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  15 16
 

 bP

10/25
2003

 「血管腫のひとりごと」というページをみつけました。リンクフリーとはなっていないのですが、
 是非皆さんにも一読いただきたく、リンクも問題なし、と考えました。是非アクセスください。

 http://homepage2.nifty.com/yu-kiku/mself.htm
10/19
2003
 休日の夕暮れに、遠くから聞こえてくる犬の鳴き声が好きではない。黄昏ていくのがなんだか
 物悲しくて、心が不安になる。逆に、仕事を終えて会社を出た時に見る夕暮れは、充実感で全
 く違った印象を受ける。働くっていいな。
 話は突然変わるが、自宅にいる時は毎日快便で、ゴーッという音とともに大量のウンチ君が渦
 を巻いて流れ、お腹もすっきりなのだが、会社では身体も緊張しているせいかどうか、2日に一
 度ぐらいにやせ細ったウンチちゃんしか出てこない。食べる量は同じなのに。自宅にいる時流れ
 る大量のウンチ君の大半は、いったい身体の何処に行ってしまったのだろうか。ウ〜ン。
10/19
2003
 夫は私のHPを見ない。何故かというと、ひとつはパソコンが嫌いだから。パソコンは自分のゴ
 ルフスコアの記録の時しか開かない。もうひとつは活字がどうも好きではないらしい。とにかく私 
 と夫は趣味が全く違う。夫はスポーツやモーター関係の本が大好きだが、私は興味がない。
 付き合いはじめて、鈴鹿サーキットにレースを見に連れて行かれた時は、あまりに退屈で、あの
 騒音の中ずーっと寝ていた。新聞は、夫は経済欄を熱心に見るが、私は関心がなく、読者の作
 文や社説みたいなものに興味がある。夫に新聞(ローカル)の「中日春秋」欄を読むことを勧め
 る が、読みたくなさそう。HPの「Profile」や「cure」のような長い文は、間違いなく読みたくない
 と思うので無理に勧めない。ただ、心を打つ書き込みをいただいた時は、「読んで」と勧めるが、
 ハショったり斜め読みをするといけないので、目が離せない。
 「へのへのさん」へのメッセージ(掲示板参照)も読んでもらった。いつもほとんど何にも言わない
 が、読み終わって、「この高校の友達との話(火事云々のお話)、そういうもんだって。いつも一
 緒にいたら(アザなんか)気にならんて」とそれだけ。彼は長く語ることはないし、むつかしい事も
 ウンチクも言わない。だけど、ほんとにほんとにものすごく愛すべき人類である。
10/11
2003
 鏡を見る。眼のフチと頬と肩のアザは濃いめで、首は薄め。お風呂上りは全体的に濃くなる
 が、クーラーに当たっていると血の気が引いたように全体的に薄くなる。いい感じ。。でも気温
 が低ければ良いかっていうとそうではなく、真冬のさむーい日はかなり濃いめの赤黒紫色に
 なる。 更に鏡を寄せてアップで見る。1mmぐらいのレーザー痕で、まだらになっている。よく効
 いているところは、1mmの円形でほぼ普通色になっている。ならば、何回も治療を繰り返せば
 いつかはすべて普通色になりそうなものだが、そう簡単にはいかないようだ。範囲が狭ければ
 完治が可能かもしれないが、こんなに広いとやっぱりまだらになって、全部普通色になる前に
 皮膚自体にダメージを受け、どんなに歳月と費用とエネルギーが必要かしれない。
 じーっと鏡を見ていたら、悲しいのを通り越して怒れてきた。「ケッ! 1mmなんてケチくせえ事
 言ってねぇで、直径5cmのレーザーはねえんかいっ!」(江戸っ子風)
10/11
2003
 以前、「私は日常アザのことでは泣いたことがない」と書いたが、「顔面漂流記」を手にして以
 来、涙腺が破壊されてしまったようだ。すでに先週完読したのだが、家に帰り、夕飯の準備をし、
 夫の帰りを待つ間少し本を開く。涙腺が緩む箇所はたくさんあり、何度読み返してもはらはらと
 涙が出る。苦労をかけた母の事を思うと嗚咽が出るくらい悲しくて、「お母さん何してる?」と電
 話をしたいが、泣いてしまったらびっくりさせてしまうのでしない。

 今まで泣いた事がないと言ったが、一度だけ泣いた事があった。著者の石井さんが、普通の顔
 を手に入れる事を夢見、名古屋大学医学部附属病院を母親と訪ねた時期と2年も変わらない
 頃、私は母と慶応義塾大学病院を訪ねていた。石井さんと同じように医師から「今の技術では治
 りません」と言われ、石井さんはその時のことを著書の中で『喉の奥底から嗚咽がわきあがって
 きた。涙があふれた。感情が抑えられなかった。』と記されているが、まったく同じだった。
 こんな遠い所まで来たのに・・明日からも何も変わらないなんて。3.4人程の医師に囲まれる中、
 絶望感でポロポロと涙がこぼれた。その横で母が同じように涙を流していた。
 その後の特殊メイクを習い、アザを隠して生活していくという怒涛の毎日で、泣いた記憶が霞ん
 でいた。

 私が日常で泣く事がなかった一つに中学から友人に恵まれた、ということがあると思う。友人に
 いじめられたり、あざについて何かを言われることはなかったから。見知らぬ人や子供から受け
 る嫌な事はたくさんあった。暫らく何事もなく過ごし油断をしていると、突然冷水を浴びせられるよ
 うな思いをする事があり、「傷つかない為に、自分は普通で無いことを一瞬足りとも忘れてはい
 けない」と自分に言い聞かせていた。
 泣く事はなかったが、いつも心のどこかが塞がり、途方にくれ、そして疲れていた。
10/3
2003
 NHK教育TV「きらっとひかる」に出演された、「NPOユニークフェイス」会員の一人の方(女性)
 が、これからの夢は?という質問に、「モノ作りの仕事を続けて食っていければいい」とおっしゃ
 っていた。実に飄々とした感じで言われたのだが、記憶に鮮明に残っている。
 「食っていく」。容姿がどうであれ食っていかなくてはならない。
 私は、カバーマークをして「隠す」ことの苦悩や弊害を、かなりブチブチと言っているが、これは
 カバーマークに甘えているからに他ならない。可愛さあまって憎さ百倍(使い方が違うかも)。
 文句をいいながらもカバーマークなしでは生活が成り立っていかないのだ。買い置きが少なく
 なるとものすごく不安だし、天変地異やなにかで、ある日突然手に入れることができなくなった
 らどうしようと、出来れば20年分くらいは買い置きしたいくらいだ。
 カバーマークをしていても、制服やら色々なことで仕事に躓くことは頻繁にあったが、もしカバー
 マークをしていなかったら、就職の制限はもっと厳しいものだったと思う。

 大学に入学した頃はまだカバーマークをしていなかった。姉の口利きで、姉が以前バイトしてい
 たレジャー施設でバイトを始めたのだが、同じバイト学生がたくさんいる中、私だけは接客では
 ない奥の作業や、他の場所にある洗車作業にまわされる事が多かった。
 飲食店でバイトをした時も、私だけはいつも厨房の仕事だった。まあ自分で考えても、一見して
 見た目に違和感のある私が、「いらっしゃいませ」とお店の看板になるのはどうだろう、と思う。
 このお店のバイトは母が頼んでくれたのだが、子供の頃から家族で行きつけのお店だったた
 め、主人は断れなかったのかもしれない。今では、私がサービス業関係で働くということについ
 て、母や姉は違和感がなかったのだろうか、と考えたりするが、当時は、姉がバイトの口利きを
 してくれた時、「アザのある妹が恥ずかしくないのかな」と思ったことを記憶している。
 飲食店にバイトを頼んだ母は、今考えると無謀?のような気がするが、良くも悪くもそういう感覚
 で私を育ててくれたという事は、自分にとっては幸せだったと思う。カバーマークを始めてからは
 色々なバイトを自分で探し、小さな喫茶店でウエイトレスをした時は、看板娘になった。
10/3
2003
 少し前、北朝鮮の美女応援団が、ニュースやワイドショーで取り上げられていたが、私は久々に
 不気味なものを見た、と思った。一様に若く美しく、背丈や体型に至るまで画一化され、応援とは
 いえ同じ行動をとる。一種異様な光景だった。勿論美女応援団の女性が悪いというのではない
 (彼女達も体制の被害者だと思うから)。
 そもそも応援は、選手の少し年を重ねた親が来ていたり、子供が応援していたり、身体の不自
 由な人もそうでない人も(勿論若い美女も)、老若男女が選手の為に自由にするものではない
 か。美女応援団の後ろに見え隠れする母国の問題体制と、彼女達の不幸(言葉が見つからず
 適当な言葉でないかもしれない)に無頓着に追いかける男性達にため息が出た。

 突然、子供の頃に聞いた第二次世界大戦中のドイツヒットラー体制の話を思い出した。優秀な
 民族だけを残すという恐ろしい名目の元、ユダヤ人の他にも障害を持つ人たちの迫害があった
 という話だ(※これは子供の頃に聞いた話なので、詳しい真偽はわかりません)。私は子供心
 に、自分のようにアザを持つ人間も殺されたに違いないと、震えるほど怯えた記憶がある。
 弱いものや傷ついたものを切り捨てるというのは、ライオンは崖から這い上がった強い子供だ
 け育てるという話があるが、強いものだけが生き残る野生の動物と変わらないではないか。
 弱いもの傷ついたものに出会った時、愛しみ(慈しみ)の心が生まれる。やさしい気持ちが生ま
 れて、人はやっと人になるのではないだろうか。
9/27
2003
 昨年の晩秋、全身麻酔でレーザー治療をする為に、事前に病院で健康診断を受けたのだが、
 胸のレントゲンを撮る際、上半身裸にならなくてはいけなかった(レントゲン用の衣服がなかっ
 た)。私は肩にアザがある為、それだけでもドキドキするのに、半袖を着る季節ではなかった
 為、脇毛処理をしていないという失敗をしてしまった。レントゲン技師さんに「はい、腕を後ろに
 回して」と言われると、脇から毛がフサフサと・・・。多分心拍数は普段の2倍になったと思うが、
 まあたかが脇毛のことだから家で夫と大笑いして終わった。ついでに、別に誰かに何か言わ
 れたわけでもないのだが、「フン!脇毛があって何が悪い」と開き直ってみた。

 ところで、他の女性は、半袖以外の季節でもちゃんと脇毛処理をしているのだろうか。「そんな
 こと女性の身だしなみよ」と言われたら、「ごめんなさい」と怯んでしまうが、私はちゃんと毎日
 お風呂に入り、身だしなみやおしゃれにも結構気をつかっているつもりである。
 2年ほど前、通学高校生でいっぱいのローカル電車に乗った際、男子学生のズボンの裾が、
 10cmくらいボロ雑巾のようになっていて驚いた。たぶんキムタクやベッカムの真似をして、ズ
 ボンを下げて穿いているうちにボロ雑巾になったのだと思うが、キムタクやベッカムは決して
 ボロ雑巾みたいにズボンは穿いていないのに、と思った。そして、どうしてこんなに汚い格好で
 外を歩くのが恥ずかしくなくて、脇毛を生やす女性は恥ずかしいのだろうか・・と考えた。

 概念というのは厄介で恐ろしい。もし大多数の人がアザを持っていたら、それが普通になって、
 例えば鼻の頭にあるアザはイケてる、とかになるかもしれないのに。
 究極の理想だが、アザとかハゲとか見た目の概念にとらわれることのない価値観を、人類が
 持つようになったら、もう無駄なことに悩む必要は無くなるのに・・・・。人生一度きり、皮膚の色
 で悩んだり、毛の事で煩わされたりして終わってしまったら悲しい。そして以前、「アザの完治
 を発明した人にノーベル賞を」と書いたが、ノーベル賞を取れるほど優秀な人は、身体機能や
 病に苦しむ人の為にその能力を役立ててもらった方が良いに決まっている。
 そんな事を思いながらも、脇毛フサフサにしてノースリーブを着て出かける勇気は、私には無
 い。言うばっかりで本当に情けない。誰か、脇毛フサフサの勇気あるパイオニアレディが出な
 いものだろうか。
 江戸時代のお歯黒の女性を笑うように、22世紀には、「脇の下ツルツル」の21世紀の女性を
 笑っている時代があるかもしれない。


9/26
2003
 ムーミン谷にいつも「無駄じゃ無駄じゃ」と言っている妖精がいたが、私は元来がモノグサのせ
 いか、いつも頭の隅に「無駄じゃ無駄じゃ」という声が聞こえる。
 何が無駄かというと、例えば脇毛を抜いたり・・・とか。思うに、人の足は2本だが、もし大多数の
 人の足が3本だったら、2本の足の人はとても違和感があると思う。違和感というのは、大多数
 から外れている為に感じる、ただの概念にすぎない。その為に脇毛を痛い思いや面倒な思いを
 して剃ったり抜いたり、エステの脱毛もかなりのお金とエネルギーがいるだろうに・・。
 女性はどうして脇毛を処理しないといけないのだろう。北欧には処理の慣習がなくて、以前は
 オリンピックの女子選手が腕を上げた際、フサフサということがあったそうだ。けれど、こんなに
 世界が狭くなった現在では、北欧も脇毛処理の文化?にまみれてしまっているだろう。
 「みんなで生やせば怖くない」みたいに概念を変えれば、「今年は脇毛にビーズを付けるのが
 流行」、みたいにならないだろうか。
 けれど、脇毛フサフサが「普通」という概念になると、今度は薄い人が、脇毛植毛に追い込まれ
 たりするかもしれない。やっぱり難儀な事この上ない。
 (脇毛に関しては、作文用紙3枚くらい書けそうな思いがあるので、PART2を予定しています。)


9/20
2003
 19歳からカバーマークは私の分身だが、母は私が幼少の頃に一度、地元のカバーマーク取扱
 い美容室で試した事があったそうだ。
 結局、あざの範囲が広い事や何かで諦めたと思うのだが、もし子供の頃からメイクをしていた
 ら、それはそれで、というよりもその方が辛い子供時代になっていたと思う。子供が何かを隠し
 ながら生活するというのは、とてもキツイと思うから。(現代は子供でもお化粧をするので一概
 に言えないかもしれません)
 母はその美容室で、「この化粧をしているとだんだんあざが薄くなる」と言われたそうで、19歳の
 時、東京でメイク指導を受けた際、同じ事を指導員の方に聞いていた。
 指導員の方は、少し困った感じで「そういうことはないですよ」と言われ、私は「ゲッ!んな事ある
 わけないやん」とすごく恥ずかしかった。
 けれど、そんな十数年も前に美容室で言われた、誰が聞いても医学的に根拠の無いと思われる
 事を半信半疑ながらも信じて覚えていたということに、母の思いを今では感じたりしている。


9/13
2003
 世界中で争いや内戦が絶えない。そんなエネルギーがあるのなら、もっとみんなで豊かに暮ら
 せる努力をすればいいのに・・と思うのだが、理想だろう。
 敵を作って戦う。人類の性なのだろうか。今年6万年ぶりの大接近という火星を見上げた。
 地球からすべての争いがなくなるのは、宇宙人が責めてきた時だけだろう。
 地球人類の存亡をかけて、宇宙人という共通の敵を持った時、初めて人類は一致団結する。
 愚かしくない?

9/13
2003
 冬のカバーマークはけっこう辛い。首と肩、胸の近くまで化粧をしないといけないので、首回りが
 大きく開いたシャツを着る。早朝の最低気温が零度近くになる日は、30分も薄着でいられないの
 で事前に部屋を暖めておくが、低温でファンデが硬くなって(ドライヤーで炙る)、お化粧のノリが
 悪く時間がよりかかる。
 化粧落としはベトベトする為、上半身裸でクレンジングするが、髪を束ねてクレンジングして拭き
 取って、と5分くらいのことなのだが、やっぱり冬は寒い。
 ところが(ここからが本題)、クレンジングをオルビス化粧品の「クレンジングリキッド」にしてみた
 ところ、お風呂の中でクレンジングして、そのままお湯で洗い流すと、全くネバネバせずさっぱり
 洗い落とせ、後は普通に洗顔するだけでOK。
 もう寒い思いをして事前に洗面所でクレンジングすることもなく、お風呂も楽しくなった。
 昨年の私一番の傑作発見だ。色々試してみるものだなーとつくづく思った。
 ちなみにオルビスのスーパーカバリングは「クレンジングリキッド」では落ちない。スーパーカバ
 リング専用の「メイククリア」というクレンジングがある。それは量が少ないので、スーパーで売っ
 ている食用の「オリーブオイル」を試してみたら、キレイに落ちた。
 今日偶然TVで、元モデルのタレントさんが、食用オリーブオイルでクレンジングしたり、マッサー
 ジするというお話をされていて納得。

 追記
  オルビス化粧品 スーパーカバリングについてですが、私はファンデの後、「ルースパウダー ナチュラル」で
  落ち着かせます。

9/6
2003
 結婚と同時に治療は中止したのだが、その後まもなく病院から、S化粧品会社が開発したカバ
 ーファンデーションの試供を、という連絡があった。
 少しワクワクして出かけ、診察室で化粧品会社の人の指導のもと、試作品を試したのだが、イマ
 イチだった。S先生も大変残念そうで、化粧品会社の方には「これからもっと研究しますから」と
 言われ、名刺をいただいた。
 あれから10年以上経ったが、S化粧品会社は新製品を開発したのだろうか?
 1年ほど前、姉から教えられて、オルビス化粧品のスーパーカバリングというのを試してみた。
 (オルビス製品は肌にやさしいらしい)
 カバーマークよりは完成度は劣るが、手間があまりかからず、私用の外出には十分であった。
 範囲の狭い人なら更に使い心地は良いと思う。(勿論私は「オルビス化粧品」とは何の関係も
 なく、マワシモノではありません。尚、オルビスをお試しになって満足できなくても、カメオンは
 責任はとれませんので悪しからず。)
 各化粧品会社さんへ。100人に1人いるという「あざもちさん」、優れた製品を開発したら需要は
 大きく、大儲けになると思うのだがどうかな。

8/30
2003
 少女の頃、母から「『40歳過ぎたら自分の顔に責任を持つように』っていうけど、若い時はオカメ
 でも、年とともに人格が容姿になるから」って言われた。姉が、「40過ぎたらもう人生のほとんど
 が決まっとるやん。そんな頃どうでもいいわ」と言って怒っていたが、笑い事ではない。
 だって結婚や就職や人生の大イベントはほとんど40歳前に決まるもんね。
 しかし、人生90年に近づく現代、40歳はまだまだ折り返し地点だ。
 ユーミン(松任谷由実)が昔トークで、「電車に乗っていたら乗客に『あっ、ユーミンだ』『あんな
 ブスかよ』って言われた(笑)」と言っていた。
 確かにユーミンは美人・・ではないかもしれない。それに目がキツイ。
 TVで目つきがきつくていじめられ、就職もできないなど容姿の悩みを持つ人を、たくさんの美容
 専門家によって美しく変身させるという番組があるが、顔の個々のパーツの悩みも女性にとって
 は大問題。しかし、ユーミンはとても綺麗で輝いていると思う。たぶん化粧をとったらキツイと思
 われる目も、瞳がキラキラして 大変魅力的だ。
 ボディーもシェイプアップされ、内面が滲み出し、心身ともに魅力的。
 これが、「40過ぎたら自分の顔に責任を持て」ってことなのか。

8/30
2003
 十数年前読んだ遺伝の専門書に、「アザは遺伝しない」と書いてあった。
 私は仮死状態で生まれ、「この子は助からない」と言われたそうだが、母親のお腹の中で何か
 しらのトラブルがあったのかもしれない。
 身体に無理を強いたり、精神的にダメージを受ける出来事があったりはしなかったのだろうか?
 勿論母親を責めたりする目的では全くなく、「あざもちさん」の母親の妊娠中の状態調査をする
 と、何か共通なものがあるのではないかと思ったりする。
 しかし、逆に何ら原因のない、「自然界の無作為」ということが解るかもしれない。「ほんとに可
 愛い赤ちゃんだった」と母から言われることがあるが、私は子供に恵まれなかったため、母親
 としての気持ちは想像を越えない。
 ただ、少し前TVで、新生児室に7.8人の赤ちゃんが、みんな同じ方向に頭を向けてスヤスヤ眠
 っている映像を見たとき、不意に胸を打つものがあり思わず涙ぐんでしまった。
 私の母性本能かもしれない。

8/26
2003

 「24時間テレビ26 愛は地球を救う」が放送されたが、最初から最後まで感動感動で、夫とティッ
 シュペーパーが離せなかった。
 エンディングに間に合いそうにない山田花ちゃんの痛々しい姿に、頑張れ頑張れって応援したの
 だが、実は、24時間テレビが始まった当初はこの番組が大嫌いだった。
 募金コーナーの列に並ぶ人達の映像に、「そんなことよりハンディのある人をジロジロみないで。
 偽善者!」と思っていた。
 その時のテーマは、確か「寝たきりのお年寄りに介護用お風呂を」というものだったと記憶する。
 家に(高一の時亡くなったが)半身不随の祖母が居たにもかかわらず、「若かったから」という言
 い訳が全く出来ない程、テーマの事は深く考えなかった。愚かしい若い自分がいた。
 今年のテーマは「あなたを一番愛する人」で、昨年は確か「家族愛」だったと思う。
 思うことはたくさんあってうまく表現できないが、人間として一番辛くて悲しいのは、「自分を必要
 としたり、思ってくれる人が誰もいない事」ではないだろうか。
 最愛のパートナーや親や子供を亡くした人の悲しみを考えた。
 だからこそ、キレイ事ではなく「命」は地球よりも重いのだろう。
 生まれつきハンディキャップを持ち、しかも両親や「よすが」がなかったり、愛情に恵まれない子
 もいるのでは。(世界にはご飯も食べられない子がいるが。)
 そんな事を考えたら、感動の後に暗い気持ちになってしまった。

8/23
2003

        心を打つメールをいただきますが、ご本人了解の上、ひとつご紹介いたします。
          プライベートメールの公開を了承していただき、心から感謝します。


 一部略

 実は私は*年前から海外に住んでいるのです。
 あっ、ごめんなさい。前回のメールで自己紹介するのを忘れてしまい大変失礼しました。
 ニックネームは《**》です。**歳で未だシングルです。
 私のあざはカメオンさんと同じ単純性血管種で、ほぼ、*手***と広範囲にあります。
 とにかくだれかに今まで自分の思っている気持をぶちまけたかった。
 それは親でもなく、友達でもなく、私と同じハンディを持ち、同じ事で悩んでいる人。カメオンさんのHPを
 8/6に見つけた時、本当に「ヤッター!!」って思いました。
 今まで毎日毎日ながーいトンネルの真ん中で息詰まっている状態で、いつまでたっても出られないでもが
 いている状態が、ほぼ20年続いています。どうしても受け入れられなくて、、、。あざがあるって事はなんと
 か受け入れました。ただあざがある事で目にみえない差別を感じなくてはいけない、ってことがどうしても
 受け入れられず、結局いつも何かに躓くのは、あざがあるから、、、。ひらきなおればいいんだけど、それは
 性格上出来ない。でもそのことをデリカシーのない人達は「あざがあるから無理に明るくして気の毒」と言わ
 んばかりの目で見ているのに気づいてしまう分、また余計にそれがストレスになる。それがつもりに積もって
 20年にもなってしまっている常態です。

 私が海外に住みはじめたきっかけも、今までもんもんとしていた気持を吹っ切りたかったからです。日本で
 OLを*年し、その間、もちろん楽しいこと、勉強になったこと一杯あったけど、何か自分らしく生きてないな!
 っておもったんです。でも性格は変えられないし、急にポジティブな行動をしようとしてもやはりちょっと抵抗
 がありました。そんな時ワーキングホリデーという制度を知り、親の反対を押し切ってこちらに来ました。
 ここでの生活はポジティブを心がけようと最初から決めました。でも結局、この*年間で、自分からあざが
 ある事を打ち明けられたのは、一緒に住んでいたフラットメイトと私のパートナーだけでした。
 でもこの*年間は日本では経験出来なかったことが一杯できました。
 なんと言っても私の事を理解してくれるパートナーに巡り合えたこと。
 彼のおかげであざがあることで卑下する必要は全くない!ってことを本当に身を持って教えられました。
 次に、あざがあるって事はあえて公表はしなかったけど、5年以上本当に私を信頼してくれた人達により、
 責任のある仕事をさせてもらった事。
 この経験と、私にモチベーションを与えてくれたパートナーは本当に私の宝物です。

 そんな頼もしいパートナー、そして素晴らしい経験がありながらも、やはりあざがある事を忘れる事が出来た
 日は15歳以来、一日足りともありません。
 やはり今までのネガティブな経験、そして「ある」事実がトラウマとなり、いつまでも心の奥でうずいている状
 態が続いています。

 カメオンさん、ごめんなさい。ずらずらと私の愚痴をならべてしまい。ただ本当に嬉しくて、もしも日本に住んで
 いたら、あつかましいけど、「お茶でもしておしゃべりしませんか?」と聞いてしまいたいくらい嬉しいんです。
 カメオンさんは人と付き合う時、まずどう接しますか?
 HPでカメオンさんがおっしゃていたように『奇跡の人』という人達って本当にいるんですよね。
 私も数は少ないけど『奇跡の人』がいます。本当に幸せな事ですよね。あまり卑屈になるのは辞めるようにし
 ます。奇跡の人達に失礼だから。

 話しは変りますが、昨日こちらのテレビで生まれながらにして小人の人達のドキュメンタリーを見ました。
 もう涙が止まらなくて止まらなくて。
 ほんとにせかいじゅうには色々なハンディーで悩んでいる人がいるんだと教えさせられました。
 もしこの世に神様がいるなら、私が一番有り難いと思っている事は、もちろん両親の愛情、彼の愛情もありま
 すが、それと同様、あざがあることで本当に人の気持が誰よりも早く察知して気配りが出来る力をくれて有り
 難う!という事です。
 他の事ではあっても、決してハンディキャップのことで人を傷つける事はしない!ということを身を持って感じ
 ています。
 カメオンさん、本当にごめんなさい。長すぎます。今日はこのへんで。
 一部略

8/20
2003
 HPは、ほとんど自分の気持ちの整理と自己満足で作ったものだが、「HPに出会えてよかっ
 た」というメールや書き込みをいただくと、恐縮と同時に本当にうれしい。
 「自分と同じ経験や考え方の人がいた事が不思議」というメールをいただくのだが、不思議でも
 なんでもなく、同じ痛みを持つ人の思いや経験は、大小の差はあれずっと同じだったと思う。
 ただ単に、HPが最初の「窓」となっただけで、各自孤立していて接点がなかっただけなのだ。
 「あざ」は生死に関わるものでなく、五体満足で、生活の支障になるものでもない為、実際には
 精神面で多大な障害を受けているにもかかわらず、その事を口に出す事さえ(自分の中で)タブ
 ーとし、 「あざがあって辛い」何でこんなに辛いんだろうという閉塞感を常に持ちながら、それに
 ついて語り合える、理解し合える人に出会えなかった。
 社会もそういった人々を受け入れる体制ではなかったようだ。
 逆に私は、メールや書き込みを下さる方から新しい「窓」を開いていただいて、少し心が解き放
 たれたような思いがする。
 何しろ、昔は「あざみ」の花と聞いただけでも「ビクッ」としていたのだから。
 こんなに毎日「あざあざ」って、キーボードを叩いている自分が信じられない。
 メールで、「グチばっかり書いてご免なさい」と言われる事があるが、「カメオンのHP」は、わかる
 人ならわかる・・というより、読めばすぐわかると思うが、究極のグチHPだ。(恥笑)

 
 下村健一の「目のツケドコロ」 http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/030614.html 
  こちらを是非アクセス下さい

8/17
2003
 29歳で初めてレーザー治療をしたN病院は、色んな意味で思い出があるが、中でも本当に温か
 く接してくださったS先生と看護師の方々の思い出。
 先生は私が遠くから来院している事や治療の痛みや色んな事を気に掛けてくださり、看護師の
 方も温かくて、普通なら憂鬱な治療の辛さも半減していた。
 結婚の予定があることは話していたのだが、全身麻酔の治療の時、看護師さんが、「いいねー
 結婚。できない人もいるからね」と言われ、私は一瞬「・・・」という感じになった。看護師さんは
 誤解を受けたと気付いて、少し慌てて「私の事だよ」と言われ、2人で少し笑った(私が笑ってよ
 かったのか)。「きっと、麻酔前の緊張をほぐそうとしてくださったのだ、いい人だなー」と思いな
 がら私は麻酔の眠りに入っていった。
 身体や心が弱っている時に横柄な対応を受けると何倍にも辛いが、温かい看護師さんに接す
 ると、本当に「白衣の天使」だなーと思う。
 十年後、N病院にS先生を訪ねたが、もういらっしゃらなかった。
 今はどこで活躍されているのだろうか・・・。

8/16
2003
 少し前、ニュースキャスターの筑紫哲也さんナビゲーターの「スローライフ」についての番組を
 見た。「スローフーズ」というのはもっと前から知っていたが、それ以来「スローライフ」の言葉を
 よく耳にし、ちょっとした「流行」?のようだ。
 今年春放送されたSMAPの草g君主演「僕の生きる道」は、あと半年という自分の命を知り、
 残りの人生を悔いのないよう精一杯生きるというドラマなのだが、これとは真逆の生き方なの
 だろうか?・・という事を少し考えてみた。
 心身ともに充実した「スローライフ」を送っている人の姿に、真逆のようでそうではないのかも?
 なんて思った。(やっぱり真逆かな?)
 自分はというと、もし自分があと半年の命とわかったら、こんなにグダグダしていないで、親に
 なんか孝行しまくる、もっとやさしい良い人間になると思うのだが、どうかな??
 でも今は結局、今日しないといけないことを明日に伸ばし、ずっと先に考えればいい事をグダ
 グダと悩みながら一日が過ぎていく。

8/9
2003
 私が自分のHPを作ろうと思ったのは、「ちょこさん」のHP(LINK参照)に出会ったから。
 それまでの日常で、あざのことでは一度も泣いた事はなかった。
 何しろ泣いていたら先に進めないから。
 毎朝の化粧。注意しないとファンデが薄くてあざが映ったり(会社の明るい洗面所でギョとする)、
 濃すぎると「今日顔腫れてない?」って心配されたりする。
 ファンデが擦れて剥げたり、襟についたりしないよう、首をまわさないよう気をつけて、肩こりで
 パンパンになり、朝夕の制服の着替えに神経を遣い、髪が伸びてきたら美容院へ行く心の準備
 をし、健康診断、社員旅行、宿泊研修などなど・・・どう乗り切るか・・。
 家に一人でスッピンでいる時は、突然の来客が怖くて風の音にもドキっとし、郵便受けには帽子
 をかぶってダッシュする。
 あざとの付き合いは日常で、いちいち泣いていたらほんとに一歩も前に進めないのだもの。
 けれど、ちょこさんのHPに出会い、
  「あざがあって辛い」と感じる事は、恥ずかしい事ではありません。むしろ、自然な事だ
  と思います。 「辛くて、苦しくて、泣いてもいいんだよ。我慢する事はないんだよ。」と、
  貴方に伝えたい。

 を読んだ時、今まで溜まっていた澱みたいなものがどっと出たのか、独りで大泣きしてしまった。
 思うと、あざも辛いけど、それをそこまでして隠している自分が恥ずかしくて、クヨクヨしている
 自分が情けなくて嫌な事がとても辛かったのだ。

8/8
2003
 映画はそんなにたくさん観る方ではないが、今まで観た中で、私の中の一番は「追憶」(米)。
 アメリカ社会の問題が背景にあるのだが、「バーバラ・ストライサンド」の「ロバート・レッドフォー
 ド」への思いが、最初から最後まで切なくて、ラストで「バーバラ」が「ロバート」の前髪を愛しそう
 に掻き揚げるシーンは、何度見ても目玉が溶けるほど涙が出る。
 映画音楽は日本でもTVCMで流れた事のある名曲。
 その他はやっぱり「タイタニック」(米)(レオ様のですよ)。あと、「顔のない天使」(米)と「異人たち
 との夏」(邦)は、ともに火傷という見た目の障害を持つ人が登場する。
 どちらも話題になったが、まだ観ていない方にお薦め。

8/3
2003
 動物はとても可愛い。私は特に犬が好きだ。
 毛むくじゃらの生き物ってどうしてあんなに可愛いのだろう。
 犬やネコを見ると、「いいなあ毛があるから皮膚の色に悩まなくって・・」なんてお馬鹿な事を
 思ったりする。
 数十年前、中国で全身(顔も)が濃い体毛で被われた少年の事が記事になり話題になった。
 姉が、「毛むくじゃらの子ってきっと可愛いよ。毛で被われた生き物って可愛いもん」って、真剣
 というか普通に言っていた。私は「??!!」だったけど、「おねえちゃんって発想が面白い」と
 思った。
 人間はいつから「毛」を不要としてきたのだろう。でもハンパに「毛」を残したばっかりに、カツラ
 をかぶったり、ワキ毛を処理したり、難儀な事この上ない。 

8/2
2003
 むかーし無口な父が、「月に行ける時代に何でアザぐらい治らん」と言って、涙を溜めていたと
 母から聞いた。何かしらの「あざもちさん」は100人に1人という。
 どんな種類のあざも完璧に治せる発明者がでたら、ノーベル財団さん、どうかノーベル賞を授与
 して下さい。