カメオンの言いたい放題 19
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10/7/2009
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毛皮はいらない
9月20日〜26日は動物愛護週間
もうとっくに終わったとら おいら な〜んもしてもらっとらん
9/27/2009
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「AZA ARI」ってタイトルがストレートです;
http://d.hatena.ne.jp/uniqueface/
http://www.deru2.com/theater/
http://www.mmjp.or.jp/pole2/aza-ari.html
9/21/2009
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NPO法人ユニークフェイス代表日記
http://d.hatena.ne.jp/uniqueface/20090913/p3
8/23/2009
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気づけば秋の気配です。
ずーっと更新を怠っていますが、しばらく「言いたい放題」をお休みします。
トラジは元気です。
7/25/2009
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NHK「探検ロマン世界遺産」のエンディングにも流れていたユーミンの「水の影」。
1980年にアルバム「時のないホテル」に収録された曲である。
当時はメロディの美しさとやさしさに魅かれたが、今では歌詞の深さに感動。
=水の影=
たとえ異国の白い街でも
風がのどかなとなり町でも
私はたぶん同じ旅人
遠いイマージュ
水面におとす
時は川
きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて
想い出に手をふるの
立ち去るときの肩のあたりに
声にならない言葉きこえた
あなたをもっと憎みたかった
残る孤独を忘れるほどに
よどみない浮世の流れ
とびこめぬ弱さ責めつつ
けれど傷つく
心を持ち続けたい
時は川
きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて
想い出に手をふるの
私はザブザブと浮世に飛び込む勇気と、ちょっとやそっとのことでは傷つかない心がほしいかな。
7/20/2009
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19歳からカバーメイクをはじめて以来、肩こりとは長〜い付き合いである。ハンパなく辛い肩こりは一生の友?と諦めていたが、いつごろからか肩が鉛のように重かったり腕に痺れを感じるようになった。何か少し変だと思い始めて半年以上が過ぎた今年の4月、夫からヘルニアではないかと言われ、母の退院を期に整形外科をたずねた。
MRIの結果、やはり頚椎椎間板ヘルニアだった。素人眼でも、2箇所完全に脊髄が潰れているのがわかった。
先生の診察では、いつかは手術をしないといけない日がくるらしい。握力が無くなって、箸も持てなくなる日が来るってよ。
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衝撃を受けたが、その後の母の再入院や手術で自分の病のショックは薄れてしまった。
今は、頸のコルセット&シップ&痛み止め飲み薬などを組み合わせてしのいでいる。
頸の手術は怖いし、あざのある首にメスを入れる日がくるなんて・・・・。
先生に勇気を出してあざがありカバーメイクをしていることを話したが、「えっ!!??」と2回ほど聞き直し、不快そうに話を変えられてしまった。凹んだ・・・静かに、けれどとっても凹んだ・・・・・
。
あざについては、日々小さな試練である。
頚椎椎間板ヘルニア関連のサイトを色々検索していたら、原因として「首や背中が緊張するような姿勢での作業、姿勢の良くない人(猫背・前かがみ)、運動不足、神経的なストレス・・・・」というものがあった。
首にカバーメイクをはじめて以来何十年もの間、首は緊張の連続である。姿勢も悪いし運動不足だし・・・・。なるべくしてなったという感じである。
日によってとても辛かったり楽だったり。
でも負けないもん。今では気力で克服してやろうと思っているのだ。![]()
7/12/2009
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久々の更新です。母が退院しました。
3月に続いて6月に2度目の開腹手術をした。
先回の術後の合併症という説明だったが、食べ物を受け付けず一度治まった発熱がまた続くようになり、内科の担当の先生は「わかりません・・すみません・・・」と頼りない。ネットで調べてみると、この症状で正しく治療を受けた場合の死亡率は25から40%とある。
日ごと体重と体力が衰えていく母とカーテンで仕切られた病室に二人。
「大丈夫。大丈夫」と励ましながらも「もうだめかもしれない・・・。神様、どうかもう一度だけ母を生還させてください」と祈った。
毎日、病院に向かう車の中、CDを聴いていた。
コブクロの「風」が流れる。
先回の退院後、4月はじめに母は外科外来の診察を受け、その帰りに**公園で桜を観た。
その日はずっと隠していた病名を先生から告知してもらう日だった。いきなりではショックが大きいと、病院に行く前にファミレスで軽食をとりながらごく自然に話す予定だったが、口火を切った姉の表情は明らかに動揺しまくりである。私が「お母さん、でももうきれいにとったから大丈夫やよ」とフォローしたが、母がどんなリアクションだったのかしっかりと覚えていない。私も緊張していたのだろう。
午後の公園は風が吹いていた。強い風が吹くたび、視界が薄桃色一色になるくらい桜の花びらが舞った。入院時よりひとまわり小さくなった母がうれしそうな悲しそうな表情でたたずんでいた。
後日姉が、「見たことがない花吹雪やったね。あんまりきれいすぎて最後になるんやないかって不安になってしまった」と言っていた。
そんなことを思い出しながら、本当にあれが母と見る最後の桜になるんじゃないかと胸が詰まり、運転中なのに眼球にワイパーがいるくらい涙が流れた。
CDをユーミンに変えると「海を見ていた午後」が流れた。
これもヤバイ。
5・6年も前だろうか、知多半島美浜町の杉本美術館を訪れたあと、タクシーで南知多の海岸に出た。美術館の案内所で教えてもらった海岸沿いのお店でランチを食べた。山手ではないが、歌詞にある「ドルフィン」のイメージのようなおしゃれな店だった。3人で「おいしいね。おしゃれだね」と言ってばかみたいにはしゃいだ。
海開きにはまだ早いが、初夏の日差しを感じる暑い日だった。私と姉は防波堤に作られた日除けの中から海を眺めていたが、母は浜辺の貝殻を探しながらどんどんと遠くへ行ってしまう。
小さくなっていく母の姿を眺めながら「お母さん、浜辺、好きだね」と苦笑いをした。
そんなことを思い出すとまた悲しくて嗚咽がでる。どうしてこんなことになってしまったのか・・・。
赤信号で涙を拭きながら、いったい母が愛しいのか、懐かしい想い出が愛しいのか、だんだんわからなくなってきた。当たり前に持っていたテディベアを失くした子供のように、もう元に戻らない平穏な時が愛しいのかもしれない。
けれどいつかこんな日がくることはわかっていた。
これは終わりじゃなくてはじまりだということもわかっている。
残りの歳月はあとどれくらいか。1年か3年か5年か・・・何年になるかわからないが、もう十分にした、後悔はないと思えるようになった頃、母はそれを察して旅立っていくのかもしれない。
今はまだその時ではない。大切な人を突然亡くすことは悲しい。
甘えん坊になってわがままな母についつい「娘だと思わんと嫁だと思ってね
」と怒ってしまうが、心の準備時間を与えられたことに感謝しよう。これからまたいくつ想い出がつくれるだろうか。
5/27/2009
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退院して二ヶ月、日ごとの回復を期待していたのに母はほっこりせず再入院。
今度の病室には、スキンヘッドにバンダナを巻いた中年の患者さんが2人。抗がん剤のせいと思われる。
一人は母と姓(割と珍しい姓)が同じで、「**さんはどちらから?」と明るく尋ねてくれる。「そう、**にも**姓があるんやね。私は**から来てますよ」と笑いかけてくれた。
今回の病棟は男女問わずスキンヘッドの人が目に付く。母とデイルームのテレビをぼんやり見ながら、「がんになるのは怖いけど、スキンヘッドの恐怖もおまけについてくるのか・・・」と、ため息をついた。
5月はじめ、何か季節にあった新しい洋服をと買い物に出かけたが、この時期、襟があるもの、タートルやハイネックでファンデが目立たない色合いのものは見つけられなかった。オシャレなお店で素敵なものが30%オフになっていたが、どれ一つ私が着られるものはない。こんなことはもう何十年も前からなのに、その日は何だか無性に悲しくて疲れた。
家に帰り、夫に「私は打ちひしがれた」と言ってみた。「何が」と夫。「あざのせいで着れる服がない。無念じゃ」と少しおどけた。おどけてはいるが、様子で察したのだろう。真剣な顔で「また治療すればいいが。よくなっとるが・・・」と夫。私は少し気を取り直した。
そんなことを病院のデイルームで思い出しながら、スキンヘッドになるようなことになったら、どんなに顔や首を治療しても意味がないなと思いついた。頭皮の6割以上にあざがある私は、年をとって薄毛になる恐怖はずっと以前からあった。が、これは目から鱗(使い方変)だった。
「でも、病気の苦しさや痛みでスキンヘッドのあざを気にするどころではないかもしれない・・・」と、おかしな気の取り直し方をしてみた。
なるようになる・・・・ 結局、なるようにしかならない・・・・・
そんな風に気を取り直しながら、スタンドに4つの点滴をぶら下げた母の歩調に合わせてゆっくりと病室に向かった。
ごはん丸呑みのトラジ グリンピースはなぜかカミカミ
グリンピースは基本カミカミ とら

日常が戻りました。しばらく更新をお休みしていましたが、ボチボチと更新をしていくつもりです。。。
母は祖母のように96歳まで元気に生きると思っていた。
母、退院の前日、病院の無料駐車場に着くと、管理人のおじさんから優しい言葉をかけられた。
「お疲れさん。ここが空いてなくても、あっち(の管理人)に遠慮なく言えばいいよ。」
この無料駐車場は病院から離れたところにあり、主に入院患者の家族が利用する。
駐車場の管理人のおじさんは4人ほどいて、ここのおじさんが一番やさしかった。他のおじさんには、私がトロいこともあり「チッチッ」と舌打ちされることがあって、母の病気で傷心の私には堪えた。
おじさんに声を掛けられた私は、車を出す際窓を開け、「ありごとうございます。母が**で手術したんですけど明日退院なんです。ここが一番停めやすくて、いつもやさしくしていただいてありがとうございます」と言って、不覚にも言葉が詰まった。
おじさんはちょっとびっくりした表情のあと、「おーおー、そうかそうか退院か、よかったなあ」と言って顔をほころばした。
3月末のことなのに、今ではずっとずっと昔のことのような気がする。