メオンのいたい  10

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10/13/2006


世の中の不穏な動きに、気の小さい私は心穏やかでない。
ドラゴンズの試合に一喜一憂できる平和な日々でありますように・・・・。

先月、名古屋の久屋大通り公園で行われた「青春のグラフィティコンサート」というフォークコンサートに行き楽しんだ。一昨年も姉に誘われて行ったが、今年で7回目だそうだ。私は団塊の世代より若いので、フォークソングが全盛のころはまだ子どもだった。なので、出演者の中には知らない人やグループがいるのだが、音楽はどこかで聞き覚えがある。

前日つま恋コンサートでお疲れの伊勢正三がスペシャルゲストとして登場、最高の盛り上がりの中、杉田次郎と出演者全員で「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌って幕を閉じた。
名古屋のビルのど真ん中、黄昏が街を包む。音楽と会場が一体となって涙ぐんでしまった。
待ち時間を含め10時間があっというまだった。

今更になって少し調べてみると、出演者の一人は元「ふきのとう」というデュオだったり、伊勢正三は「かぐや姫」解散後、「猫」のメンバー大久保一久と「風」を結成したのだ。ふーん。
「猫」というグループは、吉田拓郎のバックをしていたとか。ふーん。
大野真澄って誰だろうと思っていたら「ガロ」のメンバーだった。「学生街の喫茶店」は大好きな曲なのだ。http://www.duarbo.jp/versoj/v-folksong/gakuseigaino.htm(ここで聞けます)
当時小学生だったと思うが、

君とよくこの店に 来たものさ 
訳もなくお茶を飲み 話したよ


という歌詞が、子ども心に刺激的だった。

あの時の歌は 聞こえない
人の姿も変わったよ
時は流れた


あれから更にものすごく時は流れたがね。


つま恋のコンサートに行った友人と「かぐや姫」の話をしばしする。
かぐや姫がトップに歌った曲名は「妹よ」ではなく「妹」。へぇー(60へぇ)

私はこの「妹」を聞くとすぐに涙が出る。それは、義兄(あに)が私の結婚式に歌おうと秘かに練習していたと姉から聞いたから。
結局、披露宴で濃い身内が歌うことはあまりないだろうということで義兄は歌わなかったのだが、田舎の結婚式である、夫のお父さんもお姉さんも歌い、最後には夫の親戚一同で大合唱になった。
私の親族は勿論みんな喜んでいたが、夫の親族にもみんなに祝福してもらえた。
義兄が「体裁でなくて、みんなが心から祝福してくれる本当に良い結婚式だった」と言っていたと聞いた。

義父が歌っている時、義兄は義父の病のことを聞いて涙を流していたという。それなのに自分の方が先に逝ってしまうなんて・・・・。
何にしても、義兄が披露宴で歌うことはなかったと思う。愚義妹を思ってちょこっと歌っていただけなのだろう。でも思いは海のように深い。
義兄の歌は聞けなかったが、「妹」が流れるといつでも義兄の優しい歌声が聞こえる。だからすぐに涙がでてしまうのだ。




10/8/2006


ケッ!とチッ!

販売中止になったため買い置きしておいたオルビスのカバーファンデが、いよいよ残り少なくなってきた。私用に使うには手ごろで、とっても気にいってたのに。
最後の一本になり、ファンデを搾り出す度萎んでくるチューブと正比例して、心も萎む。シクシク。
公用(通勤)のファンデも必要となってきたため、先ほどグラファ社のカバーマークを注文する。ファンデ地獄だ・・・・。
惰眠するトラジを眺めながら、「あんたはいいわねぇ。お肌の悩みがなくって! 
ケッ!」っと八つ当たり(トラジは酷い肌アレルギーを持っていて、お薬服用中なんだけど)。
けれどもトラジにはトラジの、ご飯はいつもらえるのか、お散歩にはいつ連れて行ってもらえるのかという大きな問題が日々あるのだ。

中日ドラゴンズが心配だ。昨日負けてしまった。
9月は優勝日に照準を合わせて名古屋ドームのチケット購入をしたのに、途中で失速してしまった。
夫は「まだ大丈夫。だいじょうぶ。」と笑っているが、実は彼はジャイアンツファンなのだ。ジャイアンツのことだったら、きっとハラハラしてるだろう。
チッ!
タイガースって何であんなに負けないのだ。タイガースファンには申し訳ないが、今日こそはトラの皮ひとつを切断してね。

姉の情報によると、今夜未明に13年振りのジャコビニ流星群が見られるかも。
神秘で美しい流星を見て、心を洗おうっと。
満月もきれいだがや。



10/1/2006


とある9月の休日、何年か振りに大学の友人と会った。
2年に一度くらい、「みんなで会うんだけどどう?」という電話があるのだが、3回に一回くらいしか誘いにのったことがない。友人の内二人はほとんど毎年会っているそうだ。
その日は一人が超体調不良で急きょ欠席、残りのおばさん3人でとある名古屋のホテルランチを楽しんだ。

先ずは懐かしい学生時代の話から先生の話、そして現在の話題へ。
中学生の男の子を持つA子と、早くに結婚しすでに大学生の男子が二人いるB子。
B子は、今では子供達と会話をすることもなく何を考えているんだか、とため息。
そして学生時代に私がB子に話したことで、今でも忘れられないことがあるといった。

「むかしねーえ、**が『私は自分が好きじゃないから、こどもは欲しいと思ったことない、自分に似た子は欲しくない』っていったことを今でも覚えてるだら」と、ジャン・ダラ・リンの三河弁で。
自分に似た子は欲しくないというのは今でもそうだが、そんな大昔から言っていたのか・・・。
大昔からそんなことを言っているネガティブな私の友達でいてくれて本当にありがとう、だ。

「でもね、今は夫に似た優しい女の子なら欲しかったかなあと思うよ」と私。
「そんなうまいこといかんだがね。うちなんか私に似て欲しいと思うとこは似んで、旦那の似て欲しくないとこが似るじゃんね」と、こちらは名古屋弁プラス三河弁のA子。
そうか、そうすると夫似の優しい女の子じゃなくて、私似の自己中なくせに気の小さい男の子が生まれるということか・・・・・・・・・・・・。

B子は大学を卒業した後も暫く、自分の近況などを書いた季節のはがきを送ってくれた。
けれど、私からは返事やはがきを送った記憶が全くない。
A子も、会食に誘っても3回に一回くらいしか参加しない私に、凝りもせずに声を掛けてくれる。

私のような不義理ものの友人でいてくれて本当にありがとね。
25年を経て、やっとそんなことに気づいた。


アザを隠すカバーメイクを始めたのは大学2年に上がる春だった。なので、大学の友人は私の「使用前・使用後」を知っている。
春休み明けアザがない容姿で現れた私に、友人は少し驚いたような戸惑ったような表情をしていた。けれどそこは思慮のある大人なので、露骨に聞いてきた子はいなかった。一人だけ、それほど親しいわけではない友人が「きれいになったね。」と屈託なく声をかけてきた。
その頃、みんなはどう思っているのだろうと考えたが、厚いメイクが一目瞭然なので、治ったのではなく隠したのだと思っているだろうと考えた。

アザを隠すことによって、今までとは違ったまた新たな屈折が生まれた。
「顔面漂流記」に紹介されている、「化粧という仮面を被ることによって、直接的には他者との関係を結ぶことができなくなってしまった」という女性の言葉通りである。
友人との付き合いは表面上変わることがなかったが、心の奥底に変化があった。いやらしい表現になるが、アザを隠さないでいる時とは違った孤独があった。
誰か一人でも踏み込んで聞いてくれる友人がいたなら、また違っていたかもしれない。
とはいえ、自分が逆の立場だったとしても、傷つけないようにそっと触れないでおくのが精一杯だろう。

みんなで夏休みに2泊3日の旅行に行く計画が出た時、私は戸惑った。何かの理由をつけて行けないことを告げたが、直前まで「どうして行かないのか」と何度も言い、不満げな友人がいた。
今でも覚えているのは、それを恨みに思っていたからだろう。
私の「使用前・使用後」を共にした友人は、私にとってある意味特別な存在だった。
3回に一回しか誘いに乗らない私の心には、もう友人たちとは離れたいという思いがあったのかもしれない。

あれから四半世紀が過ぎ、私は少し成長したようだ。
季節ごとにハガキをくれた友人や、懲りずに誘いの電話をくれる友人に、そんな思いを告げてカミングアウトしたいような気もするが、恐らく(絶対)できないだろう。
あと四半世紀経ったらできるかな・・・。
生きてるかどうかわからんけど・・・・





9/23/2006


ケーブルTVの映画を何気に観ていた。情事シーンがあるので、もしかしたらR-15かもしれない。
冒頭から雨がしとしと降る夜のロンドン、二人の疲れた男性という暗い場面、これはハズレかもと、よそ事をしながら「ながら観」をしていた。
映画も後半にさしかかったころ、突然画面にアザをもつ少年が登場し、頬に広がるアザがクローズアップされる。登場といってもほんの一瞬で台詞もない。アザがある私でなかったら、すぐに忘れてしまうようなひとコマだ。最後に、そのひとコマがストーリーに絡む意味を知った。
1999年英・米合作、「ことの終わり」という映画だ。
「情事の終わり」という小説を映画化したもので、アカデミー賞にノミネートされたようである。

ストーリーは最初からしっかりと観ていなかったため、サイトからの転記を交えて。

■1946年、ロンドン。作家ベンドリックスは再会した旧友ヘンリーから妻サラが浮気しているらしいとの相談を受け、嫉妬を感じる。実はベンドリックスとサラはかつて愛人関係だったのだ。サラとの不倫の恋は44年の夏突然終わった。いつものような情事の後二人の居た建物が爆撃を受け、気絶していた彼が覚めるとサラは彼の前から去ってしまった。サラを忘れられない彼は探偵に調査を依頼し彼女の日記を手に入れる。そして爆撃の際の意外な真相を知ることになる。    (転記)

■爆撃で吹き飛ばされたベンドリックスに駆け寄った時、彼の息はなかった。サラは神に祈る。「もし彼を生かしてくれたなら、もう二度と彼とは会わない」と。
彼を愛しながらも神への誓いを守り姿を消したサラは、教会で神父に告白し懺悔する。その帰り道、偶然駅に横たわる少年に出逢い、少年の頬にある大きな赤いアザに口づけをする。

■日記により真実を知ったベンドリックスはサラを追うが、彼なしの人生を考えられず抜け殻のような2年間を過ごしたサラだが、深い信仰心のため彼を拒絶する。
やっと二人で生きていくことを誓い合った時、サラの夫から彼女の余命があと幾ばくもないことを知る。ベンドリックスは、同じようにサラを心から愛する夫と、彼女の最期を看取る。

■衰弱していく中サラは、爆撃で神に祈ったあの時、確かに部屋で神を感じたことをベンドリックスに告げるが、彼は神など信じない。
サラ亡き後ベンドリックスは、悲しみで寝込む夫を、夫であったがゆえに憎み、いるはずのない神を口にする神父を憎むが、サラの墓地でアザをもつ少年の父であるという人に出逢う。
父親は、サラからアザの頬に口づけを受けたあの日、幾ばくかの汽車代を貰って帰った少年の頬からアザが消えていたことを告げる。



ラストは、信仰心のなかったベンドリックスが神の存在を信じるというものなのだが、その最後のキーポイントが少年のアザなのだ。父親の「醜いアザがきれいに消えたのです。」という台詞とともに少年が振り返り、アザのない頬がクローズアップされる。
うーん、そうきたか・・・・。

映画は時代を背景にして、切ないまでの男女の憎愛と、とりわけ信仰が、カトリックとプロテスタントなど日本人には分かり難い宗教観で構成されている。
結婚式は神前で、クリスマスにはケーキを、お葬式は仏教をといった宗教観をもつ日本人には解りにくい。それだけ欧米人にとって神の捉え方は深いのだろうが、その改宗のきっかけが「醜いアザが消えた」というところになんとも複雑なものを感じる。

聖書にあるイエスの奇跡ように、見えない目や歩けない足を治すといったことでもよさそうなのに、神の慈愛の奇跡が醜いアザを消すというアザの扱いは、やはり石井政之氏(ジャーナリスト、ユニークフェイス代表)の著書にあるところの「スティグマ」であるようだ。
スティグマ=もともとギリシアで奴隷・犯罪人・謀反人であることを示す焼印(肉体上の「しるし」のこと。転じて、望ましくないとか汚らわしいとして他人の蔑視と不信を受けるような属性と定義され、マイナスのイメージと捉えられる。(某サイトより転用)

映画に関する色んなサイトを見てみたが、どれもアザの少年の事柄については触れていない。物語の核心に深く絡むわりには、みんな無関心のようだ。
私を含め、ユニークフェイスな当事者は間違いなく複雑な気持ちになると思うが、複雑に感じるのは当事者だけなのだろう。

ここまで書いてきて、何だか怒れてきた。
神の慈愛はアザを消し去ることじゃなくて、ありのままを愛することでないかい?? 



  
     
一日の終わり 
      私の一日は トラジの七日分



9/17/2006


 ここにいたのか!

六星占術と出合ったのは25歳の時である。
今ほどブームになっていなかったのだが、すっかりはまってしまった。天王星人のマイナスである私は書籍を買って、大殺界、中殺界、小殺界をすべて網羅した。
あんな嫌なことがあったのは小殺界だったからかな、大殺界は何も行動を起こさないようにやり過ごそうなどと、今考えれば生活の一部を六星占術に縛られていた。

六星占術のマイブームが終わった頃、H・Kさんを取り上げているワイドショー番組を見た。
H・Kさんと面会して相談をするにはウン十万円を必要とし、TVに映し出されたか細い女性の相談者は、六星占術についての事前勉強が足らないといって逆鱗にふれ、追い返されていた。
その余りの恐ろしさと、悩みがあって訪れた相談者に対しての冷たさに、私の六星占術への洗脳は解けた。その数年後、ほとんど各局のゴールデンをH・Kさんが占めるようになるとは思いもよらなかった。

夫はH・Kさんの番組が大嫌いで、間違って映ろうものなら秒殺でチャンネルを変える。
以前一・二度、夫に隠れて恐る恐る見たことがあるが、H・Kさんの意見に異議を唱えた芸能人のゲストに「地獄に墜ちる」とか、子ども達に「早死には天罰」みたいなことを言っていた。こわい・・・
そのうち番組も終了するだろうと思っていたら、どんどん増えてくる。どういうことだろう・・・
増えるということは視聴率が高いということである。一体どんな人が見るのだろうかと思っていたら身近にいた。


母と病院の待合室で雑誌を読みながら

母: H・Kが載ってる
私: ・・・・・
母: こないだテレビ見た
私: 見るの?私は絶対見ない
母: なかなか良い事も言うよ
私: ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここにいたのか!

視聴者は一般的な国民のようだ。

25歳の時読んだ本に、天王星人は黄色が不幸の色と書いてあった。襟に付くカバーメイクが目立たない服は黄系が一番なので、洋服選びに困惑したことがある。未だにハンカチとか洋服以外の黄色の物は躊躇してしまう。若い頃の洗脳は恐ろしい。
こんなことを書いているともしかして地獄に墜ちるかも、なんて思ってしまうところも、又怖い・・・。

余談だが、同じく病院の待合室で「安倍さんの美しい国って素晴らしいね」と母。
何だか胡散臭いと思っていた私は「・・・・・・・・・・。」


※これらは決して母を悪く言う意図のものではありません。念のため。




9/12/2006


掲示板の怪しげ(卑猥)な書き込みはHP開設当初からあったが、二ヶ月くらい前から量が尋常でなくなった。今では、怪しげな書き込みを削除するためにHPをせっせと開いている。
半日削除しないでいると、HPに訪れてくれた大切な方の書き込みが、猥褻な書き込みの中に埋もれていることがある。怒りで目の前が真っ暗になり、動悸と過呼吸でハッハッしながら削除作業をする。急ぎすぎて大切な書き込みを誤って消してしまったことも。もしかして他にも誤って消してしまったことがあるのではと、心穏やかでない。
本当に毎度毎度掲示板を開くのが憂鬱だ。掲示板を閉鎖するか、HPを終了しようかと考えたことがあるが、決断力と行動力もなく日々が過ぎていく。

もし私が10代か20代の年齢だったら、とっくに掲示板は閉鎖していたと思う。連日のこの下品な書き込みは精神的に耐えられないと思うから。絶えられるのは、40代のふてぶてしさとまではいかなくても、半世紀近く生きてきて切磋琢磨されてきたせいだろう。良いのか悪いのか・・・・。

けれどどうしても耐えられない一線はある。
HPの主題に関係ない怪しげな書き込みは我慢できても、内容に関しての心無い書き込みによって荒らされるようになった場合は、すっぱりと閉鎖すると思う。
ハッハッと削除しながら、「この掲示板にこんなサイト紹介しても誰も開かないよ」とつぶやく今日この頃。

掲示板に訪れてくださる皆さん、不快な思いをされていると思います。本当にごめんなさい。



    ワンの写真でしばしお寛ぎください  

                ドッグカフェで                  ブタの耳はうんめぇ〜




9/3/2006


なーんにも身になることはなく、大学の四年間は終わってしまった。生活に余裕のない中、学費を工面してくれた両親に申し訳ござらんである。

もう四半世紀が過ぎて、講義の内容はすべて忘却したが、先生の脱線話だけ微かに覚えている。
記憶が確かなら、助川という個性の強い日本史の先生のお話だ。
小学校の教科書に、炭鉱だったか土木だったか(記憶が曖昧)汗や泥にまみれて働く人のお話が載っており、これに文部省(現文部科学省)がクレームをつけたという。
まだ夢のある子どもたちに、そんな暗い世界の話を読ませることはないというクレームだったそうだ。
助川先生は、汗水して働くことがどうして暗いのだ、スーツを着て机上で働くバカどもは何を言っていると、烈火のごとく怒っていた。
汗や泥にまみれて働く世界は暗いから子どもに教えないというのは、そういうものを差別しているのに他ならないということだろうか。官僚にはそういう感覚があるのかもしれない。

ところで、安倍内閣官房長官の「美しい国」というものがどんなものかよくわからないが、何だか「美しい」という言葉にひっかかる。




8/29/2006


腕をつかまれる


日常、誰かに突然腕をつかまれるなんてことは滅多に無いと思う。
そんな滅多にないことを、この夏二回も経験してしまった。
まっ、一回は夫なんだけれども。

夫は昨年、龍の何とかという、町の伝統文化参加の誘いを受けた。獅子舞を巨大にしたイメージだろうか。長ーい龍の中に十数人入って舞うのである。今年の夏祭り、母と姉を誘って見に出かけた。
爆竹が弾ける中、大太鼓に合わせながら、二匹の龍が火花を吹きながら練り歩く。
取り囲む見物人を驚かせるように、龍の胴体が擦り寄ってくる。龍のかぶり物の下からは、人間らしき足がたくさん出ている。
と、最前列にいた私は、突然龍の胴体から伸びた手に腕をつかまれた。
「**ちゃーん」という声に、おおっ、夫だ。 びっくりしたよ。

後日母から「羨ましくて、やるせなかったわ」と言われた。父はそんなことはしない。
というか、第いち町内の行事になんか絶対参加しない。社交性がゼロなのだ。
以前、お店のレジで支払いをしていると、赤ちゃんを連れた夫婦がいた。奥さんが支払いをし、若いやさしそうな旦那さんが赤ちゃんを抱いていた。その光景を見て母が、「お母さん、こういうのに憧れていたわ」と言った。
切なそうに若夫婦を見つめる母に、胸がキュンとなった。父は昔の人なので今の若いお父さんのようにはいかないが、それにしても冷たい所がある。
腕をつかまれる話をしていたら、父の悪口になってしまった。


もうひとつは、先週の日曜日のお昼、夫と外食をした。お店に入ると満席で、3家族ほどが座って待っていた。チラッと見た瞬間、どこかで見覚えのある顔がある。その見覚えのある顔から視線を感じながら、素知らぬ顔をして受付を済ませ、奥の待ち席に座るとすぐに、お店の人に「2名様」と呼ばれた。見覚えのある人の前を通りぬけた時、突然腕をつかまれる。

振り返ると、その見覚えある男性が、「**さんじゃない? 僕**、覚えていない?」と言う。瞬間、小学校の同級生だと思い出したが、シャイな私はすこし考えてから、「ああ、**君」と思い出した振りをした。
二言三言会話していると、夫が近寄ってきたので同級生であることを話す。
**君に「旦那さん?」とにこやかに笑いかけられ、私も彼の後ろの奥さんとお父さんらしき人に会釈した。後で夫に、「
へんな人に絡まれとるんかと思った」と言われた。って何さ。

**君は子どものころと変わらず人懐っこかった。「**さんに似てるなあって思って」と言っていたが、私だったらすぐに気づいても絶対に声はかけない。シャイというよりもどこか屈折しているのかもしれない。
もし彼と逆の立場だったら、アザがあったはずの人にそれがなかったら、変に気を回してよけいに声を掛けられないと思う。**君は本当に屈託がなかった。

彼とはすごく仲良しの幼なじみというわけでもなかった。
一番覚えていることは、母が徹夜で作ってくれた夏休みの宿題の工作を、彼は「すんげー、すんげー」と言って感心していた。教室の後ろに展示してあったその工作を引き上げる時、「ほしい」と言ったのであげてしまって、母から叱られた記憶がある。
「いいよ、あげる」と言った時のうれしそうな無邪気な顔が、大人になってもそのままだった。

もう夏も終わりである。田んぼにトンボが飛び、夜間は虫の音が聞こえる。(田舎;)
今年はエアコンに冷蔵庫まで壊れてジタバタしたが、異性に腕をつかまれるという滅多にないことを経験する、酸っぱい夏だった。



8/27/2006


NPOユニークフェイスの代表でもあるジャーナリスト石井政之氏のブログから。

2006-08-23

●ゲド戦記

観てきました。失敗作! 顔に火傷のある少女がでているので見に行ったのですが、そういう問題を考察する以前の問題。ストーリーが破綻している。
ジブリはどうしたのか?それにしても宮崎駿は、顔にスティグマのある人がよほど好きなようだ。
「もののけ姫」では主人公に手にアザがあった。「ゲド戦記」では、魔法使いのゲドの左頬に傷痕。
少女には火傷の痕。でも、演出上の必然性を感じない。どうしてしまったのだろう。


ずっと以前、リンクさせていただいているkikuさんのHPの掲示板の中で、「もののけ姫」について、
『主人公が神の呪いでやがて死にいたる赤アザが全身に広がってゆくお話、アザに関してマイナスイメージにしかならないし、これでいじめられた子どももたくさんいると思います。』(一部抜粋)と、きくさんが書かれていました。

私は「もののけ姫」は観たことがありませんが、壮大なテーマをもつ志し高いストーリーのようで実は小物だったのか、という感じでガッカリです。そう思いつつも、その後の「ハウルの動く城」は映画館で観ました。ジブリものを劇場で観るのはそれがはじめてです・・・。結構楽しんでしまいました。
けれど、この石井氏のブログを読んで、あらためてジブリにガッカリです。
最も「ゲド戦記」に関しては、前評判も良くないようです。確か今回はご子息の作だとか・・。
派手な宣伝もなく全国上映でもないけれど、インターネットのユーザー評価が一番なのが、アニメ「時をかける少女」です。ほとんど5点満点の評価を得ていて、おかしくて切なくて若い子の共感は勿論、中年男性も涙するそうです。
とはいっても、私はまだ観ていないのですが・・。



8/10/2006


最近の疑問 そのに

暑い暑い、毎日暑い。
相変わらず進化のない愚痴だが、こんな暑い日にシップのようなカバーファンデを首にして、襟付きの服を着るのは耐え難い。エアコンをガンガン利かせた部屋で在宅ワークをし、夕方の少し涼しくなった頃に買い物に出かける。なるべく外出しなくていいように、買い物も何日分か買いだめである。
車に乗って上を向いてバックミラーを覗くと、首半分の色がファンデのせいで違う。変だ・・。イヤだ・・。
仕方がないとため息をついて発車する。いつもの日常。
顔半分のファンデが濃いのはともかくとして、今まで「どうして首に化粧をしているのか」と聞かれたことはなかった。変に思われているに違いないと思いながら、自分が考えるほど人は気づかないのかも・・と思ったりもしていた。
以前、この「言いたい放題」の「私がアザを打ち明けた人たち」に載せる承諾を得るため、友人に連絡をした際こんな言葉があり、ああそうなんだと納得した。

あまり覚えてないんだけど、一つだけ**ちゃんに対して覚えてる事があります。首までファンデを塗っていた**ちゃんは、きっと何かの事情があるんだろう。もしかしたら、色んな人にさんざん聞かれて嫌な思いをしてるかも知れない。だから、せめて私からは聞く事はやめよう。そう思っていました。」 

いぶかしげに首もとを見る人はいたが、はっきりと聞いてくる人はいなかった。好奇心で聞かれたら固まってしまっただろうが、幸いにもそういう思いをせずにすんできたのだ。
それでもまだ疑問が残る。友人は繊細で人の心の痛みがわかる分、首のファンデにも気づきやすかったのではないかな・・・。
過去にチラと首に視線を感じることはしばしばあったが、社員の誰からもそういった視線を感じたことのない会社もあった。常識や心ある人、思慮深い人は露骨な視線などおくらない。
気づかないのか?思慮深いのか?
聞けないので、永遠に疑問だ。



8/6/2006


最近の疑問 そのいち

我が家の愛犬トラジは、私が普段着の短パンから長いパンツにはき替えると、お散歩タイムと思って大喜びする。ただの買い物外出で、置き去りにされる時の顔は、怨念に満ちてこわい・・・。
おもしろいと思うのは、私にとって外出の仕度とは、カバーメイクをするかしないかということが第一だが、トラジは私の肌の色の変化には気づいていないようだ。
いつも私の顔をじーっと見つめている(マザコンならぬババコン)。顔が赤かったりそうじゃなかったり、不思議に思わないのかなあと考えたりするが、ワンは日本語が話せないので分からずじまいだ。
 
トラジを右肩に抱っこすると、ちょうど私のアザのある方の頬や首に、トラジのおヒゲでチクチクした口や少し湿った鼻が当たる。くすぐったいよと思いながら、ふっと変なことを想像した。
突然トラジが耳元で私にささやく。「バーバさん(私)、どうしてこっちのお顔は赤いの?」
自分で想像しながら自分で身震いする。真夏の怪談のようだ。

こんなことを想像する私の心はちょっと病んでるなと思いながら、遠い昔のことを思い浮かべた。
小学生の時、母の帰省先で3・4歳くらいの従兄弟と出会った。従兄弟はすごく可愛くて私に懐き、おんぶをして散歩に行ったり、遊んだりした。
随分経ってみんなでくつろいでいる時、突然従兄弟がたどたどしく私に聞いた。「お姉ちゃん、なんで顔赤いのん?」
側にいた叔父さんと叔母さんが少し困ったようにはぐらかしたのを覚えている。

トラジは不思議に思っているのかどうかわからないが、勿論トラジが聞くことはない。