第25回全国支部懇談会(福島支部主催)

 記念講演と磐梯山1818.61m)、猫魔ヶ岳1403.61m)
 火山と地震はどちらが怖い? こんな質問から入った講演会は、佐藤公氏(磐梯山噴火記念館副館長)のユーモア交えたお話に聴衆は引込まれていった。磐梯山の歳は三択で、10万歳、30万歳、100万歳? 答えは100万歳。100万年を数える磐梯山は、明治21年(1888年)の水蒸気爆発で北側の美しい小磐梯は瞬時になくなりました。その岩や土石は奔流のようになって北や東へ流れ出し、その速さは時速3050qに達したと推定されています。土石流は長瀬川や小野川、中津川を堰き止め、桧原、小野川、秋元の3湖をはじめとする無数の湖沼群が生まれた。上流の桧原本村は爆発で水没し、今も湖中に大木の枯れた根株や鎮守の鳥居を観ることができる。このような水蒸気爆発による火山活動を世界的に「バンダイ型爆発」と名付けられた。

 現在の会津磐梯山は全体的には成層火山(コニーデ)ですが、山腹には山が噴火して出来た凹地(爆発カルデラ)が残存しいて、表(南)からみたコニーデ、裏(北)からの姿が爆発カルデラと、果たして同じ火山だろうかと思うほど異なった形をしています。このような特異な形をした磐梯山を守り、後世代に残すためジオパーク活動を開始したところです、と結ばれました。
 懇親会のテーブル割は、懇親を深めるためお互いバラバラに配置された。
宮崎支部から「新ばんば踊」が披露され、北九州支部から歌いたい人達を集めての「坊がつる賛歌」と次から次へと      ▲懇親会で歌を披露する岐阜支部合唱団大いに盛り上がり、懇親会はフィナーレを迎えました。岐阜支部も頑張りましたが、大勢で歌える支部らしい歌を用意しておかなければと思うことしきりである。

 大いに飲んだが、てるてる坊主の武田さんがいなかったからか、翌日は生憎の雨模様。バス発車前から全員雨カッパに身を包み、車中の人となる。猪苗代から秋元の裏磐梯に回り、磐梯山ゴールドラインに入る。バスは赤や黄色、橙色と色彩られた秋の真っ直中をグイグイと標高を上げていく。八方台登山口で猫魔ヶ岳組と別れ、いよいよ磐梯山に向かい登り出す。ブナの原生林の中、巾が2mを越す道をゆっくりと登る。ブナの葉は茶色になって半分以上散っているだろうか。岐阜の薮山に比べて膝下くらいの笹が可愛い。

 緩やかに登り下った所で中ノ湯に出る。温泉場だが立入防止綱が張られ、朽ちかけた建物が侘びしい。左側に傾斜した木道を滑らぬように注意しながら再び登り出す。道も細くなりしばらく登ると乳白色のガスで解らぬが火口壁に出たのか、左下から風が吹き抜けゴウゴウと木々揺らす。やがて登山道は尾根から離れて右旋回しながら下り出した。いつも思うことだが、登りの中での下り道は勿体なくてしかたがない。

 いつの間にか登山道は急な登りに変わっていて、胸もとを開かなければならなくほど暑くなっていた。お花畑の別れ道からは笹竹も背丈を超し、灌木の中を登る。目の前が開けてくると弘法清水小屋に着いた。立って休息する所もないのでドヤドヤと小屋の中に入り小休止していると、何処からともなく「風が強いから頂上への登山は中止して下山」の声が耳に届く。小屋の外で班長から正式に発せられて下山となった。

我々岐阜支部員は「後、少しで頂上なのだから登らしてほしい。」の要望であったが、団体行動のため諦めざるをえなかった。中ノ湯からの登山道は雨水が川となって何処までも一緒に下り、何処もここも水浸しの中での歩行であった。

勝手な行動、好き勝手な発言をしたかもしれませんが、福島支部会員の方には大変お世話になり有り難うございました。         [今峰正利 記]

[日 時] 平成21年10月25日(日)、26日(月)

[場 所] 25日:「ホテル リステル猪苗代」福島県猪苗代町川桁天王坂2414

      26日:磐梯山、猫魔ヶ岳

[参加者] 総勢 157名 磐梯山:大脇美代、白木貞次、白木しづゑ、高木基揚、                長屋桂子、縄田さかゑ、今峰正利

             猫魔ヶ岳:佐藤正雄、

             中津川渓谷探勝:小西利雄、森本市郎、水野美代子

[タイム] 25日:「ホテル リステル猪苗代」14:30集合

      26日:ホテル玄関7:50=八方台登山口8:50−中ノ湯9:20−弘法清水                  10:52 11:00−八方台登山口12:37=ホテル玄関13:40(磐梯山          登山組)
[地 図]  1/20万;福島   1/5万:磐梯山   1/2.5万;磐梯山