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愛 称 カメオン
星 座 うお座
家 族 夫
趣
味 読書。映画も好きです。運動オンチですが、スキーと最近ゴルフを始めました。
性
格 人見知りですが、親しい人には「吉本系」と言われる。もっと親しい人には「クール」と言われた
ことがある。夫曰く「ものすごい小心者」。でも、背水の陣となるとクソ度胸が湧き出て、自分で
も怖い・・。
ハンデと向き合って
誕生
中部地方に二女として生まれる。
幼少期 大病や怪我が絶えない。
小学生 席替えの時、私の隣になったガキ大将の男の子が、私の痣について気持ち悪くって隣になりたくないという
ような事を言った。その子は一瞬にして先生に殴り飛ばされ、教室の隅に。
みんなも自分も何が起こったかわからないくらい。物静かで暴力なんて絶対振るいそうにない先生だったのに。
今なら暴力なんて大問題になっているかもしれないが、それ以来その子は決して私に何かひどい事を言う
ことはなくなり、 中学校では勉強もできたのでクラス委員などもやっていて、何より大人になって理性が
できたのだと思うが、けっこう良いヤツに成長していた。
中学生
中2.3の先生にはものすごく可愛がってもらって、自分でも先生は「エコひいき」と思うくらい。
毅然として強くて優しい先生に守ってもらえるという幸せ者だった。
思うに、私の「ハンデ」を考慮の上、担任の先生の人選もされてたのでは・・。
高校生 良い友人に恵まれ、ごく普通の高校生活だったが、電車通学途中他校生にジロジロと見られたり、心無い事を
言われる事があった。特に理性をまだ持たない児童が一番怖く、自分一人の時はまだ知らぬ顔をしてかわせ
たが、友人と一緒の時はお互いに気まずく辛かった。
1年の時、3年生のT君に恋をした。
T君は、学生で込み合うローカル電車の中でいつもつり革にぶら下がって目を閉じている、少し孤独の影がある
少年で、私は毎朝遠くからそっと見つめていた。
クリスマスか誕生日かに手編みのマフラーを名乗ることなくプレゼントしたのだが、翌年、「どんな寒い日も
マフラーは暖かです」と書いた年賀状が届いた。どうして自分とわかったのかと、嬉しさよりも恥ずかしさが先に
たち、消えてしまいたい気持ちだった。3年生はもうほとんど学校に来ることはなくそのまま卒業となったが、
ある日突然T君から家に電話があり、大学に通いながら働くということ、自宅を離れて下宿(アパート)生活を
する事などを聞いた。私は電話があった事自体に頭の中がパニックになり、「ハイ」としか言えなかった。
その後一度だけ手紙が届き、学生生活について書かれていた。返事を書かなかった自分の気持ちを考えると、
高校生の自分にとって大学生のT君は別の世界の人だったのと、自分が誰かと交際するという事が考えられ
なかったのだろう。
今考えても解らないのは、T君がどうして電話や手紙をくれたかということ。
そして、後に特殊メイクをするようになってから、男性に好意を寄せられるようになるのだが、T君はスッピンから
の出会いの私に好意を示してくれた、最初で最後の人だった。
数年後、他の大学の学園祭で女の人と連れ立って歩くT君を偶然見たのだが、うつむきながら恥ずかしそうに
女性と話すT君は、高校生の時のイメージと変わらなかった。
大学生
突然男の子から電話があり、「駅で見かけるんだけど、付き合ってくれない?」と言われる。
「エッ?どなたですか?」と聞き返す受話器の向こうから複数の男の子のクスクス笑う声が聞こえ、すべてを悟る。
こちらから切る前に切られたのがチョー無念。
18歳、
顔の痣についてそれまで一度も親に「辛い」という事を言えなかった私が、はじめて「私の痣、治らないか
なあ」と言った。母も姉もみんなで一緒に泣いて、(父も帰ってから話しを聞き泣いていたそう)はじめて自分の
中でタブーとされていた痣について、みんなの中でもタブーではなくなった日だった。
治るんだったらアメリカにでも行きたいという私の為に、親は大学病院の紹介で慶応義塾大学病院に行くこと
を決めてくれた。しかし、20数年前では「痣」についての研究はほとんどされておらず、ただ写真をたくさん撮られ、
特殊メイクアップセンターを紹介されて終った。
その頃、生活が楽ではない中、親にとって東京までの旅費はきつく、おまけに田舎者の為、姉が用意してくれた
帰りの旅券まで行きに全部渡してしまうという始末。
もう一回メイクアップ指導を受けるという事で東京に一泊したのだが、それも親には金銭的に大きな負担だった
と思う。2日目の日、宿泊先からメイクアップセンターに行くのに何時間も迷ってしまい、大都会の大通りで母と
途方にくれた。
その中で、特殊メイクを指導してくれた指導員の方が、すごくやさしくて綺麗で、それだけが救いだった。
自分も顔に青い痣があること、化粧をすると人に(痣があることを)言えなくなってしまうことなどを静かに話さ
れた。この言葉は強く印象に残り、すぐに私も同じ悩みに苦しむ。
特殊メイクは上から被せて下の色を隠すといった、いわば油絵の具のようなもので、ファンデを塗り、ムラの
ないよう丁寧に重ね塗りをした後、普通肌との境をぼかし、多量のパウダーをはたき、10分ほど落ち着かせて
からパウダーをはらい化粧水などで整える。
私の場合、およそ30分ほどかかるが、ファンデが厚い分不自然にならないようパーツの化粧も念入りにすると、
完成まで40分ぐらい要する。
首に厚いファンデを塗るというのはかなり違和感があり、長い肩こりの苦痛の始まりになる。
特殊メイクを始めてから突然男性に好意を示されるようになるのだが、いつも心の半分は冷めた気持ちと悲しい
気持ちだった。
右側にアザがあるので(化粧をしていても不自然)、右側から話し掛けられるのがすごくいやだった。
そのせいかどうかはわからないが、20歳頃から右耳が自律神経性の難聴になり、更に人に右側にこられるのが
ストレスになる。
22歳
大学を卒業。
会社員として社会へ。特殊メイクのおかげで就職ができたが、制服(着替えや襟なし制服、白い制服だとファンデ
が襟に付き目立つなど)や健康診断、社員旅行、宿泊研修など数々の困難に悩まされる。
社会人になって初めて会社の一人の友人に打ち明けた。仕事中、厚い化粧の粉が目に入って涙目になり、どんどん
目じりから化粧がはげて途方にくれ(しかもその日化粧ポーチを家にわすれてきた)、友人からファンデーションを借り
た時、「もうゴボッと全部無くなるくらい使っていいよ。」と言ってくれるさりげない気配りをしてくれる。
彼女は、襟が無い夏制服が着られなくて夏にも冬のハイネック制服を着ている私に、何も言わずそっと付き合っ
てくれていた。
25歳
姉の婚約者と出会う。
他人には決して見せられなかった素顔が、初めて見せられる。
29歳
夫と出会う。
レーザー治療を開始。
会社に研修所が設立される。TVのサラリーマンドキュメントにでるような研修所で、女子社員の研修も始まる。
研修所は共同部屋、大浴場で、一泊の研修は2日間化粧を落とさずに何とかしのげたが、2泊となると絶対無理で、
もう今度こそ退職しか道はないと覚悟する中、直属の上司と一人の同僚にいつも助けられた。
(2人にはレーザー治療をはじめる際、一大決心をして打ち明けていた)
上司は、手助けをしてくれる同僚と同じ研修グループになれるように、仕事上の理由をつけて稟議書を本社に提出して
くれ、研修生用の大浴場ではない講師用のお風呂と化粧をするための講師室の使用を確保してくれる。
お風呂から講師室に移動する際、同僚に通りかかる女子社員の視線から守ってもらい、私は頭からバスタオルを
かぶって走るという犯罪者のようだった。
朝、歯を磨いても顔は洗えないので、まだみんなが寝ている間に起きて一人洗面をした。
研修科目に登山があり、頂上ではバケツから水をかぶったように汗びっしょりになるのだが、化粧が落ちるのでみんな
のように顔も洗えない、汗もぬぐえないといった状態。
研修自体緊張するものなのに、それプラスαの苦労が大きく、研修の通達がFAXされると大げさではなく貧血を起こし
て倒れそうな気持ちになった。
31歳
結婚。夫に受け入れてもらえるか不安だった。しかし、「アザもちさん」は幸せな結婚をすると聞いたが、それは数々の
経験で、この人は人の心の痛みがわかる人、この人は傷つけられる人、という判別を本能的にできる能力が備わった
からだと思う。
癒される事があっても、「アザ」のことで夫からイヤな思いを受けたことは皆無で、「もっと強くならないとだめ」と言われ
るが、いつも静かな深い思いやりを受けている。
結婚式の衣装選びやメイクといった普通の人にとっては何でもない事が、一々大きなハードルだった。
39歳
退職。これを機にレーザー治療を再開する。
2003年6月
再就職後退職。退職と同時に難儀な化粧や肩こりから開放されたが、突然の来客の恐怖が始まる。
引きこもりにならよいよう、社会と関わっていくためにも、求職中。主婦の傍らHPの作成を始める。
長〜い
例えばテレビを見る。
あとがき もし、八頭身美人であったとしても私はタレントにはなれない。すごく親しい人には「吉本に入った方が良い」と言われ
るが山田花子のようにもなれない。ドラマを見る。「ショムニ」の女子社員の制服は、白くて襟がかなり開いたブラウス。
これは着ることができないから、この会社には入れないな。
「ロングバケーション」。見ず知らずの人にスッピンを見せるようなことは出来ないので、「せな」の部屋には住めない。
よくドラマにあるように、夜中に突然彼氏に呼び出されてもお風呂に入った後には会いに行けないし、夜中に突然訪
ねられてもカギは開けられない。
「渡る世間は鬼ばかり」。幸楽の「さつき」は苦労の連続だけど、夫にも受け止めてもらえるかどうか「石橋を叩いて割る」
ような結婚をした私に、どんなに好きでも「さつき」みたいに家出をしてダンナの家族と住む事自体ハードルである。
「ニュース」を見る。天災などで、避難所で何日も共同生活を余儀なくなされる人達。自分だったらどうしよう・・・。
頭の隅でこんな風に考える自分がいる。
私は美容院が苦手だ。
洗髪で生え際や耳の化粧が剥げ、頭の中にもアザがあるので、カットの時は消え入りたいような気持ち。
身長に比べて顔が大きく、くせ毛なのでショートでないと似合わないのだが、厚化粧や耳、首の後ろのアザを隠すため、
ショートヘアには限界がある。昨年の夏、絶対髪のすそをレイヤーにしないで下さいと言ったのに、流行だからしかた
ないのか思いっきりタコ足のようなレイヤーにされてしまった。結局首の後ろまで化粧をしないといけなくなり、それ以後
自分でカットしている。
結婚前日、美容相談があるからと式場の美容室に呼ばれた。スカーフか帽子を用意するようにと言われたので、何か
イヤな予感がしたが、なんと髪の毛をすべてピンカールされてしまい、顔をエステするという。顔のエステは丁寧に断っ
たが、ブライダルパックに含まれているというエステを他の花嫁さん達は気持ちよさそうにされていた。
あんな機会はもう二度とないので、エステをしてもらえたらどんなに幸せだったかと思うのだが、その時はピンカール頭
でどうやって電車で帰るか、それで頭はいっぱいだった。
夏もハイネックに厚化粧でなく、Tシャツにナチュラルメイクで外に出たい、なんていうこともひとつひとつ諦めてきた。
いちいち何かを諦めないといけないということはストレスであるのだが、最近こんな風にも思う。
例えば、スッピンでお風呂上りに夫とビールを飲む幸せ。この幸せを私は普通の人よりも何倍にも感じていると思う。
これってある意味至極の幸せ?
一人長生きして老人ホームに入るとする。髪の毛は年のせいで産毛のようになり、頭半分と顔と首のアザが丸出しに
なって、人間とは思えない火星人のような身寄りなし(子供がないので)の老人って苛められないかなぁ、なんて暗い
事を考えるのはよそう。今までこんなに温かい人々に支えられてきたのだから。
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