第一回今西錦司先生記念山行
1)記念講演会 “今西錦司先生を語る”
 平成21年3月14日(土)JR岐阜駅前「じゅうろくプラザ5F会議室」
 岐阜支部会員、同会友、ゲスト、一般など合わせて63名の参加で始まった。
 翌日の高賀山への山行は一般参加の方も含めて33名。

A)齋藤敦生氏 京都市在住・医学博士 元日本山岳会会長(第19代)
  50分間程の語らいで、スライドを使って、在りし日の今西錦司先生と主治医としての山行
 と、日々のお付き合い
を笑いを交えて、語っていただいた。
  今西先生は終生で1,552山登られた。特に岐阜大学学長時代からその後76歳以後、
 多くの山に登られた。 血圧が高く220〜250位有ったが平然としておられた。70歳後半
 から視力が 落ちだんだん見えなくなっていった。
 人を説得したり見る目は確かで、頼み上手“タニシの歌”が有名だった
 勝手爺さんでエゴ親父で有ったが写真写りが良く、ロングなあごが格好良かった。

公演中の齋藤敦生先生 今西錦司 山の歴史
在りし日の今西先生の肖像 山岳省察

B)高木碕男氏 岐阜県輪之内町在住(87歳)
  今西錦司先生と登った多くの山と、先生との交流の思い出を高木さんらしく(大垣弁かな)
 楽しく、飽きの来ない50分だった。
 今西さんとの付き合いは、大垣山岳協会の創立記念に講演会の講師として依頼した時か
 らだった。(高木さんは当時32歳)その後、岐阜大学の学長で岐阜に赴任された。岐阜は
 「山が有りアマゴが釣れる」と喜んで居られた。 岐阜では先ず大学の先生を中心に山の
 会(御岳会)を作られ、高木さんもその会に誘われ入った。
  その後岐阜支部を設立され、自ら支部長をされた。半年もしない内に日本山岳会の会長
 になられたため、後任の支部長を作らねばと奔そんした。大先生の後だから大変だった。
 当時工学部長の松井先生を2代目にお願いし、その代行を高木さんが補った。
  今西先生とは30年間の付き合い。お供で全国の山へ出かけた。北海道は5日間、九州は
 3日間と言うように仕事を放り出して付き合った。
  本部の会長時代全国支部懇談会を今西先生の提案で白山で行った。平瀬で前夜祭、
 地元の村長さんも呼んで盛大に行い。翌日は白水湖から登り、石川県へ降りた。後は石
 川支部にお願いした。
 今西錦司先生の教え
  1、人間は文化病だ(朝は起きる、昼にはメしと言うように決めている。別に自分の思うよう
    に生きたら良い、夜勉強してもよい)
  2、鼠は船に乗っていてこれは沈むと思ったら早く逃げる。或いは乗らない。
  3、人間は藪山をやれ、川を渡る、崖を上る等山へ登る時は、細ひも、懐中電気に「鰹節」
    を1個袋にいれリックの底こに縫い付けておけ、3年位らいは持つ、非常食に最高だ。
    3年たったら家で削って食べたらよい。雨具、ナイフなど色々の知恵が出てくる
  4、注意すること。落石、藪の跳ね返り、山の景色を見る時は止まって見よ、ナタなどを使う
    人から離れる事。
  山には前後がある話。蒙古の狼を撃つ時は親でなく子を先に撃てなどの話。
  今西先生が岐大学長を2期6年勤められ、最後の離任式での挨拶は郡上節のかわさきの
  一節の「♪郡上のなー八幡出てゆくときは・・・雨も降らぬに袖絞る・・・」を歌い壇上を去っ
  て行かれた話しは有名です。
   時間が来たのでもっといろんな事が有ったが尽きないのでおしまいにします。
   
公演中の高木碕男氏 3月15日古賀山頂上で88歳の誕生を祝う
3月15日 今西錦司先生の足跡を辿り高賀山へ

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