カメオンの言いたい放題 8
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2/19/2006
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はじめての共産圏の国、中国の江南地方に6日間の旅行をした。日々細かいことを忘却していく中、現在一生懸命旅行記を書いている。
中国は子どもの頃から大好きな国だった。やさしい心温かい人々が暮らす桃源郷だと思っていた。
今回中国を旅行するに当たって、旅行記を載せている色々なHPを訪れたり実際旅行した結果、悲しい現実があった。
カオチンさんのHP http://kobe.cool.ne.jp/kaochin/ のコラム集の中に「上海の物乞い」というコラムがある。
上海のビルの谷間で出逢った異形の物乞いは、赤ん坊の時にマフィアに連れ去られ、人工的に手術をさせられ奇形に育った人だった。彼らは夜になると組織に回収され、稼ぎが少ないと食べ物がもらえない。そして朝になるとまた彼らはビルの谷間に置かれる。
身体に障害があるだけでも保護されるべきなのに、それが人工的につくられたものであり、国も誰も彼らを救ってくれない。救わないどころか色々ネットで調べてみると、公安も裁判官も役人も裏ではマフィアと繋がっているという・・・(実際のことは不明です)。
中国ではバレンタインデーに、好きな男性のために美容整形をするのが流行っているという。貧富の差が激しい中国では一部のお金持ちの人なのだろう。無理やり異形にされる人、綺麗になるお金持ち・・・。
世の中には凄惨なことや理不尽なことが溢れているとは思いながらも、40年以上も生きてきて、こんな衝撃的なことははじめてだった。なんて自分の甘かったこと・・・。
コラムを読んでから中国に出発するまで、「上海の物乞い」のことはいつも頭の隅から離れなかった。そして中国に着き、思いもよらず私も異形の物乞いと出会ってしまう。今でもいつも頭の隅に彼がいる。きっと一生涯忘れることはできないだろう。
カルチャーショックやらなにやらの今回の旅行でした。長い旅日記を書く予定はありませんでしたが、どうしても今回の旅行を書き留めたいと、思い出し思い出ししている旅行記を読んでいただけると幸いです。
2/5/2006
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最近TVで、「日本の歌」(いわゆる演歌)のステージを見ることがある。演歌歌手数人が地方の公開ステージで歌う某TV局の番組だ。週末に放送されることが多いので、お酒を飲みながらステレオ音量にして聞く。すっかりオヤジとオバンのようだ。
昔(若い頃)は、演歌なんか大嫌いだった。着てはもらえぬセーターを編むな!と突っ込まれた「北の宿から」のように、自己憐憫の演歌は人生の応援歌にならない。失恋などしてちょっとだけ不幸になった人が、ああ自分はなんて不幸なんだろうと自己陶酔するか、幸せで退屈している人が、ちょっとだけ演歌の悲しい世界に入って酔うといった感じだろうか。
本当に不幸で絶望をしている時は、岡本真夜の「TOMORROW」や平原綾香の「ジュピター」などに心打たれるのではないかな。ユーミンの曲も応援歌に近いが、そういえば中島みゆきの曲は、演歌に近いものがあるかもしれない。
と、そんなに演歌をコケおろすのなら、なんで演歌の番組を見るんだよ!と突っ込まれそうだが、自己憐憫の演歌という考えは今でも変わらない。演歌を聞いて楽しめるのは、今の自分が幸せであるからだろう。(まあ、音楽は趣味や芸術?の世界なので、誰が何を聞こうが本人の勝手です。すんまそん。)
と前置きが長くなったが本題に入ると、先日見た番組の中に新沼謙治が出演していた。「嫁に来ないか」以来大ヒットはないが、ナカナカ良い曲を歌い素敵な表情をしていた。
若い人はご存知ないと思うが、彼は昔「スター誕生」というオーデション番組からスタートし、デビューした。その番組だったかそうでないかはっきりと憶えていないのだが、忘れられない記憶がある。ある音楽評論家(たぶん)が新沼謙治の容姿について、「片方の瞼がふさがっているのが暗い感じがする。それを治しなさい」と言ったのだ。治しなさいというのは、美容整形しろということであろう。TV番組の公然たる中での発言は、今なら暴言になるだろう。その頃少女だった私は深いことは考えられなかったが、何だか彼が悲しそうにしていたのと違和感が残った。
あれから数十年、彼は美容整形することなく、彼の内面や人間性が容姿に表れているのであろうか、素敵な中年男性になった。あの発言をした人は今はどんな容姿になっているのかと、ふとそんなことを思う。
1/29/2006
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昨年から今年にかけてのマイブームはフレンチブルドッグである。クリクリの目にペッタンコの鼻、大きな口から舌がこぼれる容貌は、心を和ませる。
今年はフレンチブルをペットに迎えようと夫婦で決め、ペットショップに行ったりネットのペットオークションを毎日開くようになった。
数ヶ月して気づいたことなのだが、当たり前と言うかやっぱりというか、容姿の整ったかわいい子から落札されていく。ダックスフンドなどの種類はどの子も似たような容姿をしているが、フレンチブルは他種と違って容姿がまちまちである。ベージュの身体に、片側の目の周りにだけいびつに色が入った子を見ると、自分のアザを連想して少し複雑な気持ちになる。ハンパな柄を持つこの子はちゃんとかわいがってもらえる家庭がみつかるだろうか。
色素異常や身体に少々の障害を持つ子は格安になっているが、何日経っても入札されない。同じように可愛い子がほしいと思っている自分の心に複雑である。
姉に、「ペットショップなんかで見つけないで保健所にいる子を引き取ったほうがいいよ。私が今度飼う時はそうするつもり」と言われた。ウーム、それはそうである。保健所にいるかわいそうな子を家族にするほうがどんなにいいかしれない。けれど何故か気持ちが進まない。
まず、保健所に行ってもうすぐ殺される運命の子たちを見るのが怖い。見てしまったら数日うなされそうだし、その光景は一生忘れられないだろう。
以前、保健所で抹殺される動物たちの実態を何かの冊子で読んだことがあるが、何ともいえない気持ちになった。できればそんな保健所の存在さえも忘れたい気持ちだ。ペットを迎えるという楽しいことを、辛い現実からスタートしたくない。
だからといって、普通にネットやショップから可愛い子を迎えるとしても、何か後ろめたいものがある。
ああワンちゃん一匹迎えるのも難儀である。
神田うのみたいに屈託なく生きれたらどんなに幸せだろうか・・・。(実際神田うのがどういう人か知らないのでご無礼)
1/9/2006
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明けましておめでとうございます。今年もマイペースですが、よろしくお願いいたします。
皆さんどんなお正月をお迎えでしょうか。元旦というものは不思議ですね。ただの昨日の延長なのに、空や空気が何か違うように感じます。(そういえば平日と休日でも空気が違うように感じられるのを考えれば、心のありようなのですねえ。)
穏やかな元旦を迎えられたことに感謝し、来年も再来年もずっと穏やかな元旦であることを祈って・・・・。
穏やかな元旦を迎えるには、何より健康が一番。姉は持病のメニエルで時々めまいを起こし、両親は当然のことながら新しい年とともに確実に年老いていき、この先いつまで元気でいてくれることやら。考えると不安は尽きない。
母や姉と初詣などをし夜家に帰ると、夫はお酒をたらふく飲んでご機嫌さん。楽しみにしている「男はつらいよ」を観て二人で大笑いする中、何かの話の延長で、「もしあんたが先に逝って独りになったら、酒飲んで暮らす」「かまう相手がいなくなったら酒飲むしかないなあ、今日そんなことを思った」と、ふと夫が言った。
普段も色々なことを思っているのだろうが、滅多なことでは思いを口にしたり弱音や愚痴もこぼさない。が、お酒をたくさん飲んだ時だけ思いがでることがある。
いつもは私が「私を残していかんでね」と言うと、「オレは一人になったらゴルフやりたい放題!へっへ」と笑っているのだが、お酒でぽろりと本音がでたようである。
私が先に逝った後、ここで独りでご飯を食べお酒を飲んでいる夫を想像すると、この人を残していけないと思ってしまった。今までは、夫には一秒でも自分より長く生きていてもらいたいと思っていたのに。
酔いが醒めたあと、自分が言ったことを夫は覚えていないだろう。けれど夫の言葉は私にとって今年最初のサプライズで、忘れることはないと思う。自分が残されるのはイヤだと自分のことばっかり考えていたが、夫のためにも自分の健康管理をもちっとしようかなと思う年のはじめだ。
12/30/2005
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今年も暮れようとしています。
三十路になった時、会社の50歳代の人に「30歳を過ぎると10年があっというまだよ」といわれましたが、本当に一年が過ぎるのが早いです。
この頃、忘れていたずっと昔のことを思い出すことが多くなりました。最近のことは茫々としているのに。お年寄りの昨日のことは思い出せないのに、遠い昔のことは鮮明に覚えているというのに近いものがあります。汗;
未熟な私の思い出は、消しゴムで消したいようなものばかりで、突然ハッと浮かぶと「うっ!」とか独り言を言って夫を驚かせます。
これからは、思い出すのに辛かったり恥ずかしかったりすることのないような人生を歩みたいものです。キャパが小さくて難しいのですが。
HPを訪れてくださったみなさん、今年一年ありがとうございました。
新しい年がみなさんにとってよい年でありますように。
12/23/2005
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一昨日からコンコンと雪が降り積もっている。昨日は父の誕生日だったため、雪の中会社の帰りに実家に寄った。ここ数年、父の誕生日には少々のお小遣いと手紙をプレゼントしている。母から聞いたところによると、初めて手紙をもらった時、私が帰ったあとうれしそうに手紙を読み返し、「**子は上手いこと書くなあ」と言っていたそう。
父が喜んでくれるのもうれしいが、夫に一応「お父さんの誕生日にお小遣いをあげていい?」と聞くと、いつも「ええよー。」と二つ返事をしてくれるのもうれしい。
無口な父とは今まで三言以上の会話をしたことがない。昨日も母に電話が掛かってきたため、父としばらく二人きりになった。お互いに何となく気恥ずかしいような気まずい雰囲気の中で、「**(夫)は元気にやっとるか?」と聞かれ、私は「うん元気だよ」 父「そんなら良かった。」
暫くして、父「明日は休みか?」 私「うん休みだよ」 父「3連休やな」という会話。母に休みを確認される時は、何かのおつかいを頼みたいという魂胆が潜む事があるが、父の場合は純粋に私がお休みでよかったという気持ちのようだ。
自己中なところがある父だが、姉に言わせると私のことに関しては自己中がとぶそうだ。父とは会話をすることがなかったので、父の言葉は母から聞くことが唯一だった。その中で忘れられないことがひとつある。
仕事で遅くなった時父はひとりで夕飯を食べるのだが、新聞を読みながら晩酌をしている間に、私たち(姉と私)は父のおかずの美味しいところをつまみ食いしていた。タコ酢はタコを食べつくしキュウリだけになっていたり、肉炒めは野菜炒めになっていたり。
もう大人になったある時、母から「おかずを全部食べられても子どものすることは怒れんなー」と父が言っていたと聞いて目から鱗だった。父のおかずをつまむことに父がそんな風に思っていたことと、子どもの頃から当然のようにしていたことが、よーく考えてみると(よく考えなくてもダメだよー)結構ひどいことだったこと。
食は命の源だが、食が関わる愛情は無償の愛かもしれない。
これも母から聞いたことだが、父は祖母に優しい言葉をかけてあげればよかったと、夜中に涙することがあるそうだ。あれから30年近く祖母が亡くなった歳に近づき、色々と思い返すと後悔の念でやり切れなくなるようだ。そう思うのなら母が病気の時などもっと労わってあげればいいのに、母が先に逝ったらまた後悔するぞ、と私は思う。
母が「そういう気持ちがあるのならお墓に手を合わせたら」というと、「死んでからあの世で謝るからええ」というところが、やっぱり自己中の父らしい。
実家から帰る時、雪が降る中道まで出て見送ってくれる。そんな姿は自己中の父らしくなく、しわくちゃで小さくなった身体に胸が少し痛む。自己中の時は憎々しいが、父は憎々しいくらいの方がいいかもしれない。
12/16/2005
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| 最初の一歩 何事においても、最初の一歩を間違えると とんでもない方向へ行ってしまいます 仏道の修行は 自分が救われるためではなく 世のため人のためにつくすことです この誓願から最初の一歩を踏み出しましょう 道元禅師からのメッセージ 「慕古心」 大本山 永平寺より |
風邪を引くと心が荒む。荒んだ心に悲惨なニュースが飛び込むと、「もう救いようがないな」と思ってしまう。
まだ娘の頃、夏になると近くの田んぼに生息する蛍を見に、夜母と散歩に出かけた。今では、夜間にブラブラと出歩くなんて危険なことは考えられない。防犯ブザーを持たざるを得ない子どもたちは、どんな大人になっていくのだろう。
同じ子どもが犠牲になった事件でも、身内の虐待死の報道は他の事件に比べ淡白な感じがするのは気のせいだろうか。日本は欧米に比べて、身内の犯罪に甘いようである。
地球温暖化が叫ばれ、異常気象が多発する地球。この先どうなっていくのだろうと暗たんとしてしまうが、身体がきつくて心が荒んだ私は、もう自分が生きている間さえ何事もなければいいやと投げやりになってしまう。
これから時代を担っていく子どもたちの未来も考えず、これだから子どものいない人はダメだっていわれるんだろうなーなどと、自虐的になる。
「もう救いようがない」なんて思う自分が救いようがない。身体が元気になったらもっと前向きになれるかもしれないが、やっぱり慕古心を読むと心が洗われる。
11/21/2005
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木枯らしが吹き、冬はもうそこまできている。お日さまの匂いがする暖かい毛布にくるまるため、お天気のよい日はなるべく毛布をベランダに干そう。
布団干しは義兄(あに)の想い出でもある。義兄の最期の想い出は、母方の祖母のお布団を干していた姿である。年老いてほとんど寝たきりのおばあちゃんの布団はホコリだらけで、「うおぉぉぉー」といいながら布団叩きでパンパンと叩いていた。私たち姉妹の祖母なんて義兄には遠い存在なのに、昼間は(夜もだけど)ひとりきりのおばあちゃんを思ってくれた義兄。
その次の日曜日も、私が実家に行くと、ちょうど義兄が両親の布団を2階から運んでくる最中だった。
「**君また人の布団干しとるのー」と言って私は笑った。実家に用があった姉を送ってきたのだが、兄はじっとしていることはなく、何かしら家のことをしてくれていた。
その夜みんなで焼肉を食べたのが最期になってしまった。
毛布をとり込みながら、暖かい毛布は義兄そのものだなあと思う。
私は両親の布団を干したことが一度もない。あれから10年も経ち、歳老いた両親が布団を運ぶのはきついだろうなあと思いながらも、一度もない。天国の義兄はなんて思っているだろう。
実家の両親も、姉が泊まりに来る時は布団を干して待っている。昨年姉が、「布団を干して待ってくれる親がいなくなったら、お正月もどこにも帰るところがなくなるね。。。」と言った。私は胸が詰まってしまって何も言えなかった。「私がお布団干して待ってるよ。お姉ちゃん。」
夫は独身の時、冷えたせんべい布団で寝ていたようだ。私は、義兄や姉や母ほどきれい好きでも家庭的でもないが、それでも暖かい毛布にくるまる時、夫は幸せを感じているようだ。暖かい布団は人の愛情そのものなのだろう。
ベランダから毛布をとり込む時、お日様の匂いがする暖かい毛布は、義兄の温かさのようで胸が切ない。
11/19/2005
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自分の顔写真をHPにアップしたため、生まれてはじめて素顔の自分の顔を客観的に見ることになった。
アザが映った写真を見るのが怖くて、素顔の写真を撮ったのは高校生以来だ。それをHPにアップするなんて少し前なら考えられなかったのだが、成長かな??
写真は、ワインをたらふく飲んで酔っぱらった真夜中にパチパチと撮った。(撮ってる横で夫は泥酔)それでも見る勇気がなくて、写真はデジカメの中でしばらく眠っていた。けれど実際に写真と対峙してみると、案外何でもなかった。
蛍光灯の下で映したので実際よりもきれいに撮れたのと、酔っ払っていたので微妙にピントがずれていたのが幸いしたのかもしれない。それでも中にははっきりくっきりと映っているものがあり、それはすぐさま削除した。紙写真だと破ってしまうのに躊躇するが、ワンクリックで削除の画像はほんとに便利だ。
書き込みで感想をいただいたが、自分でも「けっこう薄いなあ」ということを感じた。治療前の状態をはっきりと思い出すことができないが、こうして客観的に見ると治療効果は大であったと改めて実感し、「うー、がんばった甲斐があったなあ・・」としみじみ。
最初の治療後に母から言われた、「第一印象の『うっ』とうける感じがなくなった」という感想が、今でも忘れられない。すごく正直な感想だったのだろう。
また頑張って治療を再開しようかな。何れ、必ず・・・・。。
話は変わるが、リンクさせていただいている潮騒さんの「治療記」に励まされ、「心の赴くまま」を読んで涙する。
私の両親も70歳をとうに越え、想い出を作る時間も残り少なくなってきたことを感じる。潮騒さんのHPを読んでいると、大切な思いを呼び起こされ、やさしい気持ちになる。。
11/18/2005
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平成の市町村大合併がはじまって久しいが、仕事がら市町村境とにらめっこすることが多い。弱い頭と強い(はずの)目が痛くなった時、TVからCMが流れた。カップヌードルのCMである。
ミスチルのバックミュージックに、青い美しい地球と 「NO BORDER」
の文字が画面に映る。「そうだよなー、宇宙からみた地球に国境なんてないよなー」
自分が「なにもの」であるか知るには、生まれた場所や国境も必要には違いないが、子どもにはもっと他に教えることがあるのでは・・・と思ってしまった。
こんな偉そうなことをいっているが、私は方向オンチの地理オンチだ。この歳になって仕事がら地図をじーっと見るようになり、「ほう」と思うことが多い。オンチの私は思考と心の視野も狭かった。
この頃は切れる子どもが問題になっているが、線で刻まれた地図を見て、自分がなにものであるか考え、グローバルな人間になってくれたらいいな。
=朝夕寒さが厳しくなり風邪が流行っています。みなさまご自愛ください=
10/28/2005
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| 正しい宗教 自分の宗教を信ずるあまり 他の宗教をそしり 果ては憎しみ争うほど愚かなことがあるでしょうか 正しい宗教はいつの時代にも人々を照らし 平和な生き方へと導くものなのです 宗教者同士が刃をぬいて 争うことなどあってはなりません 道元禅師からのメッセージ 「慕古心」 大本山 永平寺より |
宗教戦争や宗教が絡んだ争いを見ると、本末転倒何のための信心だろうと不思議でしかたがない。信心のあまり、自分の子どもの溺愛と同じで、小さな世界になってしまうのだろうか。
本来人の心を救うはずの宗教が、争いのもとになったり、挙句の果て殺し合うようなことになってしまうなら、宗教なんかいらないと思ってしまう。
なので、この道元禅師の「慕古心」を読んだ時、胸がすっきりとした。道元禅師の人となりが顕れて、他の「慕古心」の言葉が更に輝いてくる。
ところで宗教を持つのは人類だけだが、他の生物よりすこーし脳が発達したために、宗教というややこしいものを生み出して、難儀なことだ。禅師がいうところの正しい宗教ではなく、信心により小さな世界になってしまうなら、いっそのこと信心などないほうがいいのではないかな。
10/20/2005
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よく夢を見る。決して不眠症ではなく、人生の半分は眠って過ごしているのではないかというくらいよく眠る。これは幼少の頃からで、外でいじめられたりして帰ってくると、母は必ず添い寝をして私を寝かしつけた。私には寝ることイコール逃避という意味合いが強い。
話はもどって、パノラマのような夢を見続け、朝方の夢で目を覚ますことが多い。朝方の夢で突然仕事の失敗に気づいたり、あれはそういうことだったのかとハッとすることがある。眠っている時に頭が冴えるというのはどうしたものだろう。
最近変な夢を見た。自分が死ぬ夢である。家族の誰かが死んで泣きながら目覚めることはたまにあるが、自分が死ぬのははじめてである。夢の中で臨終の私は、母に「生んでくれてありがとう」と言っていた。
もう自分は死ぬのだと思った瞬間、生きることの尊さと生まれてきたことのありがたさを心から感じた。夢で鮮明に疑似体験したのだ。
あの夢はいったいどういうことなのかな。普段、生んでもらったことには感謝していないと言ってはばからないことに、心の奥底で後ろめたさがあり、そんな夢をみたのだろうか。もしくは神様か義兄の思し召しかもしれない。
生まれてきたことの尊さ、40を過ぎて、夢で目から鱗である。
10/15/2005
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<最近思うこと>
レーザー治療を中止し、しばらくしてHPを開設した。先生にもうこれ以上の効果は期待できませんと言われ、これが限界なのだと自分に言い聞かせていた。なので、「言いたい放題」を過去に遡って読むと、素顔で生きていけないものか、生きていきたいという思いが溢れている。素顔で生きていけないものかというのは、カバーメイクで暮らしていくのに疲れていたからである。それでも心の奥底では、素顔でなんか決して暮らしていく勇気はないという思いもあった。
それはそれとして、この頃また新たな思いがフツフツと沸いている。治療を再開したいという思いである。私の個人的な感覚だが、カバーメイクで隠すということには「陰」のイメージがあり、治療で治すということには「陽」のイメージがある。これはおそらく、首や耳といった不自然なところに厚いメイクをしていることが多分にあるのだろう。顔のメイクだけならこの思いは少なかったかもしれない。書き込みを下さる情報を読んで、更に治療への思いが強くなっている。
「言いたい放題」の中の、「ありのままの姿で生きてはいけないのか」「そんな社会を目指そう」などという文字を読み返すと、恥ずかしいような複雑な気持ちだが、決してこの思いがなくなったわけでもない。
ただ勇気がないのと、最近は少し疲れているからかもしれない。
ウイルス対策のため、メールアドレスも明示されていないHPを訪れ、文字通り私の「言いたい放題」を読んでくださる皆さん、本当にありがとうございます。
アザについて言いたい放題しているわりには、実際の私のアザについては文章で表現するのみでした。ずっとそれについては心に引っかかるものがあり、今回期間限定ということでちょびっと写真アップさせていただく決心をしました。(写真は閉鎖しました)
顔は公開できませんが、私のアザをご覧になって、更に心の繋がりが深まることになれば幸いです。
10/11/2005
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コスメは色々と試してみたいが、カバーメイクに関しては何故だか冒険ができないというか、する意欲がわかない。なので二十数年間ずっと同じものを使用してきた。数年前、姉に教えられてはじめてオルビスのカバーメイクを試した。これは残念なことに廃番となってしまったが、買い置きのものをプライベート用に現在でも使用している。
最近、書き込みをいただいた情報に心動かされ、資生堂のパーフェクトカバーを試した。この資生堂の製品に関してはずっと以前にも「言いたい放題」したが、思い出がある。
結婚してまもなく、一時ダイレーザーの治療を中止していた病院から、化粧品会社がアザ用のファンデを開発したのでモニターをという電話があった。私はワクワクして片道2時の病院に行き、形成外科の先生も見守る診察室の中、資生堂の方(男性と女性)に開発されたというファンデでお化粧をしてもらった。結果は残念なことにカバーマークよりも劣るものだったが、やさしかった先生に心から「残念だねー」と言われ、社員の方には「これからも努力しますので」と名刺をいただいた。残念には残念だったが、アザのことではずっと孤独だったのに、先生も社員の人(こちらは当然かも)も一生懸命で何だかうれしかった記憶がある。
ちょっと自慢話になって恐縮だが忘れられないことをひとつ。
診察室で化粧を落として待っていたのだが、アザの無い片側だけ見た社員の人はまだ落としていないと思っていた。もう落としたことを告げ反対のアザのある方を見せると、「まあ、肌がきれいで落としたと思わなかった。きれいな素肌ですね」と言って本当に驚かれていた。私はその言葉がうれしくて今でも覚えている。ホホホ・・・。(あれがお世辞だったらものすごい営業マンだ)
それから数年後に開発は完成となり発売されたようだが、私が使用するのにはまた更に数年も経てしまった。
使用の結果は書き込みで情報をいただいた方にお返事したが、残念に終わってしまった。それでも、ナチュラル感は抜群であり、ゆるいファンデが肌に伸ばすと自然と固まっていくのにはびっくりした。もうひと工夫で私の広いアザにも対応できるものになるのでは、と期待大である。
自分のアザにはカバーマーク以外は無理!という概念をどうしても払うことができない。こんな鎖国状態だとひとり取り残されそうだが、情報を提供してくださる方に自然と背中を押してもらい、ほんとうにありがたい。