕山コースの様子は分からない。
 案内には永平寺から大佛寺山を経て吉峰寺へと書いてあった。詳しくは分からないまま当てずっぽうにGPSにルートを入れて持って行った。歩いたのは、実は逆コースだった。
108日朝、
 準備をしていると、沛然たる雨。あわてて雨具をつける。バスに乗り込むとき、山に持っていかない荷物は預かるといわれた。ありがたかった。大型バスを降りて吉峰寺入り口まで小型バスでピストン。どこまでも親切に面倒を見ようという福井支部のご好意に頭が下がった。

 心配された雨も降り止んだ。吉峰寺入口から歩いて約15分。吉峰寺で8箇班に編成して、各班に班長と副班長が配置された。わたしたちの5班は17名。班長川口宗、副班長山縣喜美子のおふたりにお世話になった。
 大人数の集団を移動させるのは大変なことだ。各班の境では前後の班のメンバーが交じり合うこともしばしば起こった。メンバー相互はともかく、班長、副班長とは必ずしも顔見知りというわけではない。大きな混乱もなく歩きとおせたのは幸せであった。
 滑りやすい道をゆくとしばらくして祝山から北に延びる尾根に出る。仮に北尾根と呼んでおく。以前にはコナラ交じりのアカマツ林であったろうと思われる林を行く。低木が密に茂って、ご多分に漏れず放棄された里山だ。
 北尾根445メートルで少憩。クリやカキの木が人の住んだ気配を濃厚に感じさせる。藤井法道さんは祖跡コースを歩いた僧侶がカキを食べてタネを捨てたのだと推理する。
 祝山に向かって、北尾根は急攀と緩斜を繰り返す。祝山を越えると仙尾山、大佛寺山に続く主尾根である。仙尾山が最も高いから仮に仙尾尾根ということにする。仙尾尾根に登るとブナ林である。かなり最近まで伐っていたらしく、ブナとしては小径の比較的よくそろった二次林に出会う。
 林道の交差するひとつ手前のコルで昼食。朝受け取ったお弁当はおにぎり弁当のほかに、500mlのお茶と350mlのビールが付いている。ふと今西錦司先生の晩年の山行を思い出した。何十人もの大所帯になることもあった。昼は必ず「薬湯」が出て宴会になった。みんな三々五々楽しんでいた。全体を統御しようとするものはだれもいなかった。ひとり一人勝手に歩いているようなんだけれど、みんな適当に山頂にたどり着き、勝手に宴会を始め、勝手に帰り支度をしていたなあ。
大佛寺山からの下りは転がり落ちていくような急斜だった。永平寺ダムまで一気に駆け下りた。
 楽しい一日だった。福井支部の皆さんに改めて謝意を表したい。

[ 荻野和彦 記 ]

[ 日 時 ] 平成18年10月日(日)

[ 場 所 ] 福井県永平寺

[ 参加者 ]  早田道治、森本市郎、藤井法道、武田幸男、岩井登久雄、高木基揚 荻野和彦、山本健太郎、岡田清美、今峰正利、木下喜代男、堀義博、高木碕男 久野菊子、大脇美代、岡田育子、野村百合子、藤田純江、長屋桂子、白木貞次 白木しづゑ、野々部節子

[ タイム ] 永平寺8:15=吉峰寺9:30−祝山11:30−仙尾山12:      50−大佛寺山1:40−永平寺3:30(解散)

[ 地 図 ] 1/5万:永平寺

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