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  bT

3/26
2005
当たり前の話だけれど人それぞれに性格や人格があり、同じアザもちさんでも人によって感じ方は様々だ。有るより無かったほうが良いと思うのは共通としても、すごーく苦にする人やさほど苦にしない人、アザの捉え方は性格に左右されることが大きい。余命いくばくといわれて前向きになる人絶望する人、自分の幸せは案外自分の性格や心の中にあるのかもしれない。
でもだからといって、自分のハンデを乗り越えられないのは本人のせい、ということは絶対にない。苛められやすい子というのがあるようだが、苛める子より苛められる子が悪いということも絶対にない。それは、空き巣に入られたのは、泥棒よりも入られたほうが悪いという恐ろしい自己責任になってしまう。
ハンデを克服できない人を責めるのではなく、ハンデにやさしくない社会を改善するほうが大切、ということを前提として。


子どもの頃、悪ガキにアザのことを何回か言われた記憶はあるが、友人からアザのことで苛められたことはなかった。幼少期はガキ大将によく苛められたが、それはアザのせいではなく、私の性格があまりに弱くて絶好の苛めの対象になったからだ。けれど大きくなるにつれて、母譲りのおちゃめな性格が幸いし、結構人気者だったりして苛めはなくなった。
それでもアザのハンデは其処彼処に存在し、大人になってからはカバーマークで生活を始め、絶対のピンチの時は思い切って友人に打ち明けたりして、何とか乗り切って生きてきた。
辛いのは、辛いと言えないこと、アザのことでは孤立していたこと。
アザを打ち明けても、ほとんどは腫れ物にさわるように、アザについて二度と触れる人はいなかった。閉塞しながらもそんなことは仕方がないと思っていたが、HPを通じて同じ痛みを持つ人と接し、心が解放された。

幼少期、母親は私を連れて死んでしまおうと思ったことがあったようだが、今までの人生の中、私はいくつかの幸せを感じてきた。母親は今では死のうと思ったことは忘却し、趣味を楽しんだり、淋しいという漠然としたものに悩んでいる。あの時死ななくてよかったようだ。
アザは有るより無いほうがいいに決まっているが、アザのせいで幸せを感じることもある。お風呂上りにスッピンでビールを飲む幸せ。病気になってはじめて健康のありがたさに気づくことがあるが、普通のことがものすごく幸せに感じる。

私は実はかなりネガティブである。こんなことを親が聞いたら悲しむだろうが、一生懸命育ててもらったことには感謝しているが、生んでくれてありがとうと思ったことはない。
歌手のさだまさしさんが、「人生バラ色なんていうけど、そんなことはほんの一瞬で、人生は辛いことの連続」と言っていた。同感である。
それでも時々に幸せを感じることができる。もしかしたら根底に意外とお気楽な性格が潜んでいるのかもしれない。
もしタイムマシンで過去に行けるのなら、母に言ってあげたい。「赤ちゃん(私)は案外強いから大丈夫だよ」
3/5
2005
石井政之氏のHPで見つけた、韓国の障害者福祉法の「顔面障害者」認定というのは、どういうものなのだろうか?と考えてみる。
どんな障害の人が対象となるのだろうか、アザもちさんも対象になるのだろうか?ということを考えていたら、ちょっと複雑な気持ちになった。
知的障害者や身体障害者の人には、差別しないことは勿論のこと、社会のサポートが必要となる。けれど私たちアザもちさんのほとんどは、機能に障害があるわけではないのでサポートを必要としない。ただただやさしく見守ってほしいだけである。
現在は映画の悪役のシンボルとされてしまうような扱いだが、概念の問題なので、いつかは社会に「普通」として受け入れられることが何よりである。なので障害者とされるのは望まないという当事者も多いだろう。
私はほとんど願望によって、いつかは悪しき概念が崩れる社会になると信じているが、心の底ではそんなユートピアのような社会はこないのでは・・・と感じている自分もいる。自分自身そんな概念を持てるかどうか自信がないのだもの・・・。

韓国では、整形やプチ整形が社会に普通に浸透していると聞いた。親子で仲良く整形ということもあるそうだ。
美容整形というと、日本では「ビューティコロシアム」という番組を思い出す。この番組については、石井政之氏著書「肉体不平等」に扱われている。
自分を美しくない(醜い)と思っている当事者(一般人)が、容姿によって受けた差別や辛かったことを話す。そして、数人の美容専門家によって美しく変身するという番組なのだが、明るく印象のよい当事者はみんなに同情されスムーズに美容変身まで到達できるのだが、印象が暗い当事者は、性格までよってたかって罵倒され、挙句の果てに何もしてもらえないということもある。
カメラの前で、自信がないという自分の容姿や辛かった経験をさらけ出し、美容変身前、後の姿をさらけ出す。あらためて思うに、現代版見世物小屋のような番組だった。

私は綺麗に変身していく人たちを目の当たりにし、皮膚の状態や色さえちゃんとしていれば、顔のパーツは何とでもなるのだと、羨ましいような思いをしたことがあったのだが、夫はこの番組を拒絶していた。
数回私に付き合って見ていたが、何回目からか見たくないと言って部屋を離れるようになった。自分が見たい番組でなくても、いつも私に付き合ってくれていた夫が、そこまで見たくないのならと私も見るのを止めた。
一度だけ、「女性の司会者が薄ら笑いをしていた」と暗い顔で怒っていたことがある。
難しいことや多くを語らない夫の心はわかりにくいが、「肉体不平等」を読んで合点がいった。奇跡の人である夫のピュアな心には、耐えられない番組だったのだ。

最近TVで、韓国の映画監督が自国の映画を、「美しいことばかりに走りすぎている」と言っていた。
社会が美容整形を普通に受け入れ、美しいことを是とする流れの副産物が「顔面障害者」認定だとしたら、私のユートピアは遠くに行ってしまうようで、なんだか複雑である。
2/26
2005

=私が出逢ったアザもちさん B−2 =

ハローワークの求職受付の前にポツネン(私にはそう見えた)と佇むアザもちさんを目にして、色んな思いが頭の中を渦巻いた。
石井政之氏著書「迷いの体」の中の章より

働く意欲があり、頑強な肉体を持った松川さんは、今、自分が難病であることによって就職できないのだ、という現実をより深く理解するようになっている。「次の仕事の希望はあるけれども、仕事に就くための技術がぼくにはない。今の風呂付きのアパートの家賃を払っていくのがやっと。都営住宅に入りたいけれど、ぼくが身体障害者じゃないので入れないんです。」
見かけが異形であるために、就職差別を受ける。松川さんは身体コンプレックスよりも、就職ができない理不尽さに対して怒りを覚えていた。そして、そのような社会が自分の生活を保護すべきではないか、という。
松川さんは、イメージより現実の経済的逼迫からの脱出口を求めていた。


石井氏の書籍を読んだ同じ頃、TVで代議士2世の番組を目にした。本人に志があるかどうかは別にして、1世の後釜として担ぎ上げられたという感じの代議士に、不思議な違和感を覚えた。この人に、社会の片隅で(表現が適切でないかもしれませんが)一生懸命生きている松川さんの存在が理解できるだろうか?目を向けることができるだろうか?

幕末の混乱期、列強国が虎視眈々と狙う中、国内で内乱などしていたら、「日本は滅びるぜよ」といって、薩長同盟を仲介した坂本竜馬は、アメリカの初代大統領ワシントンの子息が世襲することなく、靴屋になったのか八百屋になったのかもわからないということに、胸を打たれた。
長宗我部氏が徳川軍に負け山内氏が藩主になって以来、坂本ら長宗我部旧臣の下級武士は、武士とは名ばかり地を舐めるような生活を強いられてきた。その爆発が幕末とも言われている。将軍や大名が世襲することのない社会・・・、どれほどの衝撃をうけたことか・・・。
まあ、親の志を受け継いで代議士になったという人には1歩譲ったとしても、生まれつきセレブの人生を歩んで担ぎ上げられた人が、社会の片隅で一生懸命生きている人に目を向けることができるのだろうかという疑問が沸いてしまうのは私だけだろうか?
どちらにしても選挙当選をしてのことなので、異議を唱えることではないのだが・・・・。

いつの世も、世の中は公平ではなく理不尽が存在する。
それでも当事者の声が反映される社会はそう遠くない気もする・・。当事者は黙することなくメッセージしなければいけない。
「もう何だかすべてがイヤになってしまったよ」と心が萎えてしまった時、石井政之氏の著書や活動は私の心を救う。
26日石井氏のHP「石猿日記」にこんな記事を目にした。

『おっと、韓国の障害者福祉法のなかで、「顔面障害者」が認定されたという情報をいただきました。感謝。はやく翻訳が読みたい。』

2/13
2005

=私が出逢ったアザもちさん B =

30歳代の終わりに失業をした。リストラになったわけではなく、会社の組織体制が変わり、転勤命令が出たから。転勤先は通勤も近く真新しいオフィスが用意されていた。けれど、今までの環境から一変することが自分には耐えがたく、思い切って退職の道を選んだ。
十何年間勤めた会社を辞めるということは、覚悟はしていたが辛かった。自分の存在価値が無くなってしまったような気もした。暫く悶々とした日々を過ごした後、ハローワークの職業訓練学校に通い資格を取ったり、私は復活への努力を始めた。
ハローワークには失業給付金の手続きや求職に足しげく通った。
ちょうど失業率が最悪といわれた頃、ハローワークは人でごった返し、何度訪れても気持ちが荒む風景の中、就職相談の受付近くのベンチに座るアザもちさんと出会った。

顔半分にかなり濃い単純性血管腫を持つ、30歳代から40歳ぐらいの男性だろうか。私は男性が視界に入ったあと直ぐに視線をはずし、自分の受付bェ呼ばれることに集中したが、色々な思いがグルグルと頭を回ってしまう。
男性は失業しているのだろう。この就職難といわれる時代に、何か技術はあるのだろうか。あの大きなアザはおそらく就職のネックになるだろう・・・・。
就職のネックについては、石井政之氏の著書に詳しい。顔に障害を持つ男性が受けた就職差別は、

「君の能力からするとサービス業より公務員の方が向いている。適性にあわないと思うのですが・・・・」
「うちでは採用したい。だけどうちはサービス会社だ。キミの化けものみたいな顔ではフロントに置いていく訳にはいかない。成績もよいし申し分ないんだけど・・・・それより来年に公務員試験をうけたらどうですか?」(「顔面漂流記」より)

特別な能力や才能、技術でもなければ、他の人と互角に戦って採用されるチャンスは厳しい。少し前には、面接担当者にアピールするため、女子学生のプチ整形などという記事も載る社会だ。美しいことが優先される時代に、見た目に障害をもつものが差別を受けず就職の門が開かれるのは、公務員だけということなのだろうか。

石井氏の書籍「迷いの体」に、レックリングハウゼン病という、映画「エレファントマン」で知られた難病を持つ男性についての章がある。

「結婚を考えると、こういう体だからね・・・・。十五歳で東京に出る時に、結婚しないときめたんだよね。」という男性の洒落っ気のない服装と話し方は、女性との交際経験がほとんどないことを如実に語っていた。男性は四十四歳だが、もっと年配の男性と向き合っているような錯覚を受けた。
ファッションや流行とは無縁。ただ生きていくことが最優先される。
男性にとって、異性から好意を寄せられたい、人の視線が気になるとかいうことは、別次元のことであり、健康診断書や自分の見かけによって、履歴書が突き返されてしまう現実とどう闘うかが問題だった。(書籍より抜粋及び意訳)
生きていくことは食べていくこと、食べていくには働かなくてはいけない。その就労が見かけによって差別され、できないという暗澹たる現実。

その後、1日に2社の面接を受けた私は、2社ともに気に入ってもらえその場で内定をもらった。
しかし、面接担当者からの好意ある説明をよそに、2社ともに私には着ることができない社員の制服に心がふさいだ。
帰宅後姉に電話をして弱音をはいた上、夜夫の「面接どうだった?」という言葉に、思わず甘えが出てしまった。「どちらも私には着れない制服があるんやて・・・。こんなことじゃどこにも就職なんかできん。」というなり、涙が込み上げてきた。
以前、アザのことでは泣いたことがないといったが、HPを始めて以来心が解き放たれつつあった私は、頑なな心から弱音をはいたり甘えたりできるようになっていた。自分としては気持ちが楽になるが、聞かされる姉や夫はたまったものではないだろう。
「別にそんなに無理して働かなくても家におればいいやん」と、私よりも悲しそうに気遣ってくれる夫の言葉に、心が和らいだ。
そう、私が働きたいのは食べていかなくてはならないためではない。引きこもりにならないようにとか、自分の存在価値とか、そんなことのためなのだ。そもそも食べていかなければいけなかったら、前の会社の転勤命令も受けただろう。

もしカバーマークをしていなかったら、あの2社の採用はあっただろうか、ハローワークで出会った男性のように、食べていくため、生きていくために就職活動をしなければならなかったら、凡庸な自分の人生はどんなだったろうかという思いが頭をよぎる。怖くて戦慄が走った。

(次回につづく)

1/30
2005
=私が出逢ったアザもちさん A =

現在はネットで注文をしているが、今ままでカバーマークを求めるために、4・5箇所のカバーマーク取り扱い店を訪ねた。
カバーマーク取り扱いの美容院は、カリスマ美容師がいたり、ガラス張りといった今風のお洒落な美容室ではなく、一様に長い年月営業している昔ながらの美容院ばかりであった。
数箇所を転々としたのは、お店がカバーマークの取り扱いを止めたり、店主が突然亡くなり閉店といったことなどで、その都度新しいお店を探した。
そのお店の中のひとつで、同じアザ持ちさんと出会った。

やっぱり古びた小さな美容院で、店主は、あくまでもイメージだが、「千と千尋の神隠し」の湯バアのようだった。在庫確認の予約電話をした後訪ねると、色んなグッズをおまけしてくれたり、お化粧を「上手上手」と言って褒めてくれた。人は悪くないと思うのだが、火傷を負った人や男性もカバーマークを購入しにくることなど、おしゃべりの延長で話すようなことではないことを軽口する店主に、気持ちが萎えることがあった。

そして、一度だけ湯バアの美容院には似つかわしくない、若くて美しい女性に購入の対応をしてもらったことがあり、その女性が同じアザもちさんだった。
カバーマークを購入する私に、彼女の方から自分にもアザがあり、カバーマークをしていることを少し遠慮がちに告げた。美しい顔だちに、そういえば濃いというよりも、綺麗過ぎる肌色をした彼女の化粧に、同じアザもちさんである私は、「ああ」と思った。
「年齢とともにカバーマークにも無理を感じてレーザー治療を始めたのだけど、効果はいまひとつでね・・。」という彼女の短い言葉に、私は胸いっぱいに染み入るくらい共感した。
「でもまだ若いでしょう?」という私の言葉に、「若く見られるけど、結構年なんですよ。」という彼女に、私も3・4歳は若く見られていたので、案外自分と同じくらいの年齢なのかもしれないと思った。
30歳を越えて、細かい小じわや皮膚のたるみに、カバーマークがキレイにのらないことを感じるようになっていたから。

話はそれるが、5cmのアザよりも10cmのアザを持っている人の方が辛いかというと、そうでは決してない。心の痛みは、アザの大きさや状態とは比例しない。けれど、批判があるかもしれないことを承知でいえば、カバーメイクの苦労は、アザの大きさや状態に比例する。
恐らく彼女も、瞼や目じりや目の下といった、しわが入りやすく、化粧がのり難い場所にアザを持っていたのだろう。

レーザー治療も、最初は明らかに薄くなっていく効果に感動していたが、続けていくうちに限界があることを悟っていた私は、彼女とのほんの2・3分の会話で、何十年来もの旧友、戦友?に出会ったような共感を覚えたのである。
もっとたくさん色々なことを話したかったが、お店の人を気にしていたのかもしれない、余り長くは話したくないような彼女の雰囲気を察して、私はお店を後にした。その後彼女を見かけなくなり、ある時店主にそれとなく尋ねてみた。店主は、彼女はお店を辞めたことや、また悪気はなさそうなおしゃべりをしていた。

名前もしらない彼女ともう出会うことはないだろう。けれど思い出す度に、旧友のような懐かしさが込み上げてくる。ひっそりと儚げだった彼女に、届かないけれどそっと心の中でメッセージを送る。
「お互い色々と大変ですよね。けれど私はなんとか元気に暮らしています。貴女はどうしていますか?幸せですか?・・」
1/15
2005
大変遅ればせですが、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、昨年ミイさんオフホワイトさんから情報(BBS 7/26 キャビロンで検索可)をいただいたキャビロンスプレーについて、ご報告を。

使用後の感想をなるべく詳細にお伝えしようと思ったため、こんなに遅くなってしまいましたが、結局効果については未だ曖昧です。
確かにスプレーをした皮膚には薄い膜をはりますが、1日の衣服の擦れには万全ではないようです。
ただし、以前は衣服にカバーメイクが付かないよう、無意識に首が固まっていたのですが、スプレーをしているという意識が定着すると、肩凝りは少し楽になったような気がします。
冬の首周りがしっかりとした衣服の方が効果大と思ったのですが、ハイネックの擦れには余り効果がないようで、現在は使用していません。
夏服の方が効果は良いように思います。
使用方法は、10cmくらいから均一にスプレーするのですが、スプレーし過ぎたり、乾く前に首をよじったりすると化粧がよじれてしまいます。薄くスプレーすることが大切です。
私の場合、首半分にスプレーして、1本で40日間ほど使用できます。費用を別にすれば、使用する方がしないより勿論良いと思いました。
これはあくまでも私の感想ということでご了承ください。

以前シャドウさんから情報をいただいた、専門スタッフ在駐のグラファラボラトリーズ(カバーマーク)扱い店の大阪のお店で購入しました。シャドウさんの情報は下記です。

       

     画像が悪いですがこんな
     感じです


 @商品名   3M Cavilon (キャビロン 非アルコール
          性皮膜)

 A料金      1本 2100円

 B購入     代金と送料500円を現金書留で郵送
  (送付依頼の場合)     

 C容量     28mL (容器縦11cm)

 D使用期限  製造日より3年
 



 関東 新宿区西新宿8-5-1野村不動産西新宿共同ビル6F
   03-5348-1451

 関西 大阪市北区豊崎3-19-3ピアスタワー5F  (こちらで購入しました)
   06-6376-5619

 中部 サンヘアー中部
   中村区名駅3-13-28セブンスタービル11095
   052-583-9676 


12/31
2004

思いがけず、一面銀世界の大晦日となりました。

昨日のNHKスペシャル(再放送最終回)に、人類の祖先は地球の変動に対応し生き残るため進化し続け、究極の進化のひとつに高性能の視力を持った、とありました。
地球の色とりどりの世界を、鮮やかにはっきりと映し出す視力を持つのは人類だけであり、この視力によって人類は表情を獲得し、言語に繋がりました。すごい文化ですよね。

一方、この鮮明な視力によって、美醜という概念に悩まされるという弊害を生んだというのは、皮肉なことです。
番組は、地球で王者として栄えたものは必ず滅びる(滅びている)、奢れる人類を救うのは、人が持つ言語能力であるかもしれないという警鐘で括られました。
人類は何千年、何万年後にも存在しているのだろうか、どんな進化を遂げていくのだろうかなどと考えても、スパンが長すぎて頭がクラクラしてきます。
私的には、今夜の紅白歌合戦の「マツケンサンバ」の方が気になります(笑)。

今年HPを訪れてくださったみなさん、一年間本当にありがとうございました。
来年もみなさんに支えていただいて、マイペースで運営していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

12/18
2004
長ーいこと体調をこわしてしまいました。HPは掲示板の不審な書き込みをチェックするだけで精一杯だったのですが、はじめて書き込みされる方にも、みなさんが真摯なレスをくださって、また改めて、なんてステキな人たちが集うBBSになったのだろうと、感激新たです。ありがとうございます。

以前、『普段「ある」と意識しないところは、悪くしてはじめて「ある」と意識する』と聞いた。
ふーんなるほど、痛くなってはじめて、ここに胃がある、腸があると感じる。普段は意識しない。
ここひと月くらい、私の身体は喉と目と頭が存在を主張している。ヒリヒリ、ズキズキ、痛みは喉から目、前頭にぬける。喉も頭もちぎって捨ててしまいたいくらいだ。

そして痛くも痒くもないのだが、いつも「ある」と意識し続けて40年なのが、やっぱりアザだ。
カバーマークを使用するようになってからでも、アザのある右側には絶えず意識が働く。
素顔で暮らしていた頃のアザの意識はどうだったろうか?と思い起こしてみた。今とは比べものにならないくらい意識していたと思う。
絶えず周りを気にしていた。電車の中では、まず悪ガキがいないかどうかを素早くチェックする。右側に窓やドアがくるように位置を確保する。向い合い座席電車では、前列に座っている人の視線を感じた。私が目を向けるとサッと視線をそらすのだが、またチラと視線はもどる。
意識は、絶えずアザのあたりが薄ら寒いという感覚だった。

まだカバーマークをしていなかった大学一年の時、友人の会社でバイトをした。同じくバイトに来ていたひとつ年下の男の子(S君)と帰りの電車が一緒だった。
子どもの頃はともかく、娘になってから男性と二人で会話するということは始めてだったのだが、年下という気安さもあってとりとめのないことを話しながら帰った。
いつも絶対そういうことにならないように気をつけていたのだが、ある日、S君が私の右側に座るというアクシデントが起きた。私はいつものようにおしゃべりすることができず、うつむき加減になってしまう。その時のアザの意識は、凍りつくような感覚だろうか。
聡明でやさしい子だったS君は、明らかにいつもと様子が違う私の心理を、察知していたかもしれない。
年頃になって、高校の友人も大学の友人も次々と彼氏やボーイフレンドができ、付き合ったり別れたりを繰り返していた。私は男性と付き合ったことも声を掛けられたこともなかった。
凍りつくようなアザの感覚を意識しながら、S君はすごくいい子だけど、アザのある私に恋愛感情を持つことは絶対ないだろうな、一生私には恋愛も結婚もないのかもしれない、そう思った。悲しくて悔しかった。

話はそれるが、カバーメイクをするようになってから、男性に頻繁に声を掛けられるようになった。嘘みたいな笑い話だが、電車の中ではチカンに悩まされるようになった。
恋愛は、自分が好きになる人はすべて諦めた。付き合う人は、自分のハンデがあまり卑屈にならないような人を選んだ。そのズルさはアザのせいではなく、自分の心の弱さのせいだ。
一度だけ、はじめて付き合った人にアザを打ち明けた。
「いいよ、だけど外に出る時はちゃんと(カバーメイク)しないといけないよ、なっ」と言われた。
今なら最初からそんなことを言う人はNGと即断できるが、若かった私は途方にくれながらも「うん」と頷いた。悲しいほどに色々と最低な人だったが、この言葉だけ今でも心のシミとして残っている。結局その人とは素顔を見せることなく別れた。何万年付き合っても素顔を見せることはできなかっただろう。
紆余曲折回り道をして、30を過ぎてやっと安らぎの場所を見つけた。けれどたまに思うことがある。もし素顔で精一杯20代を生きていたら、また違った出会いや人生が待っていたかもしれないと。
うーん、やっぱりないかな。あったかなかったか、今では闇の中である。

話は戻って、アザの意識はいつも付きまとう。奇跡の人夫でも、右側にこられるのは今でも好まない。
睡眠中右頬がかゆくなる。爪をたてた瞬間、カバーメイクを削ってしまったのではないかとハッと目が覚め、睡眠中だと気づいてまた眠りに入る。アザの意識からは24時間365日逃れることはできないようだ。
いつか永遠の眠りとともに意識は消えるだろう。身体の痛みも心の痛みも消える。「顔面漂流記」にあるように、アザは生きている証である。いつか無となるのなら、精一杯生きてみようという気持ちになる。(生きているから頑張るのではなく、いつか死がくるから頑張ろうという考えは、何かをしたいために頑張るのではなく、何かから逃れたいから頑張るという、私の生き様そのもののようで恥ずかしいが・・・恥笑)

今私の身体で一番に主張しているのは上あごである。口内炎ができていて、痛くて食事が苦痛なのである。普段上あごなんて全く意識しないのに、「ここにあるぞ」と主張しまくる。かんべんしてくれ。

11/28
2004
幼少の頃の放射線治療のため、自分はいつか白血病になるのではと、ずっと思っていた。だから、骨髄バンクに関するものを目にすると胸が痛んだ。みんながドナー登録をすればたくさんの人が助かる。けれど当事者でない人にむりやり強要することができない。当事者になった人は、自分にあうドナーをどんな思いで待っているのだろうかと。
そういう私はドナー登録をいまだしていない。登録もせず胸が痛いと言っているのも偽善にすぎなくて恥ずかしい。

当事者になってはじめて気づくいろいろなこと、いろいろな思い。
けれど当事者でなくても想像をたくましくすると、やさしい気持ちが生まれることがある。無頓着からは何も生まれない。
命にかかわる病気でもなく身体機能に障害があるわけでもない私たち見た目に障害のある当事者の願いは、何かをしてほしいというものではない。ただただやさしい目で見守ってほしいだけである。

平原綾香さんの「Jupiter」の一節が心に響いた。

  私たちはだれもひとりじゃない
  ありのままでずっと愛されている

11/26
2004
夫は私が化粧をしている部屋に決して入ったり覗いたりしない。結婚をする時、ふつうドレッサーは寝室に置くものだが、私は自分専用の化粧室にしたいと言った。夫は、そんな「水くさい?ことを」と言って反対したが、私の切なる願いで冷暖房完備の専用部屋にした。そして「化粧中は入ったり覗いたりしないでね」と小さくお願いをした。夫はそれを十数年間しっかりと守り、どんなに急用でもドアをノックして外から声を掛ける。夫は決して人の嫌がることはしない。それは親譲りであり、そうやって育てられたのだろう。

余談だが、夫に髪染めをしてもらうことがある。頭の中にもアザがあり、髪をひっつめにすると右側は頬、耳、首とほとんどアザで真っ赤である。それを見られるのにはそれほど抵抗がないのだが、やっぱり化粧の最中は見られたくない。これはどういう心理なのかしらん、と自分でも分析できない。
更に余談だが、時々トイレのドアを閉めずに用をたしている私は、「くさい。閉めろ」といわれることがある。「へっへっ、そんな水くさい」と言って笑う私。こういうことは平気なのである。??

夫は奇跡の人だなぁと改めてしみじみ思ったことがある。結婚して4・5年目の旅先でのこと、時間を決めて私と姉は夫と別行動をした。待ち合わせの場所で夫は、「会社の仲間に偶然会って、仲間の定宿での飲み会に誘われたので行こう」と言う。
私は知らない土地であり夜間でもあったため普通(カバーメイクでない)の化粧しかしていなかった。「いいからいいから」という夫を恨みながら、慌てて普通の化粧を厚塗りして飲み会に合流した。会社の人は気のいい方たちばかりだったが、私はアザを気にしてくつろげなかった。
けれど、この時のことを思い出すたび、アザもちの私をまるごと受け入れてくれている夫を感じて、胸が切なくなる。もっとも夫にしてみれば、なんということもないことだったのだろう。

もとサーファーでスポーツと車をこよなく愛する夫は、ちょっと見友人に「いい男だね」といわれることがある。本人いわく「モテるでしょうと言われることがあるが、今まで一度もモテたことがない」 
独身時代、バレンタインの義理?チョコをありがとうと言ってその場でムサムサ食べていたという話を聞いて、モテない理由が少しわかった気もする。女性には手痛い思いをしたこともあるようだ。勿論短所もたくさんある。

夫はたくさんの蘭の世話をして毎年綺麗な花を咲かせる。それらをデジカメで撮ったり部屋に飾ったりもする。私のように安物買いはせず、時々桁が違うびっくりするような高いものを欲しがるが、一度手にしたものは何年も大切に手入れをして使用する。飽きっぽくない。
彼が手にしたものの中で唯一の失敗は配偶者であろう。自分でも謙遜でなく愚妻の極めつけと思うから。それでも愛しんでくれる。
申し訳ない気もするが、硬くて最初は手こずるが、噛めば噛むほど味わいがじわじわと出るスルメのような彼の良さをわかるのは、私が一番!という自負がある。なので良しとしよう。
11/19
2004
以前言いたい放題に、『ちょこさんのHPに出合って 「あざがあって辛い」と感じる事は、恥ずかしい事ではありません。むしろ、自然な事だと思います。 「辛くて、苦しくて、泣いてもいいんだよ。我慢する事はないんだよ。」と、貴方に伝えたい。を読んだ時、今まで溜まっていた澱みたいなものがどっと出たのか、独りで大泣きしてしまった。思うと、あざも辛いけど、それをそこまでして隠している自分が恥ずかしくて、クヨクヨしている自分が情けなくて嫌な事がとても辛かったのだ。』と書いたことがある。
一応健康で五体満足の身体でクヨクヨしている自分が嫌だったし、秘かに閉塞感に苦しみながら誰かに話すこともなかった。だからちょこさんの言葉を読んだ時、滝のように泣いてしまった。

最近、また優しい言葉にであった。NPO法人ユニークフェイス事務局長として活動されている当事者ではない方の言葉だ。(「顔がたり」よりそのまま)

『ユニークフェイスの強さって当事者があえて表に出て行くこと。〈こんなにつらい思いをしています〉って、テレビ番組で差別を受けた体験を社会に訴えることができるなんて、想像を絶する強さを持っていますよ。それって〈ぼくたちこんなにがんばってます〉って前向きなことだけ話すより、ずっとずっとつらいことですよね』

そして、優しい言葉は続く。
『会員の方たちを見ていると、どこかムリヤリ元気に振舞っている人ってすぐにわかるんです。
そんなとき、あ、苦しんでる。大丈夫かな?と思うんです。知らないうちにまわりの人から、〈この人は何も悩んでいないから平気〉ってレッテルを張られてしまって、本当はつらいことを周囲が気づけない状態にあると思うから。当事者の苦しい気持ちは一生ついてくるわけで終わりはないんですね。だから、ホンネでこんなにつらい思いをしたよっていえるのは大事なことだと思うんです。』

素顔で暮らしていた頃、時々冷や水を浴びせられるような思いを受けることがあった。カバーマークで暮らすようになってからは避けることができたが、隠すことによる新たな弊害が生じ、何故毎日こんなに面倒で厚い化粧をしなくてはいけないのか?という思いで閉塞した。そしてそこまでして隠している自分が恥ずかしくて苦しかった。
けれどどんなことも仕方がない、しょうがないと思っていた。当事者でない人たちの中で、当事者であることを隠し、明るく元気に振舞って生きてきた。

しかし、石井代表の
『そうやってくしかないじゃん、という乾いた言葉ですませるしかないのか。
でも・・・・・・。ちょっと待ってほしい。
あなたがそのひとことを口にしなくてはいけないということが、すでに差別のはじまりなのだ。』
という言葉を読んで、ハタと思った。そう、好きでカバーマークをしているわけじゃない。素顔では生き難かったから。

どうして痛くも痒くもないアザのために大枚をはたいて治療に奔走しないといけないのか。
どうして治療に怯え泣くわが子にこんな思いをさせ、親は切なく辛い思いをしなければいけないのか。
(治療を否定している意味では勿論ありません。)

では、誰が差別をし、何が悪いのか??
それは、誰々さんが悪いということではないし、当事者でない人が悪いということでもない。そういってしまうと、だからハンデのある人はひがみっぽくてかなわない、と思われても悲しいし、何より、意外とたくさんいるであろう奇跡の人や、アザを打ち明けた私に目一杯な誠意を示してくれた人、一生懸命真摯に言葉を選んで掛けてくれた優しい人に失礼だ。
誰かが悪いということではなく、社会が少しずつ変化していくことができたら・・・。

そのためには当事者のメッセージなくしては始まらないのであろう。
11/13
2004
「顔がたり」を読み終えて以来じわじわと心に浸透し、いつも「顔がたり」(石井政之氏著書)のことで頭がいっぱいである。いてもたってもいられないので、すこーしご紹介をさせてください。

=以下本文より(大胆に)部分抜粋および意訳=
 (いいのかなぁという不安がありますが・・・)

一日に一回必ず自宅に手紙が届いていないかどうかチェックする。そうしないと落ち着かない。いったい何通の手紙を当事者からいただいたことだろう。その一通一通を鮮明に覚えている。忘れようと思っても忘れられない。
以前にも手紙をいただいた顔に障害を持つ子のお母さん。中学に入りいじめは激化、殴られ蹴られ、キズだらけの毎日で、先日自殺したという。悲しみが渦を巻く。気を張って仕事をしている分、ひとりになると素直に感情が湧き出す。

見た目のカワイさ、カッコよさが崇拝されるなかで、顔に病気を持った当事者の子どもたちはなにを頼りにいじめに立ち向かっていけばいいのか?

ぼくのように、いじめをなんとか乗り越えてきた人間もいる。
自分の好きな仕事をして、好きなように意見を言えて、なんてお気楽な人生・・・・・そう思ったのなら大間違いだ。ぼくは、いまだに自分のアザを卒業できていない。大人になればなるほど、その壁がより力を持って追いかけてくる。自分の好きな職につき、好きな人と結婚し、たくさんの友人に囲まれ・・・・。どんなに思いとおりに生きている当事者でも、いくら努力しても変えられない「何か」がそこにたちふさがっているのを忘れることなんてできない。
(この病気を抱えていることで、一生他人に追いつけない・・・・)

ぼくは社会で成功した当事者を、たくさん知っている。それでも壁を乗り越えられない人がいることもまた、知っている。外から見る限り、仕事はまさに軌道に乗っていた人がいた。人を明るくさせるようなところがあり、その周囲は、いつもにぎやかだった。ところが・・・・・、ある日突然自ら命を経った。その人は少し頑張りすぎてしまったのだろうか。頑張りすぎる自分に、疲れてしまったのかもしれない・・・。

これからもぼくは本を書いて、人に会って、自分のなかで消えることのない「何か」を吐き出し続ける。そして今日も当事者の手紙を待つ。ただ、命を守りたいから。
11/10
2004

金八ドラマについてはもう何も言わないで「しっかり」見守ろうと思っていたが、11月7日の石井政之氏HPの石猿日記にこんなコメントがあったのでご紹介を。

相変わらず、アザのある当事者のなかには、テレビでアザのある人間を見たくない、といっている人がいる。そんなに同じ当事者の存在を否定したいですか?(笑)。

そういうときは。
のんびり見守るか。
いっそのこと見ない。
それがいいんじゃないかと思います。

『バーカこくでねえだ。見ないで済むんだったら悩まないし、のんびり見れるくらいなら苦労しないべ!』
と思いながらも、反面「言いえて妙」だなとも思う。
「顔がたり」を先日ゲットし完読した私は、「少し肩の力を抜いて」ドラマを見守ろうと思う。

11/5
2004

学生時代、遠藤周作氏の書籍ばかりを読んでいた時期があった。数ヶ月前からもう一度読み返したいと、自宅やら実家やらを探しているのだが、見つからない。たくさんの書籍は何処へ・・。

石井政之氏の書籍「顔面漂流記」と改訂本「顔面バカ一代」の中に、ハンセン病についての記述があるが
(石井氏は、ハンセン病の初期症状のひとつ紅斑とアザが似てなくもないことや、アザも感染するのではと言われたりすることなどから<石井氏は実際言われたことがあるそう>、ハンセン病患者の歴史、取材をされている。「顔面バカ一代」を読んでください。)
学生時代、遠藤周作氏の著書ではじめてその病名を目にした。遠藤氏の自叙でもあるその書籍の名前は忘れてしまったが、ハンセン病患者と(ボランティアで)ソフトボールの試合をしていた少年(遠藤氏)は、ボールを打ってベースに駆け込む際、ベースで待ち受けている患者の容姿に一瞬たじろぐ。その時少年が患者からそっと聞いた言葉は、「行きなさい。私は触りませんから。」
少年は、大人になっても老人になっても、その言葉が忘れられなかったであろう。

遠藤氏はクリスチャンでもある。許す神であるイエス・キリストについて書かれた書籍が多い。うろ覚えだが、「イエスの生涯」「死海のほとり」などがあったと思う。
キリストの時代、ガリラヤ湖畔は厳しい自然で、たくさんの病む人貧しい人が苦しんでいた。イエスは誰も近寄らない死の谷に行き、そこに捨て置かれたハンセン病患者の手を取った。また、人から蔑まれ石を投げられている娼婦にそっと手を差し伸べた。彼の心には、苦しむ人、悲しむ人、絶望する人の痛みが、自分の痛みと同じに映った。
彼はたくさんの奇跡を起こしたといわれるが、生身の人間が奇跡など起こせるはずがない。彼の奇跡は、愛に満ちていたことだった。人は孤独で絶望をしている時、暖かい手を差し伸べられるだけで、癒され気力を取り戻すことがある。気力は病を一時回復させることもある。彼の奇跡は深い慈愛であった。人々は彼に更なる奇跡を期待するが、生身の彼には、神のような奇跡は起こせるはずがない。やがて人々はイエスを見限っていく。
イエス亡き後、彼の弟子たちはイエスの深い慈愛に気づく。これが、遠藤氏の理解するイエスの復活である。
遠藤氏は現代にも奇跡はたくさんあるとされている。アウシュビッツ収容所で、罰として一日一個のパンも与えられず泣いている人に、自分の一個のパンをそっと差し出し作業に出た人がいた。他人のパンを奪ってもしかたのない過酷な状況の中で。そして、マザーテレサやシスターたち・・。

NPOユニークフェイスの石井代表の活動を知るまでは、どんなことでも仕方がないと決めていた。ただ心は秘かに閉塞していた。そんな若い頃、遠藤氏の著書は私の心を癒した。奇跡の人、身体から愛が溢れる人。
少し強引だが、人は2種類であると思う。見た目にハンデがある人と出会った時、嫌悪を感じる人(理性と道徳心で嫌悪感と戦う人も含めて)と、愛しみ(慈しみ)の心が生まれる人と。愛しみが生まれる奇跡の人は少ないかもしれないが、確かにいる。
余談だが、遠藤氏のイエスは、嫌悪を感じる人を許し、嫌悪を感じてしまう自分に苦しむ人を深い慈愛で包んでくれる。


幸いなるかな 心貧しき人   天国は彼等のものなればなり
幸いなるかな 泣く人      彼等は慰められるべきなり


=念のため、私はクリスチャンではありません。宗教団体とも一切関わりはありません。家は浄土真宗のようですが、クリスマスにはケーキを食べ、教会で結婚式を挙げる普通の日本人です(笑)=