言いたい放題 2月19日より

中国は子どもの頃から大好きな国だった。やさしい心温かい人々が暮らす桃源郷だと思っていた。
今回中国を旅行するに当たって、旅行記を載せている色々なHPを訪れたり実際旅行した結果、悲しい現実があった。

カオチンさんのHP http://kobe.cool.ne.jp/kaochin/ のコラム集の中に「上海の物乞い」というコラムがある。
上海のビルの谷間で出逢った異形の物乞いは、赤ん坊の時にマフィアに連れ去られ、人工的に手術をさせられ奇形に育った人だった。彼らは夜になると組織に回収され、稼ぎが少ないと食べ物がもらえない。そして朝になるとまた彼らはビルの谷間に置かれる。

身体に障害があるだけでも保護されるべきなのに、それが人工的につくられたものであり、国も誰も彼らを救ってくれない。救わないどころか色々ネットで調べてみると、公安も裁判官も役人も裏ではマフィアと繋がっているという・・・(実際のことは不明です)。

中国ではバレンタインデーに、好きな男性のために美容整形をするのが流行っているという。貧富の差が激しい中国では一部のお金持ちの人なのだろう。無理やり異形にされる人、綺麗になるお金持ち・・・。
世の中には凄惨なことや理不尽なことが溢れているとは思いながらも、40年以上も生きてきて、こんな衝撃的なことははじめてだった。なんて自分の甘かったこと・・・。

コラムを読んでから中国に出発するまで、「上海の物乞い」のことはいつも頭の隅から離れなかった。そして中国に着き、思いもよらず私も異形の物乞いと出会ってしまう。今でもいつも頭の隅に彼がいる。きっと一生涯忘れることはできないだろう。

出逢い

中国江南旅行の2日目、杭州の六和塔からバスに戻る途中、思いもよらず異形の物乞いと出逢った。
先にバスに戻った夫の後を追いかけながら、バスの前でツアー客を迎えている、日本の演歌歌手似の1号車のガイドさんをチラチラと眺めながら2号車を目指していた。

本当に良く似ているなあと、失礼を承知で振り向き振り向きガイドさんを見ていた時、ふと、ガイドさんの斜め後ろ、バスの横下方に黒い影を感じた。少し立ち止まって視線を合わせた瞬間、その影は異形の物乞いとわかる。

あっと思い、物乞いと視線があった瞬間、彼は両腕を使って私に向かって移動しようとした。
と同時に、私は踵を返し足早にバスに乗り込んだ。それは彼と視線があって一瞬のことだった。

座席について、今起こったことの訳がわからず胸がドキドキした。落ち着くにしたがい、すがり付くように私に向かってきた彼の瞳と、反射的に逃げるようにバスに乗り込んだ自分に胸がふさがれた。

彼の姿はバスの窓からは見えなかったが、窓の外を眺めながら込み上げてきそうになる涙をこらえた。話しかけてくる夫に変に思われないよう、一生懸命普通を装った。
夫に話して楽になりたかったが、日本で上海の物乞いのコラムを読んだ時も夫には話さなかった。旅行を楽しみにしている夫に、気持ちが沈むような話をしたくなかったから。

それからしばらくは異形の物乞いで頭がいっぱいだったが、時間が経つにつれあれはもしかしたら幻だったのではないかと思えるようになってきた。彼が物乞いかどうかも定かではないし、一瞬の出来事は夢幻だったのではないだろうかと。
日本でカオチンさんのコラムを読んで以来、ずっと頭の隅から異形の物乞いのことが離れなかった。余りに思いが強すぎて、幻想を見たのかもしれない。
そう思うと、どんどんそのような気がして、旅行が終わる頃にはきっと幻だったのだと思えてきた。


真実

セントレアから家に向かう電車の中、今回の旅行について夫とポツポツと話をした。
何かの話から、物乞いの話題になる。

夫: 子どもの物乞いがおったね。  
私: 荷台に乗せられた障害者の子どもがいたね。横にお母さんらしき人がいたけど、本当に親かなあ・・・。  
夫: いや、オレは見てない。
どうも私が出遭った子どもの物乞いは、夫の出遭った物乞いとは違うようだった。

障害者の子どもの物乞いの話題になった時、私はカオチンさんのHPの異形の物乞いの話をした。もう旅行も終わり、胸に留めて置けなくなったのである。そして、異形の物乞いに杭州の六和塔で出逢ったかもしれないと話した。

夫: それならオレも見た。ああいう身体だから物乞いをしているのかな、と思った。
私: 物乞いだったの?
夫: うん、前に缶を置いていた。

ああ彼はやっぱり幻ではなかったのだ。
夫を含め観光客は皆、彼に容易に気づいていたのだろう。知らぬ顔で通り過ぎる人々の中、私はガイドさんに気をとられていたため彼に気づかず、その結果、彼と目を合わすことになってしまったのだ。
その時すべてが合点した。

唯一視線があった私に、両手を使いすがるように近づこうとした彼に、私は一瞬恐怖を感じて逃げ出してしまった。
それではどうすればよかったのかと今考えてもわからないが、言える事は、もうとっくに密かに自覚していたが、私はそういう類の人間なのだ。


現実

灼熱の夏の熱いコンクリート、湿気の多い江南の厳しい寒さ、雨の日風の日、異形の物乞いにとってどれほど過酷なことだろうか。
ひと目で人為的とわかる、不自然に頭の横に突き出た足は、絶えず血液が逆流し、トイレや就寝も侭ならないだろう。
見た目のハンデがある私は、異形にされたということに先ず衝撃をうけるが、彼にとっては人にどう見られるかということなど問題ではなく、その日一日を生き抜くことだけがすべてなのだろう。
物乞いでお金を得なければ、その日の糧にありつくことができないのだから。
壮絶すぎた。

共産圏の国中国は、皆がギスギスしているように感じた。官僚や役人、権力者の不正や理不尽が横行し、市民の見方であるはずの警察も恐ろしい存在であり、貧富の格差が激しい社会では、人を思いやる余裕などないようである。
思いやっても行動に移すことは、自らを危険にすることが多い。人々は黙殺してしまうのだろう。(色々な情報の中、管理人の憶測です)


TV番組「ウルルン滞在記」に映る中国人は温かいが、個人個人はそうでも、社会全体の闇は深く暗い。
ある旅行記のサイトに、旅行者に近寄ってきた物乞いに、中国人ガイドがビンタをしたというコラムがあった。
だからといって、他国の旅行者も見て見ぬふりをして通り過ぎる。
自由の国の旅行者たちも、誰一人異形の物乞いを抱きしめる人はいない。

彼は、カオチンさんが上海で出逢った
「カーン、カーンとコップの底を地面に打ちつけている。その目には何も映っていない。ただ夏の碧い空が、白内障のように彼の黒い目を覆っているだけだった」という物乞いとは、明らかに様子が違っていた。彼は懸命に生きようとしていた。
その日すでに夕暮れ時になり、幾ばくかのお金を得なければ今日の糧がもらえないという、切羽詰った状況だったのかもしれない。

赤ちゃんの時誘拐されなければ、彼にはどんな人生があったのだろうか。靴屋さんか、農夫か、教師か、工員か・・・。平凡でも幸せな人生があったかもしれない。
生まれた場所や国が違えば、もしかしたら優れた学者になっていたかもしれない。スポーツに秀でた才能があったかもしれない。
誘拐され異形の物乞いにされ、すべての可能性が闇に消えたまま、彼は生きていくため、今日も明日も異形の身体で物乞いを続ける。

「神様は人に越えられない試練は与えない 神様は人に意味のない試練は与えない」というが、彼の試練に意味など1ナノもないだろう。
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異形の物乞いとの出逢い