山岳講演会   (2009年11月13日)

      演 題] 穂高の四季をみつめて

       [講  師] 宮     (穂高岳山荘)

▲講演中の宮田八郎氏 講師の紹介をされる加藤医師

 皆さん今晩は。今、加藤先生(岐大医学部)から温かいご紹介をいただきました宮田八郎です。
紹介にあった通り、私は穂高岳山荘という穂高の稜線にある山小屋で、大体4月の中旬から11月の
初旬まで年間約200日生活し
ております。そういう暮らしをかれこれ20年以上続けておりまして、今
年は11月5日
に小屋を閉めて下山してきました。ちょうど1週間前ですけれど、何て言うのですかね、
酸素の濃さに慣れないというか、200
も薄い空気の中で暮らしているとそこに順応して、空気の濃
い所にくるとやたら眠くなるのです。僕らは低山病と呼んでいるのですけれど、これに慣れるのにあ
と1週間くらいかかるかなというところです。そういう状況ですので、きちんとしたお話ができるか
どうか非常に不安ですが、今日お集まりいただいている皆さんはそれぞれ山を愛し自然を愛されてる
方たちだと思いますので、そういう皆さんに少しでも穂高の空気、山の匂いというものをお伝えでき
たらなと思います。短い時間ですけれども、映像を交えながら8時くらいまでよろしくお願いしたい
と思います。

 ちょっと照明を落としていただけますか。それではまず写真を見てもらいますが、これはご存じの
とおり穂高のジャンダルムです。11月4日の夜、月明かりに照らされているジャンダルムです。ジャ
ンのピークの向こうに光ってる町並みというか市街地は高山市の灯りです。映像の話は後ほどゆっく
りさせていただこうと思いますが、今年1年、こういう夜景とか夜の山を撮ることにいろいろ取り組
みまして、その中の1枚です。僕は基本的には動画を撮っていまして、これはスチール写真ですけど
もこれを映像として動かすということに今年は取り組んできました。

 そんなことで、小屋を閉める直前の夜に奥穂の山頂で撮影したのですが、何でこの写真をご覧にい
れたかといいますと、画面の左上空が明るいですね。ボワっと。画面の一番端に見えている灯りはた
ぶん乗鞍の青年の家だと思うのですけれど、その右奥の明るいところです。この日はちょっと雲がか
ぶっていたのですが、その前に行った時には市街地がはっきり見えたのです。僕は奥穂の山頂には幾
度となく足を運んでいるのですけれど、あの方角に町が見えるということに初めて気付きました。

 夜の山を撮影をするようになって9月の下旬でしたかね、一晩奥穂の山頂でビバークしたのですけ
れど、その時さっき言った画面の左端方向にはっきりと市街地が見えたのです。いろいろ地図を照合
してみると、おそらく濃尾平野です。ひょっとしたら岐阜市かなと思いましたが、岐阜市は山に囲ま
れているので見えないと思うのですね。それならば名古屋ということです。名古屋の灯りが奥穂の山
頂から見えるということに気が付きまして、これはすごいんちゃうかな、と感動したのです。だから、
逆に名古屋の街中から穂高の山頂が見えるのかもしれないですね。興味おありの方はぜひ調べて教え
ていただきたいのです。
 

 今年の山はどんなだったというお話をしたいのですが、今日のお話しする内容は大きく分けて二つ
あります。一つは山での遭難救助に関わる話。ご存知のとおり、今年の夏にはトムラウシで夏山とし
ては過去に例がないような大量遭難が起こりましたし、秋には先ほどのジャンダルムで岐阜県防災ヘ
リの墜落事故がありました。穂高は非常に険しい山で、毎年亡くなる方が必ずいらっしゃいます。
そんなこともあって、その傍らで仕事をしている我々は遭難救助、レスキューに関わる機会が多いも
のですから、そのへんのお話をします。

 もう一つは、僕は山小屋の従業員という傍らで山岳映像のカメラマンもやっております。その撮影
にまつわるお話との二本立てで行きたいと思うのですけれど、途中で質疑応答の時間を設けたいと思
います。山小屋で気軽にお話し掛けくださるような雰囲気で、ざっくばらんにいろいろお話できたら
なと思っております。

 まず山岳遭難に関する話ですけれど、先ほど申しましたトムラウシの件ですね。あの事故を我々も
非常に興味をもって、どういう状況であったのか、なぜあれだけの遭難が起こってしまったのかを仲
間内で話をしているのです。先日話している時に「あぁ」と思い至ったのですが、あの事故のキーワ
ードは少し前にはやった言葉ですけれど「想定外」という言葉なのですね。

 ここにいらっしゃる皆さんそれぞれに山のご経験がおありだと思うのですが、人間は自分が今まで
経験してきた経験値の中で起こることにはある程度対処ができると思います。それが考えもしなかっ
た、さっき言った想定外という事態に接したときにどういうふうに人間はなるのか、あるいは対処が
できるのか。ましてや、それがささいな出来事ではなくて、自然の中で出会う自分の命が左右される
ような出来事ですね、そういうことに遭遇した時にどの程度対処できるものなのか。

 結論から言うと、自然の中で想定外のことに遭遇したら、いともたやすく人は命を落とさざるを得
ない、そういうものだと思うのです。この世の社会というものは、おそらくそういうものから我々の
身を守るために発達してきたもので、普段町に暮らしているということは、そういう危険からできる
限り自分たちが遠ざかろうとしていることだと思うのですね。ところが山登りは全く逆方向の行為で、
ある意味我々が原始の姿へ戻っていくわけなのです。そうしたとき遭遇する自然の脅威というものは、
普段暮らしている中では想像もできない。そういうものに遭遇してしまうと、人間は本当にあっけな
いものだということをすごく思います。自然の凄さというのは想像がつかないですよね。やはり体験
しないと分からないというか、頭の中で考えていることよりももっと凄いことが起こってしまうわけ
です。

 穂高における具体的な例をお話しします。上高地の河童橋のたもとから穂高の正面に見える大きな
谷が岳沢ですが、岳沢を経由して前穂に至って吊尾根を通って穂高岳山荘へ来るという重太郎新道と
いうコースがあります。非常に険しい道で、今は無くなってしまいましたが岳沢ヒュッテから前穂高
の紀美子平までの間の水平距離とそれに対する標高差を算出すると、おそらく日本の登山道の中で一
番傾斜度の強い登山道です。おそらく平均で40度を越えていると思うのですが、ものすごい斜度です。

 その重太郎新道を登って吊尾根を経由して穂高岳山荘へいく場合ですが、8月であっても午後に天
候が急変して雨が降り出すことがあります。吊尾根のルートは登山道がほぼ岳沢側についています。
つまり上高地側についており、そちらは風上になります。吊尾根で風雨に会うということは、3000
の稜線ですから常に横からあるい下から雨が降ってくるのです。そういう雨風にさらされてあそこを
歩くと、人によってはものの15分から30分ぐらいで動けなくなる。身につけていらっしゃる装備とか
もともとのその人の体力が当然関わってきますが、いわゆる低体温症で、それに陥る時間は驚くほど
短いのです。

 僕らが経験した遭難事故の事例ですが、紀美子平を出発する時点ではまだ晴れていました。途中で
どんどん雲が湧いてきて雨がポツポツきだして、「これは急がないかん」と言った所がちょうど紀美
子平と奥穂の中間ぐらい。そこからぐっと奥穂に向かって高度が上がっていくのですけれど、そこを
登り始めた時に雨が降り出し、あっという間に土砂降りの横殴りの雨になってしまった。当然カッパ
はお持ちだし装備はきちんとしていたのですけれど、カッパを身につける間も無く登るしかないとい
うことで登られたのです、そのお二人は。僕らはよく知っているから分かるのですが、道が険しいも
のですから確かに途中でカッパを着ようにもなかなか出来ない場所です。奥穂のピークの一つ前穂側
に南稜の頭という所があるのですけれど、ずぶ濡れになってそこへ至った時に一人が動けなくなった。
残る一人が穂高岳山荘へ駈け込んで来て「助けてくれ」というのが4年前にあったのです。

 僕らが駆けつけてみると、もう本当に意識を失いかけていましたね、残された方は。同じように歩
いてきて装備もそんなに違わないのですけれど、一人の方は小屋まで助けを呼びに来られてもう一人
の方は動けなくなった。それがもともとの体力なのか体調なのか分かりませんが、そういう差もある
し何かしらの原因でそういう状態にたやすく陥ってしまうということです。

 トムラウシの事故もあり得る話だなとものすごく思いました。あり得る話なのですが、十何人がそ
こで命を落とすというのはやはり異常事態ですね。当然そこに何らかの原因というか、我々山に携わ
る人間から見ると人為的なミスがあったかもしれないなということは思います。今後刑事事件になり
そうですから、その辺のことは僕らも結果を見守りたいと思うのですけれど、そういう大変な遭難が
今年の夏にありました。
 

 その秋に穂高でヘリ墜落ということもあって、そういうことを非常に考えさせられた年でした。
穂高というのは、ひょっとしたら世界で一番死者の多い山かもしれないと私は思っています。ギネス
ブックという記録集に、今まで累積八百何人で世界一という記録で載ってるのが日本の谷川岳です。
今から2、30年
前、ロッククライミングが日本ですごくはやった時代に、谷川岳ではもう毎日の
よう
に人が死んでいました。その後クライミングそのものがいろんな形で改良されて、あるいは谷
川岳のルートも整備されて、今は
命を落とす人がそれほどいなくなったということです。
 谷川岳では死者の数はそんなに増えていないのですが、不幸なことに穂高は平均すると年間10
程の方が命を落とされています。
 

▲満員の講演会風景1

これは今でもそうなのですね。今年も僕が知る限りでも7、8人の方が亡くなられています。これか
らまだ冬を迎えますから、平均するとやはり10人くらいの方が死んでしまうのかなと思います。穂高
というのは山域が広くて非常な人気の山なので、沢山の人が登っていらっしゃるということもあるけ
れど、これだけ人が死んでしまう山は世界でもないだろうと思います。あれだけ険しい山に大勢の方
がいらっしゃるという特異性もあるでしょう。

 今ふと気付いたのですが、講演であまりこんなことをお話しすると、うちの小屋の社長から怒られ
るんじゃないかと思いました。「お客さん来んようになるやないか」と言われそうな気がしているの
ですが、めったに死にませんからご心配なく。(笑い)私が話したのはほんの一部です。ほんの一部
なのですが、たまたま起こった遭難事故をちょっと映像に収めたものがありますので、今からご覧い
ただこうと思います。

 これは2006年の秋です。10月の頭に低気圧というか台風がきたのです。今年もこの辺りを台風が直
撃しましたね、。何号でしたっけ、17号か19号でしたね。この時期に台風が東海海上に抜けて気圧配
置が一瞬冬型っぽくなると、稜線が急激に雪になる場合があるのです。

 2006年もそうでした。その年に発生した事故はどういう状況だったかというと、さっきお話した例
の岳沢から登って穂高岳山荘へ至るルートだったのです。その日の朝は曇り空でした。台風も過ぎて
風はそこそこあったのですけれど、視界はそんなに悪くなかったのですね。遠くの方まで見えるよう
な高曇りみたいな天気でした。

 天気予報ではその後低気圧が発達するぞという話でした。僕の友人がそのとき小屋に来て「岳沢を
下りる」という話だったから、「昼からは寒気が入ってきてしぐれるかもしれないんで早めに出た方
がいいよ。午前中には岳沢まで抜けた方がいいよ」という話はしたのですが、僕も長く山にいますけ
れど、寒気が入ってきてあれだけ急激に吹雪になるとは正直いって予想しなかったのです。昼前ぐら
いに「あれ雪になったな」と言い出して午後3時くらいにはもう小屋の前に2、30p積もっていた
のです。みるみるうちです。ものすごい降り方でしたね。

 その日、逆に岳沢からうちの小屋に向かっていた男女ペアのパーティが途中で「ルートがわからな
い、動けない」という通報がありました。ジャンダルムでも5人動けないという。その時は白馬でも
遭難があって5人亡くなっています。ジャンの5人はそのままビバークして、3日目に4人救助され
て1人亡くなった。救助要請を受けた翌朝、男女ペアのパーティを救助に出た時の状況の映像です。

(ビデオ上映)その吹雪の中で一晩過ごされているわけですから、この時点では生きているか死んで
いるかわからない状況です。この雪は前日まで全くなかったのです。
「宮田さんどうぞ」
「宮田です。現在地奥穂山頂。現状にあっては視界約200m、風10mから15mぐらいです。これより
 吊尾根に向かいます」
「了解。6時10分に本人と連絡とれました。登れと言われたので登ってみたら尾根みたいなとこへ着
いたということです。何かマークがあるかと言うと近くに丸印があるということでした」

「了解しました。鎖場を通過したかの有無は分かりますか」
「それは聞いたんですけど、ちょっと定かではないです」
「はい了解。それではこれより吊尾根に向かって捜索します」
「了解。2人とも元気だということです。よろしくお願いします」
「2名とも元気の件、了解しました」
 やはり、救助に行く時に、相手が生きているか死んでいるかはものすごい大きなことなのです。
「ピーッ、ピーッ(笛の音)、オーィ、オーィ、あ、いるいるいる、あの下か」
「オーィ、救助に行くから動くなよ」
「よしよし、よし行こう」
「オーィどこだ、あれ?」
「オーィ、OK,OK、いてた」
「すみません」「○○さん?よかった、よく頑張った」
「命を助けられました」
「よしよし、ちょっと今テント張るからその中で一回暖まろう」
「はい」「彼らはテント持ってるんでとりあえずね、ここいいな、ここ下ちょっとならしてここへ
幕張って中で火焚こう。とりあえず温めて。俺のザックの中にダウン入ってる」

(小屋と通信)
「遭難者と遭遇しました。現場にあっては南稜の頭のはしごや鎖場の直下。2人とも元気です」

「了解ありがとうございます。一息いれて山荘方面へ出発していただけますか」
「はい了解。ちょっと火焚いてあっためた後ゆっくり山荘の方へ向かいたいと思います」
こちらからは全く見えません。ひと息ついてお願いします」

「了解。ちょっとヘリの見込みも無いんで稜線だしこの場所なら小屋の方が近いと思います。山荘へ
収容する方向で動きたいと思います」

「了解。凍傷なんかにかかっていないでしょうか」
「今のところ大丈夫そうです。震えてますが2人とも大丈夫です」
「了解。ありがとうございます。よろしくお願いします」

(遭難者との会話)
「この手袋はめてやって。ここから小屋までゆっくり行ってだいたい1時間くらいだけど、歩けそう
?というか生きながらえるには歩いてもらうしかないんで」

「はい、よろこんで」(風の音)
「もうちょっどやぞ、頑張って」(風の音)
「よーし、よく頑張った」
「ありがとうございました」
「よく頑張った、よかったな。ま、中入って」

 はい照明上げてください。いやー、僕も久しぶりに全部通して見たのですけれど、何か生々しいで
すね。

 この二人婚約中だったらしいのです。実は今年、助かった男の方だけ来たのですよ。「あぁ、あの
時の。よかったな、あの時は。ところで彼女は?」と聞いたら「いや、実は別れました」
「どうして?」「あの後僕の行動があまりにもふがいなかったのか、ふられました」と言っていまし
た。女って強いですよね。あのビバークでも、我々が行ったら「私は大丈夫なんですけど、この人も
大丈夫そうなんです」と言ってたでしょ。

 だけど、あれは彼がだらしなくてよかったのです。どういうことかと言うと、山の遭難では動かな
かったら助かる確率が高いのです。彼や彼女が助かったのは動かなかったためですよ。「もうだめだ、
やばい」となった時にそこで身に着けられる物全部身につけて、けなげに傘までさしてましたよね。
そこでとにかくじっとしている。下手にあがかなかったというのが生還できた一番の要因ですね。
だから、これは本当に皆さんにお教えしたいのですけれど、もし不幸にもそういう事態に陥った時に
はとにかく動かないことです。

 ただ、動かないというのは誰かが助けに来てくれるという前提ですから、誰にも言わずに山に入っ
て遭難したとき動かないというのは、これはだめですね。だから基本的に単独行は止めてくれという
のと登山届を出してくれというのはそういうことなのです。第三者に自分がこういう行動をするぞと
伝えた上で事態が起こったら、たいがい周りの人が何とかしてくれるのですよ。それを信じて待つと
いうことです。

 前聞いたすごい話で、山で遭難して7日か8日ぶりに助けられたのというのがあります。会社の社
長さんだったのですけれど、考えることがすごいですね、社長さんともなると「誰かが助けに来るは
ずだ。わしがおらんで従業員が困らない訳がないから、絶対誰かが来ると思って待ってた」と思い動
かなかったと本
人が言っていました。とにかく動かないのが最善ですね。さっきの映像ですが、彼女
らはお湯が入
った魔法瓶が一本あったそうです。人間、水分さえ摂れれば一週間や十日は生きれま
から。もっと言えば、体が濡れなければ
さらに大丈夫ですね。この間あった漁船の転覆事故でも、奇
跡的に助かった人たちは
やはり体が濡れずにそこに留まってじっと救助を待っていた。それが生還へ
のキーワードというか道だったと思うので、そういう事態に陥ったらとにかく動かないことです。

満員の講演会風景

 今日ここまですごい話をしようと思っていたのではありません。こんなことはめったに起こりませ
んから大丈夫ですよ。穂高へ来たらこんなことばかりかなと思われたら困るのですけれど、ちょっと
インパクトのある映像と思って探してたらこういうのがあったのでお見せしたのです。まあ、こうい
うことはめったには起こらないけど、たまにはあるので十分気をつけて下さい。


 
9月のヘリの事故は、いろんな意味でまだ結論が出たわけじゃないのではっきりしたことを申し上
げづらいのですけれど、やはり大きいなと思うのは、あのヘリを購入した時は8億くらいだったの
ですよ。ところがあの機体は大人気機種で、今は12億するのです。しかもあれを今度買う時は岐阜
県の県費ですよ。皆さんの税金ですよ。知事がもうすぐ次を買うと言ってましたけれど、微々たる
ものですが、僕も税金払ってますからね。

細かい話をすると長くなるのではしょりますが、あの事故はある意味人為的なミスですね。12億も
のヘリを、あまり経験の無い防災課が県警に任せずに事に及んだということが大きな原因の一つな
のですけれど、そういうシステムを作り上げた県の方に多大な責任があると思うのです。それを
「事故が起こったから、ハイ次のヘリ」というのは違うだろうとちらっと思いつつ、現場ではやは
りヘリが無ければ困るので難しいところだなぁと思います。

ヘリ事故現場の投影
あの事故の当日、僕は下界にいて山にいなかったのです。その後、落ちたヘリを回収しなきゃいけ
ないということで、うちの従業員が何人か現場に行ってどうやったらそれができるかを調査に行っ
た時の映像です。引っ掛かっていますね、あそこに。
ここは右側のピークがジャンダルムで左側が
ロバの耳です。これ登山道です。こんなところをどうやって歩けるのかと思うのですけれど、行け
ばけっこう道幅はあります。このヘリはここにローターを擦った跡がありました。メインローター
をここにぶち当てて墜落したのです。他に残骸の散っている写真があるのですけれど、あんまり整
理していないのとものすごく生々しいので、ちょっとここではお見せしません。ただ、それを見た
時には泣けてきましたね。僕もこのヘリに乗ったことがある、というより、ひょっとしたらこのヘ
リでレスキューされた第一号が僕なのです。

このヘリが入った年の春に山小屋で作業をやっていた時のことです。春先の小屋は、雪の重みに小
屋が耐えるようにたくさん支柱が立っています。支柱には木の破片を挟んでいるのですが、それが
落ちてきて目に当たって眼球を切ったのです。これはヤバイというのでヘリで下ろしてもらえとい
う話になって、納入されたばかりの若鮎Uを呼んだのです。

 そんなこともあって、ヘリって墜落したらこんなにバラバラになるのかというぐらい残骸が散って
いるのですけれど、それを見たときにはホントに泣けてきましたね。そんな出来事が今年はありました。

 とりとめもない話で申し訳けありません。えらい脅すような話をした後ですが、また来年も穂高へ
登ろうかなとお考えの方々から疑問なり聞いてみたいことがありましたら、お伺いしたいのです。
「山小屋のビールって何であんなに高いんや」とかどんなことでも結構です。ちょっと聞いてみたい
と思うことがおありでしたら、どうぞざっくばらんに尋ねていただければと思うのですがいかがでし
ょうか。

(質問)先ほどの吊尾根の遭難事故の当日、新穂高から槍平に入山しました。その翌日は大快晴だっ
たのをはっきり覚えてます。天気の状況が違いませんか。

(宮田)昼過ぎくらいから雪が舞い出して、本降りになったのはその日の午後で、翌日1日は吹雪だ
ったのですよ。それが救助した日です。さらにその翌日がピーカンの快晴です。

 冒頭の映像で感じていただきたかったのは、皆さん山小屋の中で朝食を食べてらしたですね。僕は
よく思うのですけど、ああいう時はわずか壁1枚隔てて天国と地獄なのです。小屋の中では何ら身の
危険も無くああやって暖かいご飯を食べているわけですけれど、一歩壁の外へ出たら何か持たなけれ
ば、最初にお話した自然に抗う術を持たなければ、半日と生きていられないわけですね。そういう場
所に身を晒している僕としては、ふとそういうことを感じると恐ろしいやら何というかすごいなと感
じることが多々あります。

(質問)先ほどビデオで朝食を食べていた人たちはそのまま下山しましたか、1日ぐらい待たれまし
    たか。

(宮田)前日は連休だったので、天気が悪くなり始めた時にもまだ50人くらい泊まられていたと思う
のですが、そのうちの20人くらいは天気の悪い中を下りられました。残り30人くらいは晴れてから下
山されるということでもう1泊されて、天気が良くなった後ザイテングラードを下りていただきまし
た。そこは我々がロープを張ったのですけれど、その時の裏情報をちょっとお教えすると、新雪が積
もった時に下りられる時は早い目がいいですね。人の踏んだ後はすごく滑るのですよ。だから誰も踏
んでないうちに真っ先に下りると一番下りやすいということを覚えておいてください。

(質問)下った方はアイゼンは着けていたのですか。

(宮田)アイゼンを持っている方には着けていただきましたけれど、あの時は「下地の無い雪」と僕
らは言うのですけれど、全く雪のないところにいきなり降ったものですから、アイゼンを着けてもア
イゼンがきく術がないのです。要するに踏み込んだ所がもう岩なのです。普通の靴ですと、踏み込ん
だ所と岩との間に微妙に雪なり氷が入りますからものすごく滑る。じゃアイゼンを履けばそれが止ま
るかというと、多少は効果があるのですけれど、結局アイゼンで岩を踏みますので、やはりすごく歩
きにくいですね。

 春の残雪期とか秋の新雪期にアイゼンが必要かどうかをよく聞かれるのですけれど、おおむね穂高
では軽アイゼンは役に立たないと思ってください。軽アイゼンは4本歯であれ6本歯であれ、靴の真
ん中に付けますよね。ということは、靴裏を斜面に対してフラットにおける場所じゃないと役に立た
ない。でも穂高はすごく急な場所が多いですから、雪のある所に対してつま先を蹴り込む、あるいは
踵をつけて下りていくという歩き方をせざるを得ない場所がたくさんあります。そのつま先とかかと
に爪の無いアイゼンというのは邪魔なだけです。ですから「穂高でアイゼンを持って来るなら10本爪
12本爪です」と我々はアドバイスするのです。

 もっと言うと、新雪期が特にそうなのですが、例えば小屋の前で5p10p雪が積もっていると、
「じゃあアイゼンがあれば大丈夫ですね」と言われる。けれど僕らは「いや、アイゼンがあっても大
丈夫じゃない。必要なのはアイゼンとかピッケルとかじゃなしに技術です」と言います。それと体力
ですね。体力が一番大事で、その後に技術があって最後に道具です。アイゼンがあれば大丈夫という
ことは絶対無いのです。あっても使えない、あるいはちゃんと使えるだけの技術なり体力が身に付い
ていなければ役に立たない物なのです。アイゼンとかツェルト、雪崩のビーコンなんていう道具は持
ってるだけでは役に立たないのです。

(質問)岳沢は登るのと下るのとどちらがいいですか

(宮田)これだけ脅すと皆さん相当ビビられると思うのですけれど、やはり岳沢は下るよりは登られ
た方がいいです。下った時は相当きつかったでしょう。ものすごい急斜度なので膝がもたないのです、
あの重太郎新道の下りは。
実は、雪崩で消失した岳沢ヒュッテを槍ヶ岳山荘のグループが来年以降
再建するという話になっています。今年の秋に大分資材を運んだというから、来年の夏に間に合うか
どうか分かりませんが、その情報を注意していただきたいのです。

 岳沢に拠点ができれば、例えば岐阜を朝出られて、上高地から2時間ぐらいですからその日のうち
に岳沢まで入って、翌日重太郎新道を登って吊尾根経由で穂高岳山荘までというのは非常にいいルー
トだと思うのです。上高地を朝早く出ても岳沢までの2時間というのが大きく、どうしても吊尾根を
歩くのが午後になってしまいます。夏の午後というと雷雨が発生する確率も高いですし、たいがい天
気が悪いです。早め早めに動こうとすると、岳沢という拠点があるかないかというのは大きいですよ
ね。

 来年その小屋が使えるのであれば、登りに使うのはすごくお勧めです。ただし、下るのは下れるの
ですけれど、ものすごい急斜度で下りた後にさらに上高地までの2時間というのは相当きついです。
筋肉痛を覚悟で行かれるのなら、まあいいかなと思いますが。

(質問)西穂と奥穂の間は、西穂から奥穂がいいか、その逆がいいかどちらですか。

(宮田)西穂から奥穂に行くほうが、悪い場所が全部登りになりますので技術的に易しいというか楽
です。奥穂
から西穂に向かうとその悪い場所が基本的に下りになるので、技術的に多少難しい。もち
ろん登りは登りでしん
どくて、天狗のコルとジャンダルムの間はガーンと標高差があり、あれを登ら
なければいけないというのが西穂
から来た時のポイントなのです。体力的には西穂から奥穂のほうが
大変、技術的には奥穂から西穂のほうが大変
という話で、どちらも一長一短なのです。奥穂から西穂
まで行きたいと言われる方には、一番最
初に馬の背という場所があるのですけれど、そこで怖いと思
ったら引き返して下さいと言うのです。馬の背は僕
が行っても怖いです。あの下りはやはりビビリま
すね、それと、稜線歩きですけれどアップダウンが相当ありますから体力はいりますね。実質的な標
高差は、登って下りて登って下りて2千mくらいあるのではないですか。
が行っても怖いです。
あの下りはやはりビビリますね、それと、稜線歩きですけれどアップダウンが相当ありますから体力
はいりますね。実質的な標高差は、登って下りて登って下りて2千mくらいあるのではないですか。

講演中の宮田八郎氏

 前剱から剱のルートとの比較ですか。別山尾根に比べればやはり西穂縦走の方が距離も長いので難
しいでしょうね。来年行かれるご予定ですか。そうですね。やはり天候の見定めでしょう。「梅雨明
10日」と言いますが、最近は梅雨明けがはっきりしないので7月中は止めた方がいいかな。という
のは、最近梅雨時にむちゃくちゃな降り方をよくするのですよ。それで岩の浮き方が10年くらい前よ
りもものすごく激しい。夏のはじめはああいう難しいルートは相当岩がもろいですから、8月中旬以
降で岩が安定してきた頃のほうがお勧めです。

 他にはございませんでしょうか。後ほどもう1回時間があったら質問コーナーをやりたいと思います。
それでは二つ目のテーマに入りますが、このような山小屋暮らしの傍ら、僕は映像を撮るということも
やっております。一番最初にお話したように、今年は特に夜の山の表情というものに目を向け始めたも
のですから、それをご覧いただこうかなと思います。3部構成になっていまして、一番最後に星空の映
像とかが出てきます。

 ただしお断りしておきますが、今からお見せする映像はまだちゃんとした作品になってるのではあり
ません。来年の夏前を目途に仮題ですが「穂高の空」というテーマで一本作りたいなと思っており、そ
の試作品ですので、途中途中のカットが短いのですけれど、自分なりにこんな感じだとどんなふうに見
えるのかなと試しに繋いでみたものです。まだ誰にもお見せしたことのない映像で、どんな風に見える
のだろうと僕自身も見たくて今日持って来ました。18分ほどありますが、ちょっとご覧いただきたいと
思います。

(ビデオ上映)
 はい、ありがとうございました。いい所ですね、穂高って。やはり厳しいがゆえに美しいのかなと思
います。山が厳しければ厳しいほど、自然が過酷であればあるほど、本当に気高い美しさがあると思い
ます。

 穂高ではだいたい半年の間に四季があるのですよ。僕らが小屋に入る4月は、まだ小屋の前には10
とかいう雪があるのです。そこから1年の生活を始めますから、入ったときはまだ冬ですね。それから
春になり、短い夏が過ぎるとすぐ紅葉です。紅葉といえば涸沢の紅葉が有名ですけれど、涸沢の紅葉の
美しさというのは、やはりものすごく凝縮されているためですね。ぎゅっと。

 厳密にいうと、涸沢の紅葉の見頃は1年のうち1日しかないのです。本当にきれいな日は1日だけで
す。毎日色が変わっていきますし、年によって全然違いますから、たまたまその日に行き会えるのは難
しいですが、とにかくもの凄いですよ。谷中に火がついたような紅葉になる年もあります。

 そして、11月のこの時期は早々と雪に閉ざされようとしています。ぎゅっと凝縮された、わずか半年
の季節の巡りですから、動物であれ植物であれもの凄く命が輝くのでしょう。人がそこに関わろうとし
た時の過酷さはもの凄くあるのですけれど、それゆえに美しい場所だなと思います。

 今お見せしたものは、僕があそこで暮らしていてたまたま目にすることのできたハイライトシーンで
す。多用した動きの速い映像は微速度撮影といって、時間を10倍から30倍速くらいに早めたものですが、
星空なんかはそういう風にしないと動画として作れないのです。そういうハイライトシーンをご覧いた
だいたのですが、太陽柱とか月光環とか、僕としてはこれらが何年に一度しか撮れないような特別なも
のとは思っていません。皆さんがいらっしゃっている時にも起こっているのですよ。ただ、それに気付
かれる人は意外に少ないのです。

 月光環、いわゆる月のわっかなんてものは、町中でも雲の条件さえ整えば結構見れますし、太陽柱も
そうです。濃尾平野でも見れますよ。問題はそういう現象を知っているかどうか、それと、そもそも空
を見るかですね。こういう現象は山ではしょっちゅう起こっているのですが、それを人間側が気付くか
どうかということなのです。今後とも、ぜひ自然に接していただいて山を空を見つめていただければな
と思います。

 今日は本当にとりとめのない話に終始しましたが、ありがとうございました。穂高でお待ちしていま
すので、ぜひおいで下さい。来年、穂高岳山荘へいらして「去年11月の岐阜の講演会に行ったよ」と僕
に声をかけていただければ、缶ビールをサービスさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

 もう少し時間がありますので、後半の質問タイムにしたいと思います。どなたか質問ありませんでし
ょうか。

(質問)雷を予知する方法はありますか。

(宮田)雷には僕も怖い目に逢っていますけれど、厳密なところ、山の観天望気で雷の発生を予知する
のはちょっと難しいですね。ただ経験則があって、雷というのは続きます。前日起こっていれば、今日
も起きる確率が高いのです。

 ついこの間あるところから得た知識なのですが、高度5千mの温度等を著した高層天気図というのが
あります。普通の天気予報で見る地上天気図とは違うのですが、インターネットとかで調べたら見れま
す。その高度5千mの高層天気図には、夏場で−6℃のラインがあるのですが、それが北アルプスまで
下がってきている時には上空に寒気が入っているので、地表との温度差が激しくなって雷が起きやすい。
−9℃が入ってきている時は、ほぼ間違いなく雷が、それも相当強い雷雨があるということなのです。

 ただ残念なことに、その高層天気図は当日のものだけで、予想図というのが無いのです。ですから、
山に出かけようという日にその日の高層天気図をご覧になって、−6℃線とか−9℃線ががあったら、
これは雷がやばいかもしれないと思って下さい。それと、さっきの話に続きますが、寒気はすぐには抜
けないということを目安にして下さい。

(質問)白出ルートは安全ですか。

(宮田)楽かどうかということで言いますと、一番安全というか歩き易いのはやはり涸沢経由ですね。
けれど、ご存知だと思いますが、あの界隈にある稜線の山小屋で、穂高岳山荘だけが唯一経営者が飛騨
の方で岐阜県所属の山小屋なのです。僕も住まいが飛騨の神岡ですし、当然登り下りするメインルート
は岐阜県側の白出沢になります。あのルートは斜度はありますけれど、時間的にも最短で稜線の登り下
りができますから、僕は歩き慣れた白出ルートが一番楽に感じます。

 ただし、標高差が1500mあって途中に山小屋が無いですから、1日で登ろうとするとやはりきついで
すね。まあ体力に合わせてゆっくりということであれば、上高地側から涸沢経由ということになろうか
と思います。それと、白出は夏の早い時期は雪渓がけっこう遅くまで残るのですよ。だから8月中旬以
降にならないと安定して歩けない。ところが10月の半ば以降はもう雪の心配をしないといけませんから、
9月10月の2か月足らずしか安定して歩けないということになり、一概にお勧めできないのです。涸沢
経由だったら、稜線目指して来られて天気が悪ければ涸沢で諦めるということもできますので、やはり
そちらの方がお勧めです。

(質問)若鮎Uで救助された場合どれくらいお金がいりますか。

(宮田)県の防災ヘリですから、基本的に若鮎Uの場合は無料です。これは県警ヘリでもそうです。
岐阜県エリアで起こった事故はすべて警察ヘリか防災ヘリで対応していますので、岐阜県内で起こっ
た山岳遭難に対してはヘリ費用はかからないのです。ただし、例えば行方不明になって長期にわたる
捜索のときに、ご家族の方が「ぜひここを見たい」「もっと探してくれ」ということで民間ヘリを依
頼された場合は別途料金が発生します。だいたい民間ヘリは1時間50万円くらいです。だから捜索が
一番お金がかかり、1週間毎日ヘリ飛んだらそれで家1軒建つくらいになってしまいます。

 そういう意味で、岐阜県が若鮎Uを失ったというのは非常に大きな出来事ですね。けれど、私はタ
ダだというのも問題かなと思っているのです。やはり、事故を起こした人が負担すべきものではない
かなと個人的には思うのです。世の中、タダで飛ぶヘリなんか無いですよ。当事者に請求は行かない
けれど、防災ヘリも県警ヘリも運用は県費ですから、すべて皆さの税金です。実は皆さんがご負担な
さっているという、とんでもない話なのです。何かの機会に市民の声とかでつついてやってください。

(質問)山岳遭難と海難とでは、海難のほうが緻密に捜索するのではないですか。

(宮田)往々にして、海難事故の方が相手にする人数が多いですね。件数的にも海難の方が圧倒的に
多いらしいのです。マスコミというものは薄情というか現金なもので、報道の価値は人数なのですよ。
山の遭難で1人死んだってあまり報道しないけれど、5人も死ねばもうトップニュースでしょ。1人
死のうが5人死のうが、死んだ1人は1人なわけで報道の価値に関係ないと僕は思うのですけど、人
数でいうとそういう話らしいのです。

 でも、山の遭難はそんなに報道されないかもしれないけれど、1件の事案があったら警察なんかは
もの凄く一生懸命探しますよ。最低でも1週間やそこらはヘリを飛ばせて探します。山の遭難は人数
が少ないと報道されないかもしれないけれど、現場でやることはやってらっしゃると思います。

 それでは時間がきましたので、皆さん、ご静聴どうもありがとうございました。(拍手)

                                                    (平成21年11月13日 講演)

             平成20年11月13日 山岳講演会の記念写真