チベットの未踏峰 打杠日峰(ダカンリ峰)                6,247m

                                                      白木貞次

  2010年9月2日から19日まで、私にとっては2回目のチベットの未踏峰登山に出発する事になった。昨年から誘われていたのだが、ほかの山への計画もあり、なかなか参加に踏み切れなかった。

 6月に入って参加する事に決め、それから準備が始まった。ほとんどの隊員が決まっていた中へ、私が割り込むかたちになった。

 今回の山ダカンリ峰は、チベットの首都ラサ市から北へ約100Kmの羊八井から、左の谷筋へ未舗装の路を約20km奥に入った場所に位置し、双耳峰で右が北峰左が本峰で在るが,我々のべースキャンプ(BC)からは、本峰は見えない。

 福岡空港で全隊員が合流して出発し、上海で乗り継ぎ成都で一泊、次の日の早朝の飛行機でラサ空港に到着、100km離れたラサ市内のヒマラヤホテルで3泊する。ラサ市は標高3650mの為、この3日間で市内観光や近くの丘に登るなどして、高度順応をする。又登山用の装備を点検、食料の買出しなどを行い登山に備える。

 ラサ滞在3日目の朝(9月6日)ランクル4台とトラック1台で、BCに向かう。BCは放牧地(標高4700m)の平坦な場所に決まる。テントを張り偵察に出る、本峰の左の谷を標高約5000mの丘まで登る。夕食は松茸が沢山入ったご飯と味噌汁だ。

 明けて7日は、中国軍の砲撃訓練の為、危険なので我々は、少し下流の安全な場所に15時過ぎまで避難させられる。 

 8日 昨夜は雨が降ったが上部は雪だ、左の谷へのルートを偵察に入る。約5100mの所にモレーン帯に出来た大きな草原があり、ここをABC(アドバンテージ.ベースキャンプ)予定地と決める。ここから谷筋を、モレーン帯を幾つも超えて約5300m付近までの偵察の結果、正面の尾根や、左の壁を右の尾根に出るコースも、いずれも厳しく、雪崩れの心配をしなければならず、ここのコースは難しそうだ。雪も降り出し視界も悪くなり、今日の偵察は終わりにする。

 9日 今日は朝からBCのテントを撤収して、馬6頭で荷揚げする。15時30分
ABCの設営(約5100m)終了。ABCへ登る途中では雨も降り出す天気で、まだ天気は安定しない。荷物は馬3往復し、夜遅くまでかかる。

 10日 下では10〜12日まで、又中国軍の砲撃演習が行われ立ち入り禁止との事。今日は寒いがやっと晴れてきて、周囲の山々が良く見える。  我々の行動は、右の尾根を登り、右の方にトラバース気味に登るルートを取り、ルート工作隊と荷上げ隊に分かれて行動する、ポーターが追いかけて来て、今日中にABCを撤収して下山するようにとの伝言を持ってきた。我々は標高約5300m付近に荷物をデポして下ることになる。中国軍の砲撃訓練があるが、我々は山の上にいるから良いと思っていたが、全員テントをたたんで下山することになる。12時ごろには、頭の上で砲弾の破裂する音が、打ち上げ花火のように大きな音を出して鳴る。15時30分 まだ馬が来ないが、荷物を一個所にまとめて置き、我々はのんびりと放牧民の家まで下る。16時30分に到着、家の中に入りくつろぐが、こんな事をしていると、何だか我々の登山が心配になってきた。荷物は暗くならなければ来ないようだ。一昨日にTさん今日はOさんが、体調不良でラサへ下っていく。ここは標高4600mあり、上手く高度順応が出来なかったようだ。

 11日 今日は朝から良く晴れて、遠くの山が良く見える。7200mのニンチンタンラ峰が谷の向こうに、はっきりと見えている。やっと天気が良くなったのに、足止めとはなんと残念な事だ。10時から15時まで放牧小屋の敷地から外え出るなと言われている。午前中10時少し前に、中国の軍人が2人来て、我々の行動を監視しに来て、12時過ぎに引き上げてゆく。ここの放牧民の家には、電気や電話それにカラーテレビも備えてある、これも中国の影響のようだ。

 12日 曇り 今日も足止め、午前中雑談で過ごし、午後は共同装備の点検、荷揚げの準備をし、軍の訓練が済む15時過ぎから軽食を取り、ABCに向かって16時出発全員18時に着き、テント3張りを張る。私は途中ハプニングがあり、荷物を取りに下ることとなり、30分ぐらい送れて到着する。

 13日 ポーター3人の到着を待って8時45分出発、約2時間で先日のデポ時点に着き、デポの荷物を分担してC1予定地の尾根に12時10分到着、先発隊5人はC1上部のルート工作に取り組み、フイックス工作を行い17時30分ごろC1に帰る。後発3人でC1の設営をピッケル、スコップ等で斜面を整地し、3張りのテントを16時ごろまでに設営する。 先発隊の話では、上部は大変厳しい場所も在るが、頂上までのルートは十分在るとの事だ。他の3人の人は、フイックスロープを張った上部のコル約5700mまで登り、その後ABCえ下る。18時30分ごろから雷が鳴り、雪も降ってくる。

 14日 昨夜は雪とあられも降り、今朝は曇っているが寒い朝だ、朝食は各テント毎に行い、味噌汁に餅で取る、8時10分ごろから順次頂上に向かって出発する、私達は20分遅れで、4パーテー8人で最後に出発する。ガレ場を15分登り、アイゼンを付ける。雪は柔らかく少しもぐる。フイックスロープを20分で登りコルに出る。ここで福井のTさんとザイルをむすぶ。雪の尾根をコンテニアンスで1時間あまりで岩稜の下に着き、ここでMさんがリタイヤする。岩稜を落石に注意し、スリップにも氣お付けて脆い岩場を乗り越す。雪壁や雪稜をスタカットで登るが、私の呼吸の乱れがなかなか戻らなくなり、今までの登りの状態を考えると、これ以上登って帰路を安全に帰る事が出来るかを考えた時、私の行動は此処までにするのが良いのではないかと判断し、此処で登るのを断念する事にした。此処は標高約6000Mぐらいの場所で、氷河の切れ目にブリッジのかかっている所で、頂上が正面に見える場所にあり、皆の行動が手に撮るように見えた。17時ごろから3パーテーが順次頂上に到着するのを写真に納め、皆の帰りを待つ。あまり良い天気でわなく、時々雲で頂上は隠れる、身体が段々冷えてきて、待つ時間はとっても長かった。5時間以上も待っていたので、帰りは雪が腐っていて潜り、大変辛い歩みとなる。途中から暗くなり、ヘットランプの使用となり、22時30分C1に全員帰着した。

 15日 昨夜は少し雪が降り風も強く吹いていた、9時30分過ぎC1を撤収し、ポーターが3人来るのを待って、彼らに共同装備を託し、我々は個人装備持って下山を始める。12時ABCに着く、ABCを撤収し馬2頭に荷物を預け、1430分BCに到着、留守隊に歓迎の出迎えを受ける。4人の人は配車の都合で、今日中にラサに下ることとなり、早々に下山して行く。我々はBCに到着後濡れ物を干すが、16時ごろ雷が鳴り出し雨もぽつぽつしてくるが、それ以上ひどくは成らなかった。

 16日 9時30分 BCを徹収して帰路に着く、10時30分羊八井で休憩、少し寒さを感じる。車は国道に出て一路ラサに向かう。12時過ぎラサのホテルヒマラヤに着き、昨日一足早く帰った4人と合流し昼食を取る。15時から共同装備を整備する。19時よりホテルの前の食堂で夕食、その後各自の部屋でくつろぐ。

 17日 市内の観光し、それぞれにくつろぐ。夕食はホテルで晩餐会、ラサの旅行社の人達とお別れ会が行われた。

 18日 8時ホテルを出発してラサ空港へ、11時に成都に向かってフライト、13時15分成都着、ホテルで体調を崩して早く下山していた2人と合流、やっと全員が集合できた。夕方全員でお別れの夕食を、市内のレストランで行なわれ、ホテルに帰ってから私の相部屋のYさん、それにOさんと遅くまで山の話をする。

 19日 早朝のフライトなので5時にホテルを出るが、フライトが少し遅れているようで8時ごろ搭乗し、上海11時15分着福岡行きのフライトは、我々の到着を待って12時25分に動き出す、15時10分福岡に着く。荷物を受け取り今回の遠征の皆さん方とお別れ、私は国内線乗り場で18時30分の飛行機で中部空港に19時45分着く。名鉄、JRに乗り継ぎ帰路に着いた。

 今回のチベット遠征は、丁度登山活動に入った時期に、中国軍の砲撃演習に遭い、我々の足を止められ、登頂のチャンスが1回しか取れなかった、時間的に余裕があれば、全員が登る事が出来たのではないかと思はれる。私は悔いが無かったとは言えないが、それなりの満足の出来た登山だったと思っている。

 最後になりましたが、私を側でご支援いただいた、多くの人達に厚く感謝申し上げます。有難う御座いました。

 遠征隊員 大分1人 福岡2人 徳島1人 滋賀1人 福井2人 愛知1人 岐阜5人 長野県1人の 合計14人でした。
参考資料 飛騨山岳会木下会員のブログ参照

2010年3月 台湾・玉山にて?筆者