カメオンの言いたい放題 17
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8/30/2008
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最近のこと
その一
オリンピックは終わった。日毎、TVから消えていく五輪に関する報道。さびしい・・・・。
その二
20代の終わり頃、突然蟹アレルギーになった。何年か振りに蟹を食べたらやっぱり、キターーーッ!蟹が怖い・・・。
その三
昨日、豊川誕さんのブログを開けたら恐ろしいことになっていた。非日常の世界・・・・・。
その四
今回のV-beam治療は、残念なことにほとんど効果がなかった。1ヶ月半過ぎたくらいから効果が見えてくるのだが、逆に赤味が増してしまった。ギョッとしていたら、最近やっと元のレベルに戻りつつある。ホッ・・・。一歩進んで二歩下がる・・・。ん?進んでないじゃないか。二歩進んで一歩下がるだ。
その五
ゲリラ豪雨が猛威をふるっている。雨音とは思えないようなゴ〜ッという音と、番組の最中に速報を知らせるピンポンパンポンという音にドキドキする。トラジは雷に大吼えだ。
独り遊び 今年の春頃
独りで遊んでるよ それが何か?(トラジ)
8/24/2008
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最近悶々としていることがある。
アラウンド50の人はご存知だと思うが、昔、豊川誕という歌手がいた。孤児だった彼は、喫茶店で住み込みのバイトをしていたところをジャニーズ事務所にスカウトされた。2000年前後には、薬物所持で小さなニュースになったりもした。
最近、偶然彼の曲をユーチューブで見つけ、35年くらいぶりに懐かしく聴いた。1曲、2曲と聴きながら彼の生い立ちを考えたところ、猛烈に違和感を感じた。明らかに孤児ということを前面にして売り出そうという意図が見え見えなのだ。よくもこんな戦略で、よくも未成年の彼にこんな曲を歌わせたものだと怒りを感じた。彼について調べてみると、何枚目かのシングル「白い面影」という曲の歌詞に我慢しきれずジャニーズを飛び出したとあった。「親のない子は焼かないパンを喉に詰まらせ水を飲む」というような残酷な歌詞だった。
流石に現代ではこんなことはありえないだろう。幸田來未さんの発言ぐらいでバッシングされる社会だ。誰が歌おうと、歌詞自体が許されるものではない。作詞家の感覚は戦前か戦中だ。中国には人権がないなどと色々言われているが、ほんの30年前までの日本はこんなだったのかと愕然とする。そういえば、古い映画の最後に「不適切な部分がありましたが、オリジナルを尊重して・・・云々」というような字幕がでることがある。映画は、現代ではありえないような当時の感覚や価値観を浮き彫りにする。昭和を古きよき時代と懐かしむが、それだけではない。
話は戻って、当時未成年だった彼がどんな思いだったのかと想像すると可哀想でやりきれない。親がいれば守ってくれるのだが、その両親がいないことでこんな思いをしなければならないのだ。
数年前にジャニーズ事務所のセクハラ問題がニュースになった。国会でも問題にされたようだ。その後、事務所側が敗訴となったが、マスコミはほとんどそれを報道しなかった。TV局は、視聴率のかたまりのタレントをたくさん抱えているジャニーズ事務所を、腫れ物にさわるような扱いにしたのだ。女性週刊誌も然り。このことについては当時、アメリカのニューヨークタイムスも批判報道をしたそうだ。世の中は不条理のかたまりだが、恐るべし芸能界と思ってしまう私は甘いのかな。
推定3歳の時に公園のベンチに置き去りにされた彼は、『デビュー当時の雑誌記事でこう答えている。「もう実の親には会いたいとは思いません。でも、自分が本当は何という名前で何歳なのか、それさえわかれば、僕は普通の人間に戻れると思う。それだけが気がかりです。」と。』
(『』はpocket pet抜粋)
現在、誕さんはブログを公開されている。ブログの中で「本当の僕のお母さん、生きててこのブログ観たら連絡下さい〜(爆)」と明るく書かれているのが切ない。長い歳月、色々なことがあったのだろう。写真からは当時の面影は感じられない。が、ブログをじっくり読むとご本人もおっしゃっているように素直な人柄が感じられる。そんなところは若い頃と変わらないのかもしれない。クリスチャンでもあり、ブログの中ではスピリチュアルに関するものが多い。そういったものを少年時代から心の縁(よすが)とされてきたのだろうか。
コブクロの影絵の「蕾」を聴くと涙が止まらない。小渕さんの母親への想いで胸がいっぱいになる。不器用そうな誕さんの曲を聴く時、真逆の意味で胸が締め付けられるようだ。
人それぞれの人生。同情は一生懸命生きていらっしゃる誕さんに失礼だし、そういう趣旨でもない。ただ、こんなことがまかり通っていた30年前や、諸々の不条理に悶々としてしまうのだ。
「汚れなき悪戯」シングル
http://jp.youtube.com/watch?v=VsbDffEV_gY
「星めぐり」シングル
http://jp.youtube.com/watch?v=1cgGgwBYsio
経歴
http://pocket.jword.jp/search/%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E8%AA%95
ブログ
http://blog.livedoor.jp/michael4649/
著書「ひとりぼっちの旅立ち」
http://www.papy.co.jp/act/books/1-6855/
8/22/2008
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先回の更新から1ヶ月も過ぎてしまいました。
雷でインターネット(ケーブルTVも)ができなくなったり,諸々小忙しい1ヶ月でした。気づいたらなにやら秋の気配が・・・・。
言いたい放題したいことがいっぱいあるのですが,とりあえずトラジの夏休みのアップなどを。
爆睡・・・ こんなふうに寝てたら 野生の世界では間違いなくライオンのエサです;
オイラ チ○チ○ 丸出し
どんな顔で寝ているかというと・・・・ こんな顔
み〜た〜な〜
庭の花梨の木に蛙が・・・・
み〜た〜な〜
泳ぎの練習 情けない顔が可愛いすぎ! (親バカ)
ライフジャケット買ってもらえんかったトラ
すぐに ス〜イ スイ 運動神経抜群! (親バカ)
夜はコオロギさんの鳴き声がきこえるトラよ
もうすぐカエルさんとはお別れトラ
7/23/2008
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友人から電話があって話をしていたら思いがけなく胸キュンになった。
友人: ところで病院は行ってるの?(遠慮がちに)
私 : えっ?えっ?
友人: あの遠い病院。
私 : うん、行ってるよ。今月は5日に行った。
友人: どう?
私 : うん、よくなってきてるよ。こんなんだったらもっと早く行けばよかった。
友人: どれくらい行くの?
私 : う〜ん、あと5年!!よくなるまで。
友人: そっか。ずーっと悩んできたこと、本当によくなるといいね。
そしたら旅行に行って一緒にお風呂入ろうね。あっ、でも私、もう人には見せられない身体やわ。
私 : それは私だよ〜。(二人で笑)
この友人は高校からの友人である。だから私のアザは隅々まで(高校時代一緒にお風呂はいったから)承知であるが、お互いアザについて一度もふれた事はなかった。高校の友人には、アザがあることよりもアザで苦労していることを知られるほうが恥ずかしかった。悩んでいないと思われるほうが無理があるのに、平気だと何故か思われたかったのである。若かったからかな。
高校の他の友人から旅行の話があり、「**も行かない?」と誘われていた時、ちょうどHPを立ち上げた頃だった。思い切って、「みんなとは旅行に行けないんだ。HPを見てください」とメールでカミングアウトをした。その後「読みました。また、今度話すね」という返信がきたが、「いいよ、読んでくれれば」と自分でうやむやにしたこともあって、これきりになっていた。その後URLも変わり、会話から友人はもうHPを見ていないことを感じていた。
昨年の秋頃、仕事の話に絡むことがあって、治療をはじめたことをポツリと話した。それについては二言三言会話をしただけで、繊細な友人を戸惑わせてもと思い、すぐに話を変えた。カミングアウトしても友人を戸惑わせるだけだ。腫れ物に触るような扱いは受けたくない。心の中でそんな思いがあった。そして、そう思わせてしまうことに、実は少し僻んだりもしていた。
そんな私の僻みはいっぺんに吹っ飛んだ。ごめんね。治療のことも、一緒に旅行に行けないと言ったことも、友人はひっそりと深く受け止めてくれていたのだ。
若い頃は「アザ」という言葉を口にするだけでも涙がでてきたが、今はそんなことは全然ない。昔は、アザは悩みというよりも毎日が闘いで、苦労をしていたというほうが適当だった。今では、軽く「悩んでるよ〜」と話せる関係(勿論、話す相手は選んで)になりたいと思うのだが、打ち明けられた相手は少なからず戸惑うだろう。自分が逆の立場だったら、他人には関わらないという父譲りの性質が私にはあるので、気を使わないといけない「やにこい人」は避けたいと思うかもしれない。母親似のおせっかいな性格がでると、無神経に質問攻めにして相手を辟易させるかも。いったい・・・。汗;;
以前「言いたい放題10/1/2006」したが、毎年9月になると大学の友人から会食の誘いがある。昨年は何か理由をつけて断ってしまった。どうしてもカミングアウトできない大学の友人たち。不義理な私に毎年声を掛けてくれるのに、カミングアウトできないのは友人たちにも原因があると、実は密かに僻んでいる自分があった
。やにこい私
。
余談だが、この高校からの友人もキッズレスである。時々過激だが「言い得て妙」なことを言ってくれる。
「気楽に暮らしているように言われるけど、どんなに先が不安か(子供がない人の気持ちは)わからんわ」
私 : 義母(夫の母)が毎朝、家の前のお地蔵さんの横で運転に慣れない私がちゃんと橋を渡れるか見てくれていたんだよ。それを聞いた時は「へえ〜」くらいにしか思わんかったけど。だんだん自分のことを思ってくれる人が少なくなって、いつか一人ぼっちになると思うと怖いね・・・。
友人: ええ話やね〜。泣ける話やね〜。私も義父母にはなるべく長生きしてほしいと思っとるわ(しみじみ)。あっ、元気でね・・・・。
嫁舅姑関係、とっても大変だと思うが、それでも長生きしてほしいと言った友人に、同じ不安を共有していることをしみじみ感じたのだ。まあ、私の場合、どうしても子どもがほしいってわけではなく、神様はそんな人には授けてくれないのも当然というわけで・・・
入道雲
雲を見ると黛ジュンの「雲にのりたい」を口ずさんでしまう。
幼い頃、姉がよく歌ってました。切ない曲です・・・。 いつの時代の人よ!(つっこみ)
この曲を知らない若い方、ポチッとクリックして試聴してみてください。
7/21/2008
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今は昔。
過去、日常的に訪問していた個人サイトがふたつ。
ひとつは不妊治療を諦めた9年ほど前、頻繁に訪れていた「キッズレス**」というサイト。子どもに恵まれない女性や不妊治療を頑張っている女性が集うサイトで、掲示板には何度か私も書き込みをした。
二つめは、はじめてのフレンチブルドッグサイト「ぐりんご日記」。フレンチブルドッグの魅力にとりつかれ、トラジを迎えるきっかけとなったサイトである。
「キッズレス**」のサイトは今では閉鎖されているようだ。主婦の管理人さんは今頃どうされているのかな。もしかしたら子どもに恵まれたのかも。
「ぐりんご日記」のブログは今年3月からぱったりと更新がない。ぐり君とりんご君は元気だろうか。
それぞれの生活には変化があり、サイトやブログも永遠ということはない。
9年前、退職する私を温かく見送ってくれた上司からハガキが届いた。
「7月をもちまして、**を定年退職いたしました ・・・・ 」
時は流れる。
今年7月は義兄の14回忌。あの頃あまりの悲しさに10年後が明日きてほしいと思った。同時に10年後の姉や自分の日常も想像できなかったが、義兄に見守られるのを感じながら14年後、姉も両親も何とか頑張って暮らしている。
今は昔。
未来のことを考えると不安でいっぱいだが、どんな時もとうとうと時は流れていくようだ。
トラジ 瞑想中
昼寝してると すぐに夜 また寝るトラよ
PS.「キッズレス**」のサイトをさがしてみたらありました misato.cside.com。現在、管理人のみさとさんは「うつ」の病と向き合いながら、ポツポツとマイペースで更新されています。「あしあと」「子供のいない主婦の部屋」の掲示板は、今ではひっそりとしていました。キッズレス仲間ということで集い合ったサイトですが、「アザもち」という別の痛みもある私は、参加していても寂しい気持ちがありました。久しぶりに訪れて、忘れていたそんなことを思い出しました。
7/6/2008
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洞爺湖サミットを目前にして、原油問題、環境・地球温暖化問題、食料問題をとりあげる番組が多くなってきた。私としては、食料危機と聞くたびドキドキするのである。食べることって生き物の基本である。北朝鮮の脱北者が語っていたが、兎に角お腹いっぱい食べられるのなら死んでもいいと、危険な零下何十℃の川を渡ったそうだ。収容所にいたという脱北者は、「人間、飢餓になると人間ではなくなってしまう。動物になってしまう」と言っていた。壮絶な世界である。
母はいつもカバンの中になにかしらの食べ物を入れている。飴とかビスケットとか・・・。突然何か起こった時、それで命が繋げるので安心なんだそうだ。恐るべし戦争経験者・・・・。危機に対しての、ある種のトラウマだ。
10年20年で世界はう〜んと変わってしまう。食料自給率39%の日本。飽食の時代の終焉はいつくるのか。4回目のレーザー治療を終えて少し悶々としながら、帰路の途中ペコペコのお腹を満たした。美味しいものをいただくと悶々とした気持ちも少し晴れてくる。食べられるって幸せだな。そんなことを思いながら、遠い(近い?)未来の日本を心配したりした。(私って、日本のこと、自分のことしか考えていないのね・・・)
治療メモ 更新しました。
ボールを投げてほしくて押し付けるが・・・ ボールを触ろうとすると怒る・・・
投げてほしいけど ボールはとられたくないトラよ
6/25/2008
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結婚式のご質問が掲示板にあったので、思い出し思い出し。
アザもちさんにとってのハードルはやっぱりメイクと衣装だろうか。髪をアップにしなければいけない和装はやめた。なので、式は教会式。ちなみに神父さんは、元力士の小錦の結婚式をつとめられたそうだ。ご本人がそうおっしゃっていた。小錦さんの1回目の結婚は失敗だったけどね(笑)。
話がそれた。母と衣装展に行ったが、洋装とはいえ襟があるドレスはない。途方にくれた挙句、係り(衣装)の方に相談した。もう他に手立てがなかったので。係りの人は「大丈夫ですよ。当日、ちゃんとしたお化粧をしますので」という心強い言葉。この言葉に励まされて、なるべく胸元が開いていないウエディングドレスとカクテルドレス2点を選んだ。
式の前日、料金の中に含まれているというエステをした。これに関しては「プロフィール」の中で少し触れている。カバーマークをしている顔にかみそりを当てたりマッサージをしたりなんてことは無理なので、丁寧にお断りして腕だけエステしてもらった。びっくりしたのは、髪を全てピンカールされたこと。アザが丸出しになってしまった首のうしろを帽子やスカーフで隠して帰宅した。
式の当日は、「大丈夫ですよ」と係りの方が言ってくれたのだけを頼りに、スッピンにスカーフで頬かむりをして式場(義兄の車で)に到着した。メイク室は仕切りはあるが個室ではなく、メイク担当の方にはアザのことが伝わっていなかった。後で気づいたが、あの係りの人は単に衣装担当なので、当たり前と言えば当たり前だった;。
カバーメイクをはじめて以来の人前でのスッピン。こんなピンチは結婚式という舞台でなければ気絶しそうだが、人間土壇場になると頑張れるものだ。用意しておいた心づけ(お金)をお渡しして、なるべくアザがしっかり隠れるようにとお願いした。
担当の方はもの静かな中にもしっかりとした意思を感じる方で、懸命に顔、首、うなじ、耳にファンデや白粉を塗ってくれた。ただし、やっぱりグラファのカバーマークではないので、うっすらとアザが見えてしまう。「普段は見えない化粧をしているので、もっとファンデを重ねてください」と思い切ってお願いすると、困惑しながらも一生懸命隠してくれた。
途中、「ちょっと貸して」と仕切りの隣の担当者が来てパフを手にとった。瞬間「えっ!なにこれ!コベコベやないの」とパフをこねくり回しながら、私の担当者を責めるような口調。私も担当者も「・・・・・・・」。知らん顔していた(笑)。
お色直しのカクテルドレスは、別の人が髪型を変えてくれた。助手をひとりつけて、どうも先生のようだ。恰幅がよく朗らかで、何も言わないのに「和装もきっと似合いましたよ。大丈夫やったのに。大丈夫、大丈夫」と、まるで私の気持ちがわかっているよう。心細い時には「大丈夫」という言葉が心に染み入る。
披露宴の途中、母が「あ〜、化粧いっかんねえ。まだ見えるがね。いつもは見えんのに。」と口惜しそう。今そんなこと言われてもどうしようもないし・・・・(相変わらず母は情け容赦ない)。アザがうっすらと浮かび、耳などところどころ赤いのが気になるのだろう。今思えば、持参していたカバーマークを使用してもらえばよかった。花嫁さんのお化粧って真っ白になるが、やはりカバーメイクとは違うようだ。おそるべし、グラファのカバーマーク。
新郎新婦の二人だけの写真は事前に撮りたいといわれたが、式当日にまとめてやりたい旨伝えて了承してもらった。当日、お色直しをしたあと撮影室に直行。忙しい、忙しい。
披露宴も終わり、メイク落としは「自分でします」と言って30分(次の人が使うので)の時間制限の中、顔・首・うなじすべてのメイクを落とし、更にいつものカバーメイクをして化粧室を出た。アセアセ・・
あの頃は若かった。オバさんになった今では、かなりずーずーしくもなり要領よくもなり、もっとうまくできると思う。けれどあの頃はあの頃で、一生懸命頑張った。普通の人なら何でもないことが、アザもちさんには一々ハードルになる。「結婚式の衣装をどうしよう」「出産の時、メイクはどうしよう」etc・・・。こんな不安は当事者だけが共感できることだ。
それでも物事は進み、悩みながらもジタバタしながらも時は流れる。それなりに頑張ってきた自分に、オリンピック選手の誰かさんじゃないが「自分で自分を褒めてやりたい」。振り返るとそんなふうに思う。支えてくれた人たちに感謝しながら。そして今だから思えることだが、結婚式に関しては、旦那さんになる人が120%信頼できるならそれでOKだと思う。他の諸々は何とかなるものだ。
そして、たくさんの同じ悩みをもつ当事者の方に心から頑張れってエールをおくりたい。(でも、何とかなるものなので、あんまり頑張り過ぎないでね・・・)
PS.私が結婚した15年前くらいは、まだ仲人さんを立てたり結納をしたりが普通だったが、最近では仲人さんって何?という時代になった。唐沢寿明と山口智子の結婚くらいから地味婚の時代になったようだ。
トラジ うひょうひょの 3枚
あんたはお気楽でいいねえ (バーバ)
くち でかすぎ (バーバ)
その笑顔 いやされるゥ (バーバ)
6/24/2008
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ドラマ「ベスト・フレンズ」終わりました。人ってかけがえのない財産だなってしみじみ思いました。
ひとつだけ納得がいかないことが・・・・。DVでストーカーの青年宗佑が自らの命を絶ったこと。
「自分が生きている限り美知留を縛りつけてしまうから、自由にしてあげるためには自ら心臓を止めるしかない」という遺書が残されていたが、もともとがそういう(DV・ストーカー)類の人は自分が一番大切で、相手のことを思って自分だけ死ぬなんていうことはしないんじゃないかな。
相手だけ殺すか、もしくは相手を道づれに死ぬ。ニュースになる事件を思い浮かべるとそんなパターンばかりだったような・・・・。ストーカー被害に遭った人は、宗佑の潔い死に方に納得できなかったんじゃ・・・。
なんてことを思いました。宗佑には悲しい生い立ちがあるようだけど、それをDVやストーカーと結びつけたのが間違いなのでは・・・と思ってしまいました。(おまけに宗佑役はジャニーズだし・・・)
テーマが重いので、これ以上は言いたい放題できません。
バーバのかわいいストーカー・・・
お膝にのせてトラ
のせてもらえないと・・・・
イジけたふりして 待機トラ
バーバ 根負けするが・・・ 重いよ・・・
トットと のせるトラよ くつろぐトラよ
6/10/2008
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このHPはリンクフリーとしているので、どこかのサイトにリンクされていることもあるだろう。どんなサイトにリンクされているのだろうかと、ふと思った。そこで、「カメオン」で検索したらこんなサイトに出合いました。
とても長いのですべて読みきれていませんが、じっくりと読むと胸がいっぱいになります。匿名の掲示板は、どんな趣旨の集まりでも一度は荒れます。「フレンチブルドッグひろば」でも荒れました。けれど、この掲示板は荒れることなく、優しさがいっぱいです。同じ当事者として共感できる人の集まりだからでしょうか。たくさんの「死にたい」という書き込みに、心から心配して励ましてくれます。なので、当事者以外の人の書き込みには、拒絶反応もあるようです。(結局、どうしてこのサイトで「カメオン」がヒットしたのかは未だ分からずじまい・・)
※このサイトは本来、美容整形に関する情報サイトのようです。
信州 長門牧場
オイラ 馬さんにワンワンしてやったトラ
6/9/2008
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ドラマ「ラスト・フレンズ」は、感動の8話から一変、9話はおどろおどろしいことになってしまった。DVからストーカーになった青年。何年か前の悲惨なストーカー殺人事件を思い出してしまった。
アザもちさんがストーカーになることはほとんどあり得ない。好きな人に好意を寄せられても、自分から逃げてしまうくらいだから。何かを諦める、執着しないということに関して、アザもちさんは長けているかもしれない。
小さなことも大きなこともちょっとずつ諦める。半袖を諦める。ステキなTシャツだが着られない。半額になっていても買うことはできない。社員旅行を諦める。恋愛を諦める・・・。人それぞれだ・・。
どうしてストーカになるまで執着できるのか不思議だが、実は私、子供の頃は執着心の強いガキだった(らしい)。デパートではこれが欲しいと床に転がって泣いていた(らしい)。小学校の低学年の時、シャープペンシルが登場した。欲しい欲しいと父母にねだって、いの一番に買ってもらった記憶がある。今、目の前に当時のガキの自分がいたら、蹴りを入れてやりたい(笑)。
自我に目覚めるのが遅かった私は、随分大きくなるまで自分のアザについて幸か不幸か自覚がなかった。自分はアザもちで人とは違うんだと自我が目覚めてからは、仕方がない、しょうがないと自分の中で遣り繰りできるようになった。アザがなければかなりの執着女だったかも?
そういえば2年前、ずっと欲しかったフレンチブルドッグを迎えた。高額であり、ひとつの命に責任をもつ覚悟も必要であり、諸々悩んだが、背中を押してくれる人に助けられながら結局トラジを迎えた。このフレブルが欲しいというのも、ある意味潜在的な執着心の表れかな。
余談だが、トラジを迎えてペット産業や動物虐待など、今まで関心がなかったことや知らなかった世界を知ることになった。もし今後ワンを迎えるなら、ペットショップではなく可哀想な子の里親になるだろう。
8日に起きた秋葉原無差別殺傷事件。TVで、犯人は過去の栄光に挫折したのでは、と言っていた。アザもちさんの人生は決して栄光からは始まらない。だから、いきなり転落ということもないのかな?
執着していたフレブル 「トラジ うちに来てくれてありがとね
」
6/2/2008
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石井政之さん(NPOユニークフェイス代表、ジャーナリスト・ライター)がご結婚されました。ブログにて報告されています。びっくりするやら、うれしいやら。私の人生の中で、石井さんの著書や活動に出合ったことは、とても大きなことでした。
ご結婚されて、更なるご活躍を期待しています。おめでとうございま〜す ![]()
極楽浄土への階段 (長谷寺)
階段をのぼると そこは 極楽でした 
いつか 御仏様か 神様か イエス様か・・ 大きな胸にいだかれて 安らかな日々が・・・・
6/1/2008
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ドラマを観て、久々に大泣きしてしまった。年とともに涙もろくはあるのだけど、オンオン泣いちゃったのは久しぶりだ。号泣したのは、先週の「ラスト・フレンズ」。このドラマは3話目くらいから偶然見はじめた。だから、どうしてみんながシェアハウスで一緒に暮らしているのかなど、?ということがストーリーの中に多々あるのだが、そんなこととは関係なく1話ごとにどんどん引きこまれていく。
性同一性障害の瑠可(上野樹里)は、共同生活のシェアハウスを出てひとり暮らしすることを決める。半年後にはアメリカでの(性転換)手術も考えている。
「タケルは、私を好きだって言ってくれた初めての人だから。私に心を開いてくれた人だから。だから、あなたには嘘はつけない…」と、タケル(瑛太)に真実の手紙を残し家を出る。
手紙を読んで瑠可を追いかけたタケルは、「君がどんな風に変わっていくとしても、それをそばで見続けていたいんだ。君を見失いたくないんだ」。そういって瑠可を強く抱き締める。瑠可も抑えていた思いが溢れだしたかのように、タケルにしがみつきながら声を上げて泣いた。
ひとりでドラマを見ていた私は、もうオンオン泣いてしまった。
みんなと暮らしていても、みんなと騒いでいても、瑠可は孤独だった。本当の自分を誰も知らない。瑠可は、高校時代から同級生だった美知留(長澤まさみ)を愛していた。本当の自分を知られることはものすごく怖い。アイデンティティが存在しない。いつも、見えない薄くて頑丈なバリアをはって生きてきた瑠可は、同じく心に何かの傷をもつタケルにカミングアウトしたのだ。カミングアウトした瑠可に叫ぶタケルのセリフがとっておきだ。「瑠可が好きだ。女としてか、人間としてかなんて聞くなよっ!」
性同一性障害について深く考えるきっかけになったのは、石井政之さんの著書『迷いの体 -- ボディイメージのゆらぎを生きる』(三輪書店) を読んでからだ。自分には存在しないハンデや痛みに関しては、想像を超えないだけでなく想像にすら至らないことがある。それ以降、やっと想像することができるようになった。
ニューハーフなどというと、TVや新宿2丁目かで天真爛漫に活躍している人を想像する。けれど、実際の彼ら(彼女)の苦悩は深く、自ら命を絶つ人が多いらしい。以前、「明るくしていた子がこの頃少し変だなあと感じた時はとても危険。少しでも命を救ってあげたい」と、(たしか)カルーセル・麻紀さんが話していた。
私は心も身体も女だ。脂肪たっぷりのCカップの身体に、男の人にだけドキドキする心。この身体に男の心があったら?と想像してもあまりピンとこないが、この女女した心に男の身体だったらと想像すると、その苦悩が理解できるような気がする。
TV番組でニューハーフのきれいな人が、「好きな人の子どもを産みたいけどできないから、彼を一生大切にするの」と言っていた。切なくて悲しかった。
IKKOさんの「どんだけ〜」は、もともとは新宿2丁目で使われていた言葉だが、ある番組でとっさにでたことからブレイクしたものだとご本人が言っていた。このトーク番組を私は見ていた。ハマコー(元政治家浜田幸一)に、「で、あんたは子どもは産めるのか!」と聞かれ、IKKOさんは、とっさに「どんだけ〜」と切りかえしていた。顔は笑っていたけど、指が震えていて痛々しかった。
本当は、アイデンティティのこととか、カミングアウトのこととか言いたい放題したかったのに、何だか性同一性障害について熱くなってしまった。TV番組で、何年か振りにニューハーフとして実家に帰り両親にカミングアウトした人は、父親に「情けない!もう二度としいきをまたぐな」となじられ涙をこぼしていた。久方振りに帰った息子が女性になっていたことに、古い思考の父親は我慢できなかったのだ。彼(彼女)がどんな思いで肉親にカミングアウトしたのか想像だにできなかった。
アザも性同一性障害も五体満足であり、病気なのか障害なのかわかりにくい。どちらも近年やっと社会に認識されるようになったが、それでもやはりよほど強くないと隠して生きていくことになる。「ラスト・フレンズ」の瑠可のような、女性の性同一性障害の認知度はそれほど多くはない。きっとたくさんの痛みを持った人がいるだろうに。
カミング・アウトを受け入れてくれた人の存在は特別だ。もう隠さなくていい、それだけで特別な存在なのだ。
深夜 トラジ ソファーでウトウト