メオンのいたい  

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9/28/2005

うんざりすることが多い母の性格と長年つきあっている父は、大変だなあと思うことがある。それでも父は冷たいところがあり、私は母のうんざりする性格と父の冷たさを受け継いでしまった。
もしやさしい人と結婚していたら、温かい夫と子どもたちに囲まれて幸せだったろうにと、うんざりすることのある母でも不憫に思うことがある。

10年程前のTVドラマ「29歳のクリスマス」を思い出す。
今井彩(松下由紀)は、世界に出て行くため財力ある女性と結婚した音楽家の愛人である。音楽家として成功した男性は、妻を捨て彩と一緒になることを望むが、妻を捨てるその冷たさが何れ自分を不幸にすることを感じ、彩は男性を愛しながらも別れを告げる。
一夜限りの過ちで新谷賢(柳場敏郎)の子どもを宿した彩は、やさしい彼の子を生むことを決意する。子どもの頃から両親の喧嘩をみて育った彼女は、やさしい人の子が欲しいと願うのである。悲願の恋が成就した彼には何も告げず、彼女との旅立ちを見送る。
親友矢吹典子(山口智子)は彩の妊娠を知り、シングルマザーになるという彩に激しく反対する。この時の彩と紀子の最終回の台詞の掛け合いは感動ものである。

彩:「大きくなったら子どもに、あなたはほしくてほしくてほしくてほしくて産んだ子よ、といってあげるの」
最後この言葉に、典子:「分かった。生みなさい。お金に困ったら残業をじゃんじゃんする。お父さんがほしいといったら私がお父さんになってあげる。親戚のおばちゃんにもなってあげる」
というようなストーリーである。

この時の彩の「優しい人の子どもがほしい」という言葉が今でも心に残っている。彩も私と同じように自分が好きではなかったに違いない。自分の中に親から受け継いだ血を感じ、やさしい人を渇望していたのだろう。
年輪を重ねた後、最後は傍らに居る人がやさしいかやさしくないかが幸せの原点ではないかな。美女やイケメンが好きな人も、配偶者を選ぶ時はやさしいかどうかもよーく吟味しましょう(笑)。

「やさしい人と、やさしい人のやさしい子どもがほしい」という願いが、世界中で静かなブームになるとする。
そうすると、いずれ世の中はやさしい人がいっぱいの社会になるのでは、という私の想像は、やっぱり夢かしら。



9/26/2005

仏教の戒め
生きものを殺さないとみずからに誓います
与えられないものをむさぼり取らないと
みずからに誓います
欲するままにみだらな行いをしないと
みずからに誓います
嘘をつかないとみずからにちかいます
無明なる酒を飲まないとみずからに誓います


道元禅師からのメッセージ 「慕古心」 大本山 永平寺より

子どもの頃はメダカや蟻んこをはじめとして、たくさんの生きものを殺した記憶がある。命ではなく物を拾うようにして飼った捨て犬を、大切にしなかった。この歳になって歴代の犬たちのことを思うと、とても胸が痛い。
若い頃は色んなものが欲しかったが、歳とともにあれが欲しいこれが欲しいと思うことはなくなった。子どもの頃から嘘つき少女だったが、夫の前では偽る必要もなく、嘘つきオバンになるのは免れそうだ。
ただし、無明なるお酒を飲まないと誓うのは難しい。うれしい時もつらい時も煩悩のまま、お酒は一番の友である。



9/17/2005

どう生きるか
生まれて死ぬ一度の人生を
どう生きるか
それが仏法の根本問題です
長生きをすることが幸せでしょうか
そうでもありません
短命で死ぬのが不幸でしょうか
そうでもありません
問題はどう生きるかなのです


道元禅師からのメッセージ 「慕古心」 大本山 永平寺より

アザにつまずいて心が塞ぐ時、弱い性格が心を捨てばちにさせ「なんで生まれてきたんだろう」と思ってしまう時、美しい心からはかけ離れている自分を感じます。
そんな時のとっておきの薬は、「たった一度の人生」です。
泣いても笑っても悲しんでも楽しんでも二度とはないたった一度の人生。
最近TV番組で知ったのですが、人の平均寿命は縄文・弥生時代は14歳、江戸時代で20歳代、平均寿命が50歳を超えるのは戦後になってからだそうです。びっくりしました。昔は子孫を残せる歳まで生きることも難しかったのですね。
確かに昔なら私は赤ちゃんの頃の病気でとっくに死んでいたし、夫も子どもの頃の盲腸で、姉も20代の病気で、今の医学がなければ父も母ももう生きてはいないでしょう。
長生きになって生きていくそのものの意味を忘れがちになってしまいますが、「たった一度の人生」と思うと心が奮い立つような気がします。すぐ忘れてしまいますが・・・  中恥



9/4/2005

お昼に何気に再放送番組をみていたら、草原に爽やかな風が吹くような気持ちになった。
中京TVの佐藤という男性アナウンサーのエピソードである。27歳でアナウンサーになった時、その薄毛のビジュアルをソフトなイメージにしたいと、上司からカツラを被るように言われる。
その後彼はアナウンサーとして人気を得るが、カツラを被った姿が自分であり、今後カツラを取ることはできないのだと密かに悩む。また、暴風雨の中(映像では暴風の中カツラが飛ばないようタオルで頬かむりをしていた)やジェットコースター乗車の中継など、其処此処で彼を脅かせたり悩ませたりする。
カツラを被るという本来の姿を隠して生きている彼の苦しさは、私には自分のことのように共感できた。

1996年1月元旦の放送日、彼はカミングアウトする。カツラをつけない姿で、「心機一転」とカメラの前に立つのである。同僚の女子アナウンサーに「オレの根性みせてやる。」と言っていたというが、ものすごい根性である。カツラを指示した上司は「彼がそんなに悩んでいるなんて思わなかった。」と言っていたが、想像力がなさすぎる。
やっぱりと思ったのは、その女子アナウンサーも彼がカツラであることに気づいており、多分他のアナウンサーだけでなくTVの視聴者もそれと気づいていただろう。
本人がこんなに苦しんでいるのに、可笑しいようなもの悲しいような悲惨さであるが、悲惨で終わらず爽やかな感動を与えたのは、彼の勇気と根性である。

薄毛をカバーする人について夫は、「所ジョージや竹中直人のように坊主にしてしまったほうが潔い」と言う。私も同感だが、カツラを被ったり 1:9分けする人の気持ちも痛いほど分かり、夫のようにそう簡単には言い切れない。言い切る夫のフサフサの髪の毛を見ると、「自分の身になってみい」と不愉快だ。
それはさておいて、佐藤アナウンサーは魅力的である。他のアナウンサーに比べてスマートな感じではないが、都会的でイケメンのアナウンサーはいくらでもいる。
ある日カツラを脱ぎ捨ててカメラの前に立つ根性、10分の1でも私にあったなら・・・。


8/27/2005

はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうと、はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと、世界中の人の心もそろうでしょう



道元禅師からのメッセージ 「慕古心」 大本山 永平寺より

はきものはなかなかそろえられない。二人暮らしなのに玄関の靴も下駄箱の中の靴もびっしりである。びっしりなのは整理できないからだ。
つい最近母が玄関を見て、「靴はそろえるように教えてきたはずなのにどうしてかねえ」と独り言をいっていた。「子どものころから蹴散らして脱いでいたわい」と思ったが、黙っていた。
なのでこれを読んだ時ドキリとした。それでもすぐに忘れてしまう。はきものがそろわないのは、心がそろっていないからだろうか。
ひとつだけ言いたい。以前夫から聞いた話だが、保険外交の人がやってきて玄関チャイムを鳴らした。夫が玄関に行くともう中に入っていて、靴をそろえていたという。夫はむっとしていた。だまってそろえるのも時と場合によるような気がする。
まあ「慕古心」でいうところのはきものをそろえるとは、いろんなことの例えであると思うのだが、それにしても人にそろえてもらっているようでは問題外である。大恥・・・


8/23/2005


夏季休暇に伊豆を旅行した。旅行は行く前の楽しみと当日の楽しみと思い出す楽しみがある。けれど随分前からとても楽しみにしていたので、終わったら気が抜けてしまった。
残念ながらこの季節富士山は靄って見えなかったが、連日の猛暑だったのに(特に伊豆高原は)思いのほか過ごしやすかった。旧天城トンネルのヒンヤリした風や、「鹿のぬた」(鹿のルイベを酢味噌であえたもの)をつまみに飲んだビールや、宿泊先のプールで何故だか40数年間のかなづちとさよならできたことや、想い出はいっぱいである。

ひとつだけハプニングがあった。ハプニングといっても私だけの個人的なハプニングであるが。予約していたホテルの部屋に、あれだけ念をおして確認しておいたはずのお風呂がなかった。(たぶん宿泊客が少なくて)サービスで部屋がグレードアップされたために、お風呂がなくなってしまったのだ。温泉旅館に来て部屋の小さなバスに入る人は滅多にいないのだろうが、私には一大事である。部屋中を探し回って一瞬ボー然としたあと、私は腹をくくった。
ホテルは空いている。こんなに大きなホテルに私たちの他に客は5・6組くらいだ。一晩中開放されている温泉で他のお客と必ず会うとは限らない。温泉宿に来たのだから温泉にも浸かりたい。覚悟を決めた。レーザ治療で少しは薄くなったことも私の勇気につながっていたのかもしれない。
それでも温泉に入って部屋に戻るまで気持ちは落ち着かず、そわそわイライラしてしまった。結局お風呂では若い女性と年配の女性の2人に会ったが、中は薄暗いし、お互いにジロジロ見たりすることはないので何とか大丈夫だった。

そういえばもうひとつハプニングがあった。2人を避けるために露天風呂に出たのだが、そこで巨大ゴキブリを見つけてしまったのだ。ゴキブリほど私を驚かせる生き物はいない。嫌いなものほど目に留まってしまうのだろうか。それにしても露天風呂にゴキブリって・・・。DHCのクレンジングをかけたら即死した。
部屋に戻って始末してもらうようフロントに電話する。疲れてしまった。寝る前にもう一回温泉に入ろうといいながら、夫も私も飲みすぎと疲れで眠ってしまった。
怖くて嫌な夢をみた。素顔をみんなに見られそうになる夢だ。最近は見ていなかった夢だが、外で化粧を落とさなければいけないということが、自分が思っている以上にストレスだったみたいだ。

それでも翌朝、夫と再度勇気を出して温泉風呂に向かった。年配の女性がひとり脱衣室でくつろいでいた。私ひとりで広い浴槽にゆったりと浸かれて気持ちよかった。
だいぶ長い間入っていたので、夫が(気を遣って)早くから待ってるかもしれないと思い、男女のお風呂の出口の待ち合わせ場所に急いだのだが夫の姿はない。待てど暮らせど現れない。部屋の鍵は夫が持っているので帰れないし、集団で誰かやってきたらどうしようとドキドキして待っていると、夫はのーんびりと出てきた。スッピンの私を気遣って早くから待っているかもしれないと思った私はバカだった。腹が立ちすぎて呆れてしまった。

最終日、柿田川に行った。富士山から流れる地下水が湧き出て、清水が大きな川をつくっている。ここは独身の時、姉と義兄と一度来たことがある。姉夫婦は多分気を遣って私を誘ってくれたのだと思うが、あの頃2人は新婚だった。なーんにも考えずについて行った私ってば、今考えるとものすごいオジャマ虫だったような気がする。
姉と話したのだが、1泊したはずの旅行なのに、富士山と柿田川とひょうたん寿司のことしか私たちは覚えていなかった。柿田川の湧き水だけはしっかりと覚えている。ただし、柿田川の場所や周りが公園になっていることなどは忘れていた。ふつふつと湧き出る清水を見つめながら、あれから十数年後に夫と同じ場所に立っていることが不思議だった。
あの時、確かに姉と義兄と3人でこの風景を眺めていた。懐かしくて切なくて胸が痛かった。義兄の想い出が詰まったここにいつまでも居たい、立ち去りたくないような気持ちだった。
十数年前、私を旅行に誘ってくれてありがとねって心の中で呟いてみる。


8/12/2005

足ることを知る心
貧しいことが善でもありません
豊かなことが悪でもありません
貧富にかかわらず、貧欲の心がおこるとき
人は美しい心を失います
仏心とは
足ることを知る心のことです



道元禅師からのメッセージ 「慕古心」 大本山 永平寺より

以前にもメッセージしましたが、このHPはアザをテーマとしているので、ほとんどがアザ絡みです。
なので、アザのことばっかりを気にして暮らしているように思われがちですが、そうでもありません。
とはいえ、これも以前メッセージしましたが、アザのハンデは日常につきまとい、心を塞ぐことが多いです。
いちいち小さな躓きに心塞ぐとき、美しい心とは遠いものになっていることを感じます。
『足ることを知る心』を考えるとき、自分の周りにあるたくさんの「足るもの」に気づき、心が楽になります。
楽になるっていうのも自分勝手で何ですが・・・。小恥・・・


8/5/2005


韓国の「8月のクリスマス」という映画の中に、こんな言葉がある。

   
通りの街灯が1つ2つと灯され 
   夜のとばりに包まれる 
   また1日が暮れる時
   なんだかすべてのことが むなしく思えて・・・・

   
一緒に映画を観ていた姉は、感受性が強かったのか子どもの頃から夕暮れがむなしかったという。私は歳をとるごとに夕暮れが嫌いになった。辺りが暗くなり遠くから聞こえる犬の鳴き声が心を不安にする。6時半に役所から流れる夕刻の音楽も心を寒々と淋しくさせる。人恋しくなって色んな人のことを思う。薄暗く感じた部屋は、夫が帰るとパッと見違えるように明るくなる。
夜家路を急ぐとき、家々の灯りは自分を拒絶しているようで孤独にする。

夕暮れというと、むかーし姉から聞いた義兄(あに)の話を思い出す。義兄は夕暮れに家の明かりがポツリポツリと灯ると、そこにはどんなあったかい家庭があるのだろうと、引き込まれそうになったという。
たくさんの兄弟の末っ子に生まれた義兄は、跡継ぎのお兄さんの子どもと変わらないくらいの歳で育った。やさしいお姉さんが嫁ぐたび、悲しかったという。社会人になると同時に故郷を遠く離れる。いつも朗らかで友人も多い義兄だったが、やはり淋しかったのだろうか。家の灯りをどんなあったかい家庭だろうと思うところが義兄らしい。
義兄は姉と結婚をして幸せだったのだろう。義兄の淋しさはやさしさとなって、姉だけでなく私や両親にも家族のような愛情をいっぱい注いでくれた。

むかし姉から話を聞いたときは、共感ではなく「ヘッ?」という感じだった。不思議な感じがしたのでずっと覚えていた。夜遊びをして遅く帰ると、母は私が帰宅したのを確認してそっと部屋の電気を消す。遅く帰って怒られたことはなかった。寝ないで待ってくれていることを煩わしく感じていた私は、義兄の気持ちなど解るはずはなかった。
解るのに20年近くも経てしまった。

もうひとつ思い出すことがある。夫と付き合い始めた頃、ひとりで住むには広すぎる家に暮らしている夫に、ついというか何気に「さみしくない?」と聞いたことがある。夫は「さみしくないよ」とぶっきらぼうに答えた。付き合い始めた頃の夫は、ピュアな中にも見えないバリアを感じることがあった。人に弱みをみせなかった。
結婚も間近になったある日、お酒が過ぎた夫は、「もうひとりはいやだ・・さみしい・・」と言って腕で涙をぬぐった。私は自分に心を許してくれている夫を感じながら、切なかった。

名古屋で母と姉と遊ぶ時、帰りの電車は姉だけが反対方向である。私が自分たちの電車に乗ることに集中している中、母は反対ホームの姉の姿をいつまでも探している。「もう乗ったかなあ・・・」といつまでも気にしている理由をある時聞いた。「ひとりで反対電車に乗ってひとりで帰っていく**さんが不憫で・・・」と。繰り返すようだが、普段かなりうんざりする母だが、親こその思いである。

本来人は淋しい生き物なのだろう。淋しいのなら地球中、みんなでいたわりあって生きればいいのだが、利害関係が働いたり他の色んな感情が邪魔をしてそう簡単にはいかない。難儀だ。
それでも夜のとばりが降り家々に明かりが灯る頃、さみしい心とやさしい心が交叉する。



7/31/2005


仏心のめざめ
仏心とは
自分のことはさておいても
世のため人のために
つくそうという心に他なりません
自分を中心とするから苦しむのです
仏心にめざめれば
苦労も生き甲斐に変わるのです


道元禅師からのメッセージ 「慕古心」 大本山 永平寺より

繰り返すようですが、このHPは宗教とは全く関係ありません。ただ、手にした冊子の中の心に響く言葉をご紹介しているだけです。「慕古心」とは、
『時を超えて、人を超えて、語り、受け継がれ、伝えられる「真実(本当のこと)」は永遠に輝いていて、いつも新しいのです。道元禅師は、現代を生きる私たちに、「真実(本当のこと)」をたくさん教えてくださっています。そのひとつひとつを学び、実践することを「慕古心」というのです。「慕古心」とは「永遠の真実」を探し求めることであり、「道元禅師からのメッセージ」はそのための羅針盤に他なりません。』
と冊子にあります。

学生時代漢文で習った「朝(あした)に道を聞かば夕(ゆう)べに死すとも可なり」(孔子)を思い出しました。「朝、真実を知ることができたら、夕方死んでしまっても本望なのに」という意味だと確か習ったのですが、いつの時代も真実はなんなのだろうと探りながら人は生きているのでしょうか。「私って何?この世って何?生きるって何?・・・」

冠婚葬祭場で働き始めた知人が、お坊さんの実態を知るにつけ失望し、クリスチャンになったといって笑っていました。キリスト教関係にしても酷い事件は絶えません。
わたくし的には、心に響く言葉を宗教とは関係なく味わっています。

  
7/25/2005


先々週土曜日のTV番組、「アンビリーバボー傑作選」をご覧になった方はいらっしゃるだろうか。
私は何気にチャンネルをかえて最後の15分ほどを見たのだが、惹きつけられてしまった。

韓国のある(美しい)女性が火傷により大きく容姿を変える。お兄さんの愛情などに支えられ、韓国ではこれ以上の治療はできないといわれる中、来日し治療を受ける。
いくつかの心に残る言葉や場面があるのだが、ひとつは医師の言葉
「大丈夫ですよ。」 これは後に先生は、「とても大丈夫の状態ではないけれど、希望を与えてあげたかった。」と言われていた。ぬか喜びさせるのを恐れるのではなく、絶望している人の心に灯りを灯す言葉を言うことほど、勇気あるやさしさはない。

女性は、こんな容姿で生きるよりもあの時死んでしまったほうがよかったという大きな絶望を乗り越え、
「私はあの時生まれ変わったのだ。」と言えるまでになる。ハンデを持ったことによって、ささやかなことを幸せだと感じられるようになったともいう。これはアザもちさんを含めユニークフェイスな人から時々聞くことがある言葉だ。
子どもが大好きだったのに、ある日突然の事故で、公園で子どもに化けもの扱いされるという境遇を受け入れるのには、凄まじいものがある。
勿論すべての人が彼女のように受け入れられるわけではないだろう。帰国し、もうすぐアメリカ留学をするという彼女は、本来前向きで強い性格の持ち主だったのかもしれない。それでも彼女のひとことひとことが心に響き、何だか小さな勇気がわいてくる(ような気がする)。

女性のことは韓国でドキュメンタリー番組として放送され、以来、街で人々から温かい言葉をかけられるようになるのだが、私が一番印象に残った言葉がある。
「日本は、美しいことを重視する韓国よりも暮らしやすかった。」という言葉である。
はっきりとした言い回しは忘れてしまったが、意味はこれと同じである。以前、韓国の映画監督が言っていた「韓国は美しいことばかりに走りすぎている。」という言葉を思い出した。
(大げさに言うと)国中がプチ整形に走る韓国は、やっぱりユニークフェイスには暮らしにくい社会なのかもしれない。